日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 316
あなたがたの追求が効果的だったかどうかは、現在何を持っているかでわかる。そしてそれによりあなたがたの結末が判断される。つまり、結末は払ってきた犠牲と行なってきた物事に明らかにされるのである。結末は、追求、信仰、何をしてきたかによってわかる。あなたがたの間には、すでに救いようのない…
神の働きは前進を続けており、その目的が変ることはないが、神の働きの実行手段はたえず変化しており、それによって神に従う人々も変化していく。神の働きが多ければ多いほど、人はいっそう深く神を知るようになり、それに応じて人の性質も神の働きとともに変化する。しかし、神の働きがたえず変化しているため、聖霊の働きを知らない人々や真理を知らないばかげた人々は神の敵対者になる。神の働きは人が抱く観念とは決して一致しない。神の働きはいつも新しく、決して古くないからである。神は古い働きを決して繰り返さず、むしろこれまでなされたことのない仕事を行う。神はその働きを繰り返すことはなく、人は例外なく神の過去の働きに基づいて今日の神の働きを判断するので、神が新しい時代の働きを各段階で実行するのは困難を極める。人はあまりにも多くの妨げとなる物を突きつける。人の考えは偏狭すぎる。誰も神の働きを知らないのに誰もがその働きを規定する。神から離れたら、人はいのちも真理も神の祝福も失ってしまうのに、神が人類に与えるいのちや真理を受け入れず、ましてや大いなる神の祝福も受け入れない。すべての人は神を得たいと願っているのに、神の働きのいかなる変化も許容することができない。神の新しい働きを受け入れない人々は、神の働きは不変であり、永久に停滞したままであると信じている。彼らの信条によれば、神から永遠の救いを得るためには律法を守ってさえいれば十分であり、悔い改め、罪を告白しさえすれば神の心は永遠に満たされる。彼らは、律法の下の神、人のために十字架につけられた神だけが神のはずであると考えている。また、神は聖書を超えるべきではないし、超えることはできないとも考えている。まさにこうした考えが彼らを古い律法に堅く結びつけ、死んだ規定の中に束縛し続けてきた。さらに多くの人々が、神の新しい働きは、たとえどのようなものでも預言による裏付けがなければならず、その働きの各段階で、本心で神に従うすべての者には啓示が示されなければならない、そうでなければそれは神の働きではありえないと信じている。人が神を知るようになるのはただでさえ決して容易なことではない。さらに、人のばかげた心、ならびにうぬぼれという反抗的な本性を考慮すると、人が神の新しい働きを受け入れるのはなおさらむずかしい。人は神の新しい働きを入念に調べず、謙遜して受け入れることもない。むしろ、軽蔑的な態度をとり、神の啓示と導きを待つ。これは神に反抗し、敵対する人の行動ではないだろうか。そのような人たちがどうして神の承認を得ることができようか。
『神の出現と働き』「自己の観念で神を規定する人がどうして神の啓示を受けられるのか」(『言葉』第1巻)より
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あなたがたの追求が効果的だったかどうかは、現在何を持っているかでわかる。そしてそれによりあなたがたの結末が判断される。つまり、結末は払ってきた犠牲と行なってきた物事に明らかにされるのである。結末は、追求、信仰、何をしてきたかによってわかる。あなたがたの間には、すでに救いようのない…
神は、この世に至る時、神性の働きのみを行う。それは、肉となった神への、天の霊の委託である。神がやって来る目的は、どこにでも行って語ることに尽き、さまざまな方法で、さまざまな視点から、自らの言葉を発することになる。神は、自らの目標と働きの原則として、主に人への施しと教えを続ける。神…
地上に来た時、神はこの世のものではなく、この世を楽しむために肉となったのではない。働きが神の性質を明らかにし、最も意義のあるものとなるのは、神が生まれた場所である。それが聖なる地であれ穢れた地であれ、神がどこで働こうと神は聖い。この世界のあらゆるものは神に創られた。ただ全てがサタ…
本日の集会の最初にあなたがたがしたことでわたしを驚かせたことについて話します。あなたがたの中にはありがたく思っていたり、感謝の気持ちを抱いていたりして、その思いを身体的に表現したかったかも知れません。それは咎められることではなく、正しくも誤ってもいません。しかし、あなたがたに理解…