日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 386

何度か失敗して倒れた経験があるのは悪いことではありません。暴かれることも同じです。取り扱われたり、刈り込まれたり、暴かれたりしたことがあるかどうかにかかわらず、次のことをどんな時も忘れてはなりません。暴かれることは断罪されることを意味しません。暴かれるのはよいことであり、自分を知る最高の機会です。それはいのちの経験を一段加速させます。それなしには、自分の堕落の真相を認識できるようになる機会も条件も背景も得られません。自分の内面にある物事、掘り起こして認識するのが難しい、自身の奥深くに潜む物事の側面をすべて認識できるようになれば、それはよいことです。自分を真に認識できるようになることは、自分の道を正して新しい人になる最高の機会なのです。それは、あなたが新たないのちを得る最高の機会です。いったん自分を真に認識すれば、真理がいのちとなるのは本当に貴重なことだと分かるようになり、真理を渇望して現実に入るようになります。それはかくも素晴らしいことなのです。失敗し倒れるたびに、その機会を捉えて真剣に自分を反省し、自分を真に認識できれば、消極性と弱さのさなかにあっても再び立ち上がることができます。いったんその敷居を跨げば、大きな一歩を踏み出して真理現実に入れるのです。

神の統治を信じるなら、日々の出来事はよいことであれ悪いことであれ、偶然に生じるのではないと信じなければなりません。誰かがわざとあなたにつらく当たったり、あなたを標的にしたりしているのではなく、これはすべて神の采配によるものなのです。神はなぜこうしたことをすべて指揮しているのですか。それはあなたの正体を暴くためでも、あなたを露わにするためでもありません。あなたを露わにすることが最終目標ではないのです。目標はあなたを完全にして救うことです。神はどのようにそれを行ないますか。まず、あなたの堕落した性質、本性と本質、短所、そして欠けているものをあなたに気づかせるところから始めます。これらのことを知り、はっきり理解することでのみ、真理を追い求めて堕落した性質を徐々に捨て去ることができます。これは神が機会を与えているのです。あなたはこの機会をどう掴むべきかを知らなければならず、神と角突き合わせてはいけません。とりわけ、神があなたの周りに配した人や物事に向き合うとき、自分の望み通りでないと感じたり、逃れようと思ったり、神を責めて誤解したりするばかりではいけません。絶えずそのようにしているなら、あなたは神の働きを経験しておらず、真理現実に入るのがとても難しくなります。完全には理解できない物事に遭遇しても、困難が生じたときは服従できるようにならなければなりません。まずは神の前に出てもっと祈ることから始めるべきです。そうすれば、知らないうちに自分の内なる状態が変わり、真理を求めて問題を解決できるようになります。このようにして神の働きを経験することができるのです。その間にあなたの中で真理現実が生じ、そのようにしてあなたは前進し、いのちの状態が変化します。ひとたびこの変化を経て、その真理現実を自分のものにしたならば、あなたは霊的背丈も有するようになり、霊的背丈とともにいのちが生じます。いつも堕落したサタン的な性質を基に生きるなら、熱意や活力がどれほどあっても、その人は霊的背丈やいのちを有しているとはやはり考えられません。神は一人ひとりの中で働きを行ないますが、その方法が何であれ、力を尽くす中でどのような人や物事を使うのであれ、言葉の調子がどういったものであれ、神の最終目標は一つしかありません。それはあなたを救うことです。あなたを救うのに先立ち、神はあなたを変える必要があります。そうであれば、あなたはどうして少しばかりの苦しみを受けないでいられるでしょうか。あなたは苦しまなければなりません。この苦しみには多くのことが含まれます。あなたが自分自身を認識できるようになるよう、神はあなたの周囲に人や物事を配することがあります。さもなければ、あなたは直接取り扱われ、刈り込まれ、露わにされます。手術台の上の人と同じく、よい結末を迎えるにはいくらかの苦しみを経験しなければならないのです。あなたが刈り込みと取り扱いを受けるたび、神が人や問題や物事を配するたび、あなたの感情が刺激され、士気が高められるなら、それは正しく、あなたは霊的背丈を得て真理現実に入ってゆきます。あなたが刈り込まれて取り扱われ、神に環境を配されるたび、何の苦痛も不快も覚えず、まったく何も感じないなら、あるいは神の前に出てその心意を求めることも、祈ることも真理を求めることもしないなら、あなたは本当に麻痺しきっています。あまりに麻痺して霊的な感覚がないなら、神にはそのような人に働きを行なう方法がありません。神はこう言うでしょう。「この人はあまりに麻痺していて、あまりに深く堕落させられてきた。わたしが為したすべてのことと、わたしが捧げたすべての努力を見よ。わたしはこの人に多くのことを行なってきた。それなのに、いまだこの人の心を動かすことも、霊を目覚めさせることもできない。この人はきっと問題を抱え、救うのは難しい」。神があなたのために特定の環境や人や物事を采配し、あなたを刈り込んで取り扱ったとき、あなたがそこから教訓を学び、神の前に出ることを学び、真理を求めるようになり、知らぬ間に啓かれ照らされ、真理を得たなら、あなたがこれらの環境において変化を経験し、報いを受け取り、進歩を遂げたなら、あるいは神の意図を少し理解し始め、不満を言うことをやめたなら、それはどれも、あなたがこのような環境の試練のなかでしっかり立ち、試練に耐えたことを意味します。このようにして、あなたはこの試練を経るのです。

『終わりの日のキリスト講話集』「真理を得るには、近くの人や出来事や物事から学ばなければならない」(『言葉』第3巻)より

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