日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 143

2020年9月7日

今までのあなたがたの人生をふりかえり、信仰生活の年月において神があなたに対して行ったことをふりかえってみなさい。深く感じるか否かにかかわらず、それは最も必要なものではありませんでしたか。それはあなたが最も手に入れる必要のあったものではありませんでしたか。(そうです。)それは真理ではありませんか。それはいのちではありませんか。(そうです。)神はかつて、あなたに啓示を授けた後、自分が授けたすべてのものの見返りとして何かを自分に与えるよう求めたことがありますか。(ありません。)それでは、神の目的は何ですか。なぜ神はこのようなことをするのですか。神にもあなたを占有するという目的があるのですか。(いいえ。)神は人間の心の中における玉座に上りたいのですか。(はい。)それでは神が玉座に上ることとサタンの強制的占有の相違点は何ですか。神は人間の心を得ること、人間の心を占有することを望んでいます。これはどういう意味ですか。これは人間が神の操り人形や機械のようになることを神が望んでいるということですか。(いいえ。)それでは神の目的は何ですか。神が人間の心を占有したいことと、サタンが強制的に人間を占有し取り憑くことには、相違点がありますか。(はい。)神があなたの心を得たい理由は何ですか。また、神が人間を占有することを望む理由は何ですか。あなたがたは「神が人間の心を占有する」ことを、心でどのように理解していますか。ここでは、神に対して公平でなければなりません。そうしなければ、必ず人々は誤解して「神は常に私を占有したがっている。神が私を占有したい理由は何か。私はされたくない。私はただ自分でありたい。サタンは人間を占有する、と言うが、神もまた人間を占有する。これら同じではないのか。私は誰にも私を占有させたくない。私は私自身だ」などと考えます。ここでの相違点は何ですか。しばらく考えなさい。あなたがたに尋ねますが、「神が人間を占有する」というのは、空虚な表現ですか。神による人間の占有とは、神が人間の心に住んで、あなたがたの一語一句、一挙一動を支配するという意味ですか。もし神があなたに座れと言えば、あえて立とうとはしないのではありませんか。もし神が東へ行けと言えば、あえて西には行かないのではありませんか。占有とは、そのような意味ですか。(違います。神様は、ご自身が所有されるものとご自身そのものを人間が生きるように望んでおられます。)神が人間を経営してきた年月の中で、現在この最後の段階までの神の人間への働きにおいて、神が語ったすべての言葉の意図された人間への効果は何ですか。神がもっているものと神であるものを、人間が実践することですか。「神は人間の心を占有する」という言葉の文字通りの意味を検討すると、神は人間の心を取り、それを占有し、そこに住んで二度と出ないことのようです。すなわち神は人間の心の主となり、人間の心を思いのままに支配し調節して、人間が神の命じることを行なわなければならなくするようにします。その意味では、すべての人間が神となり、神の本質と性質を自分のものにできるかのように考えられるでしょう。それでは、この場合、人間もまた神の業を実行することができるのでしょうか。「占有」をこのように説明できますか。(いいえ。)それでは、それは何ですか。神が人間に授けるいのちが何であるかを、あなたがたは知っていますか。あなたがたに尋ねます。神が人間に与える言葉と真理はすべて神の本質、神がもっているものと神であるものの顕示ですか。(はい。)これは確かです。しかし、神が人間に与える言葉のすべては、神自身が実践し所有すべきものですか。よく考えなさい。神が人間を裁くとき、何ゆえに神はそうするのですか。その言葉はどこから来たのですか。神が人間を裁くときに言う言葉は、どのような内容ですか。それらは何に基づいていますか。人間の堕落した性質に基づいていますか。(はい。)では神の人間に対する裁きにより達成される効果は、神の本質に基づいていますか。(はい。)それでは、神による人間の占有は、空虚な語句ですか。そんなはずはありません。それでは、なぜ神はこのような言葉を人間に述べるのですか。これらの言葉を神が述べる目的は何ですか。神はこれらの言葉を使って人間のいのちにしたいのですか。(はい。)神はこれらの言葉で語ったこの真理のすべてを使い、人間のいのちとして機能させたいのです。人間がこの真理のすべてと神の言葉を受け取り、それを自分自身のいのちへと変化させるとき、人間は神に従うことができますか。そのとき人間は神を畏れることができますか。そのとき人間は悪を避けることができますか。人間がこの時点に達したとき、人間は神の主権と采配に従うことができますか。そのとき人間は神の権威に服従する位置にあるでしょうか。ヨブやペテロのような人がその道の最終地点に到達し、いのちが成熟したとみなすことができるとき、彼らが真に神を理解したとき、サタンはそれでも彼らを惑わすことはできますか。サタンは依然として彼らを占有できますか。サタンは依然として強制的に彼らに取り憑くことができますか。(できません。)それでは、それはどのような人間ですか。完全に神のものとされた人ですか。(はい。)この段階の意味において、このように完全に神のものとされた人をあなたがたはどのように見ますか。神にとっては、この状況下では神はこの人の心を既に占有しています。しかし、この人は何を感じますか。神の言葉、権威、神の道が人間の中でいのちとなり、そしてこのいのちが人間の存在全体を占有し、人間が実践することとその本質を、神を満足させるに適切なものにするということですか。神にとって、この瞬間の人類の心は、神に占有されていますか。(はい。)あなたがたはこの段階の意味を、今ではどのように理解していますか。あなたを占有するのは神の霊ですか。(いいえ、私たちを占有するのは神様の言葉です。)神の道、神の言葉があなたのいのちとなったのであり、真理があなたのいのちとなったのです。このとき、人間は神に由来するいのちをもっていますが、このいのちが神のいのちであるとは言えません。言い換えるならば、神の言葉から人間が得るべきいのちは、神のいのちであるとは言えないということです。したがって、人間がいかに長期間にわたり神に付き従っても、いかに多くの言葉を神から得ても、人間は決して神となることができないということです。たとえ神がある日、「わたしはあなたの心を占有した。あなたは今やわたしのいのちをもっている」と言ったとしても、あなたは自分が神であると感じるでしょうか。(感じません。)それでは、あなたはどうなるでしょうか。神に絶対的に服従するのではないでしょうか。あなたの体と心は、神があなたに与えたいのちで満たされるのではないでしょうか。これは神が人間の心を占有するときに起こる極めて普通の徴候です。これは事実です。ではこの観点からみて、人間は神になることができますか。人間が神の言葉をすべて得たとき、神を畏れ、悪を避けることができるようになったとき、人間は神の身分と本質を自分のものにすることができますか。(できません。)何があったとしても、結局のところ人間は依然として人間なのです。あなたは被造物です。あなたが神から神の言葉と神の道を受け取ったとき、あなたは神の言葉を源とするいのちをもっているだけであり、決して神になることはできないのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 5」(『言葉』第2巻)より

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