日々の神の御言葉「唯一無二の神自身 2」抜粋118

2021年10月3日

ヨナ書4章 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、ヤーウェに祈って言った、「ヤーウェよ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。それでヤーウェよ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。ヤーウェは言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。時にヤーウェ神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。ヤーウェは言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

創造主は人類への真の思いを表す

このヤーウェ神とヨナの対話は、人類への創造主の真の思いを表していることに疑いはありません。この対話は一方では、神の統治下にある被造物全体を創造主が認識していることを人々に伝えるものです。それはヤーウェ神が、「ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」と言った通りです。つまり、ニネベについての神の認識は、決して粗略なものではなかったのです。神はニネベの町の生物(人間のほか家畜など)の数を知っていただけでなく、右も左もわきまえることができない者の人数、すなわち、子供や若者の人数も知っていました。これは、人類について神が包括的に理解していたことの具体的な証明です。その一方で、この対話は、人類への創造主の態度、すなわち創造主の心における人類の重要さを人々に伝えています。それはヤーウェ神の、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは……この大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」という言葉の通りです。これは、ヤーウェ神がヨナを非難して述べた言葉で、すべて真実です。

ヨナはニネベの人々にヤーウェ神の言葉を伝える任務を託されましたが、ヨナはヤーウェ神の意図も、ヤーウェ神のニネベの人々に対する懸念も期待も理解していませんでした。神は、この叱責により、人類が神自身の手により造られたものであり、一人ひとりの人間に神が甚大な努力をしたこと、一人ひとりが神の期待を負っていること、神のいのちの施しを受けていること、一人ひとりの人間のために神が大きな代償を払っていることを、ヨナに述べました。この叱責はまた、ヨナがこのとうごまを大切にするのと同様に、神が自分の手で造った人類を愛慕していることをヨナに伝えました。神は人類を安易に、あるいは最後の最後まで見捨てるつもりは一切ありませんでしたが、それはニネベには子供や何も知らない家畜が多数いたからではありません。右も左も分からない子供や無知な神の被造物に対して、神が早急に子供や動物の生命を絶ち、その運命を決めようとするなど考えられないことでした。神は彼らが成長するのを見ることを望んでいました。子供が大人のような道へ進まないこと、ヤーウェ神の警告を二度と耳にしなくてもよいこと、ニネベの過去の証しをすることを望んでいました。それにもまして、神は悔い改めた後のニネベ、悔い改めた後の町の将来、そして何よりも、ニネベが再び神の憐れみのもとで生きるのを見ることを望んでいました。したがって、神の見地からすると、神の被造物で右も左も分からない子供たちこそがニネベの将来だったのです。子供たちは、ヤーウェ神の導きのもとでニネベの過去と未来の証しをするという重要な任務を背負うと同時に、ニネベの卑劣な過去も背負うことになるのです。このように真の思いを宣言することで、ヤーウェ神は、創造主から人類への憐れみをすっかり提示しました。これは、「創造主の憐れみ」は中身のない言葉でも、空虚な誓いでもなく、具体的な原則であり、方法であり、目的であることを人類に示しました。創造主は真実であり、実在し、嘘や偽りを行ないません。そしてこのように、創造主の憐れみは、あらゆる時代において人類に無限に与えられるのです。しかし、現在に至るまで、この創造主とヨナとの対話は、神がなぜ人類に憐れみを示すのか、どのように憐れみを示すのか、神が人類にどの程度寛容であるのか、神の人類への真の思いは何なのかを神が言葉で表した唯一の場面です。この対話におけるヤーウェ神の簡潔な言葉は、人類への思いを完全な統一体として表しています。それは人類への神の心の姿勢を真に表現しており、また神が人類に豊かに憐れみを与えることの具体的な証明でもあります。神の憐れみは、常に世代から世代へと与えられてきたように、人類の先代にのみ与えられるのではなく、人類の若い世代にも与えられます。神の怒りは特定の地域、特定の時代に人類に下されることが多いものの、神の憐れみは決して止まったことがありません。神は憐れみにより導き、施し、養い、そしてそれを神の被造物の一世代から次の世代へと連綿と続けます。なぜなら、神の人間への真の思いは変わらないからです。「惜しまないでいられようか」というヤーウェ神の言葉が示す通り、神は常に被造物を愛慕してきました。これが創造主の義なる性質による憐れみであり、これもまた創造主の唯一無二の特質であふれています。

『言葉は肉において現れる』より引用

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