日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 162

2020年7月23日

サタンの邪悪について話し合ったときは、人間の生活は極めて不幸であり、人間の生活は不運を極めていると皆に感じさせました。しかし、神の聖さと神の人間に対する働きについて話した今では、あなたがたはどのように感じますか。(非常に幸福です。)神の行なう全てや、人間に対して神が慎重に用意する物事が全て完璧であることが分かりました。神が行なうことには誤りがありません。つまり、非の打ち所がなく、誰の修正も、助言も、変更も必要ないのです。個々の人間のために神が行なうことには、疑問の余地が無く、神はあらゆる者の手を引いて導き、あなたを常に見守り、あなたの傍らを決して離れません。このような環境と背景の元で人間が成長するとすれば、実際のところ人間は神の手の中で成長すると言えるのではないですか。(はい。)それでは、あなたがたは依然として喪失感を抱いていますか。(いいえ。)落胆している人はいますか。(いません。)神は人類を見捨てたと感じる人はいますか。(いません。)それでは、神は一体どのような働きを行いましたか。(神は人間を守られます。)神の働きの背後にある大いなる心と慈しみには、疑問の余地がありません。さらに、神がこの働きを行なう間、神は、神があなたのために負う代償をあなたが知り、それゆえ神に対して深謝するようにと、何らの条件や要求事項もあなたがたのうちの誰にも出したりすることはしなかった。神はかつてそのようなことをしたことがありますか。(ありません。)基本的に、長い人生の中では、誰もが数多くの危険な状況や誘惑に遭遇します。これは、あなたの傍らには、常にサタンが存在し、あなたを見据えているからです。サタンは、あなたが災害に見舞われたり、災難が降りかかったり、何事もうまくいかなかったりすることを喜び、また、あなたがサタンの罠にかかることを喜びます。しかるに神は、常にあなたを守り、次々起こる逆境や災難からあなたを守ります。これが、平安や喜び、祝福、身体の安全など、人間が持つものは、実際のところ全てが神の支配下にあり、神が各人の人生と運命を導き、決定する、とわたしが言う理由です。しかし、一部の人々が言うように、神は自分の地位について仰々しい概念を持っており、「わたしは最も偉大な存在であり、わたしがあなたがたを支配している。あなたがたは全員わたしに慈悲を請わなければならず、わたしに従わない者は死をもって罰とする」などと言うのでしょうか。神はかつて、このように人間を脅迫したことがありますか。(ありません。)神は、これまでに「人類は堕落しているので、わたしが人間をどのように好き勝手に扱ってもどうでもよい。人間に対して周到な用意を行う必要は無い」などと言ったことがありますか。神はこのように考えるでしょうか。(いいえ。)神がそのように行動したことがありますか。(ありません。)それとは反対に、神による人間それぞれに対する処遇はまじめで責任感があり、あなたが自分自身に対するよりも責任感に溢れています。そうではないですか。神は無益に言葉を述べることも、尊大に振る舞うことも、人々を欺くこともありません。その逆で、神は誠実かつ静かに、自身が行うべきことを行います。それらの業は人間に祝福、平安、喜びをもたらし、人間を平安かつ幸福のうちに神の前へと来させ、神の家へと連れて行き、人間が神の前に行き神の救いを受けるために必要な、正しい理知、思考、判断、心構えを人間に与えます。それならば、神はその働きにおいて他意があったことがありますか。(いいえ。)かつて神が人間に対して親切を装い、少々の愛想のよい言葉で慰めた後に裏切ったことがありますか。(ありません。)かつて神が、あることを述べ、それと一致しないことを行ったことがありますか。(いいえ。)かつて神が、これをしてあげよう、あれをするのを助けてあげようと空虚な約束をし、豪語した上で消え去ったことがありますか。(ありません。)神には、狡猾さや偽りがありません。神は信実で、神のすることはすべて真実です。神は、人間が信頼し、自分の人生などの全てを託すことのできる唯一の存在です。神には狡猾さが無いのであれば、神は最も真摯な存在であると言えますか。(はい。)当然言えます。今このような言葉で神を叙述すると、言葉が無力であり、人間的でありすぎるものの、人間の言語の制約があるため、どうすることもできません。ここで神を真摯であるとするのは僅かに不適ですが、当座はこの語を用います。神は信実かつ真摯です。それでは、こうした側面について話すことは、何を意味しますか。神と人間の相違点や、神とサタンの相違点ですか。そう言うこともできます。なぜなら人間は、サタンの堕落した性質を全く神に見出すことができないからです。そう言って間違いないですか。これにアーメンと言って貰えますか。(アーメン!)サタンの邪悪さが神において明らかにされることを見る事は決してありません。神が行ない明示する事柄は全て人間にとって有益であり、役立つものであり、人間に施すために行われ、いのちに満ちあふれ、人間に対して進むべき道と方向性を与えます。神は堕落しておらず、さらに神のすること全てを検討すると、神は聖なる存在であると言えますか。(はい。)神には人類の堕落が一切不在であり、堕落した人類の性質やサタンの本質と僅かにでも類似していたり同一であったりするようなものは一切無い。この観点から、神は聖なる存在であると言うことができます。神が堕落を示すことはありません。神自身が聖であることは、その働きにおける本質の明示により十分確認することができます。このことが理解できますか。では神の聖なる本質を今、知るために、しばらく次の二つの側面について検討しましょう。①神には堕落した性質が全く無い、②人間に対する神の働きの本質により、人間は神自身の本質を理解することができ、この本質は完全に肯定的であること。一つひとつの神の働きが人間にもたらすものは、全て肯定的であり、まず、神は人間が誠実であることを要求します。これは肯定的ではないでしょうか。神は人間に知恵を与えます。これは肯定的ではないですか。神は人間が善と悪を見分けることができるようにします。これは肯定的ではないですか。神は人生の意味と価値を人間に理解させます。これは肯定的ではないですか。神は人間に人々、出来事、物事の本質を真理に従って理解させます。これは肯定的ではないですか。(はい、そうです。)これら全ての結果として、人間はサタンに騙されたり、危害を加えられたり、支配されたりすることが無くなります。つまり、人間はサタンの堕落から完全に解放され、したがって神を畏れ悪を避ける道を徐々に歩むことができます。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 6」(『言葉』第2巻)より

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