日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 208

2020年9月17日

神の働きに対する障害は、どれほど大きいのか。誰か知っているのか。深く根ざした迷信的偏見に囚われている人々の中で、誰が神の素顔を知ることができようか。これほどまでに浅薄かつ愚かな時代遅れの文化的知識で、どうして神の語る言葉を完全に理解できようか。直接顔を合わせて語られ、口移しに糧を与えられたとしても、どうして理解できようか。時には、神の言葉はまったく聞き入れられないかのようである。人は少しも反応せず、首を縦に振るが何も理解しない。これがどうして懸念されないでいられようか。この「かけ離れた古代の文化の歴史と知識」により、このように無価値な人の集団が形成された。この古代文化は、貴重な遺産とされているが、屑の山である。それは遠い昔に永遠の恥辱となり、語る価値はない。そのために人は神に反抗する手口や技術を覚え、国家教育の「秩序だった穏やかな指導」により、人はさらに神に反抗的になった。神の働きは各部分が極めて困難であり、地上における神の働きの各過程は神にとって苦悩の多いものであった。地上での神の働きは、どれほど困難なことか。地上における神の働きの各過程には大きな困難が伴う。人間の弱さ、欠点、幼稚さ、無知、そして人間のすべてのために、神は入念な計画を立て、慎重に考慮する。人間は、誰も敢えて餌をやったり挑発したりしない張り子の虎のようである。少しでも触れると噛み付くか、あるいは倒れて道を失う。それはまた、少しでも集中力を失うと以前の病気が再発し、そうでなければ神を無視したり、親である豚や犬の元へ逃げ戻り、身体の不浄な物事に耽溺したりするようである。何と大きな障害であろうか。神の働きのほぼ全過程において、神は試みを受け、ほぼ全過程において大きな危険を冒す。神の言葉は誠実かつ正直であり、悪意がないが、誰がそれを進んで受け入れるというのか。誰が進んで完全に従おうというのか。そのことが神の心を傷つける。神は人間のために日夜精力的に努力し、人間のいのちについて懸念に苛まれ、人間の弱さに同情している。働きの各過程において、また述べる言葉のそれぞれについて、神は数多くの紆余曲折に見舞われてきた。神は常に苦境の中にあり、人間の弱さ、不従順さ、幼稚さ、脆さを常に幾度となく考えている。誰がそのことを知っていたのか。神は誰に打ち明けることができるのか。誰が理解できるのか。神は人間の罪や、気骨のなさ、意気地のなさを常に忌み嫌い、人間の脆弱さを常に懸念し、人間の前途を熟考している。神は人間の言動を監督していながら、常に憐れみと怒りで満たされ、そのようなことが少しでもあると神の心は必ず痛む。無邪気な人々は、結局のところ麻痺してしまった。なぜ神は必ず人間に困難を与えなければならないのか。弱い人間は忍耐力が完全に欠如している。なぜ神は常に人間に対して衰えることのない怒りを抱いていなければならないのか。弱く無力な人間には活力がまったくない。なぜ神は人間の不従順さを常に叱らなければならないのか。誰が天の神の脅威に耐えられるのか。結局、人間は脆く、絶望的苦境にあり、人間がゆっくりと反省するように、神は自らの怒りを心の奥深くへと押し込んだ。しかし、深刻な困難にある人間は、神の心意を少しも正しく認識しない。人間は老魔王に踏みつけられているが、それにまったく気付かずに、常に神に対抗するか、神に対して熱くなることも冷めることもない。神は無数の言葉を述べたが、誰がそれを真剣に受け止めたであろうか。人間は神の言葉を理解しないが、それでも狼狽することなく、また切望することもなく、老悪魔の実質を本当に知るには至っていない。人間は陰府、地獄で生きているが、海底の宮で生きていると考えている。赤い大きな竜に迫害されているが、自分はその国から「恩恵を受けている」と考えている。悪魔に嘲笑されているが、自分が肉の至高の技巧を享受していると考えている。何と汚れた卑しい恥知らずの一団であることか。人間は不幸に遭遇しているが、それに気付かず、この暗黒社会において、次々と災難に見舞われるが、それに目覚めることがない。いつになったら人間は自分へのいたわりと奴隷的性質を捨て去るのか。なぜ人間は神の心に対してそれほどまで冷淡なのか。黙ってこの弾圧と苦難を容認するのか。闇を光に変えることができる日を望まないのか。義と真理への不正を再び取り除きたいとは思わないのか。人々が真理を捨て、事実を歪めるのを見て何もしないつもりなのか。この不当な処遇に耐え続けることに満足しているのか。奴隷になるつもりなのか。この亡国の奴隷とともに、神の手により滅ぼされるつもりなのか。あなたの決意はどこにあるのか。あなたの野望はどこにあるのか。尊厳はどこにあるのか。高潔はどこにあるのか。自由はどこにあるのか。あなたは自分の生涯のすべてを、魔王である赤い大きな竜のために進んで捨てるつもりなのか。あなたは赤い大きな竜に自分を死ぬまで折檻させて満足なのか。淵のおもては混沌として暗く、庶民は苦悩のため天に向かって叫び、地に向かって苦痛を訴えている。いつになったら人間は堂々としていられるのか。人間はやせ細り、衰えている。どうしてこの残忍な暴君のような悪魔に対抗できようか。なぜできるだけ早く自らのいのちを神に捧げないのか。なぜいまだに躊躇しているのか。いつになったら人間は神の働きを完了できるのか。何の目的もなくそのようにいじめられ抑圧され、人間の生涯は結局無駄となる。なぜそれほど急いでやって来て、急いで去ってゆくのか。なぜ何か貴重な物を残しておいて神に捧げないのか。数千年におよぶ憎しみを忘れてしまったのか。

『神の出現と働き』「働きと入ること(8)」(『言葉』第1巻)より

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