日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 515

2020年10月7日

精錬の働きの目的は、おもに人々の信仰を完全にすることである。最終的に、あなたは立ち去りたいのに立ち去れないという状態に至る。中には希望のひとかけらを奪われてもなお信仰をもてる人もいる。そして人々は自分の将来の見込みについて、もはや何の希望も抱かない。そのとき初めて神の精錬は完了する。人間はいまだ生死のあいだを彷徨う段階に達しておらず、死を味わったことがないので、精錬の過程はまだ終わっていない。効力者の段階にある者たちでさえ、極限までには精錬されてはいなかった。ヨブは極限の精錬を経ており、頼れるものが何もなかった。すべての希望を失い、頼るものが何もなくなるところまで、人は精錬を受けなければならない。それだけが真の精錬である。効力者の時期において、あなたの心が神の前で常に静まり、神が何を行なおうと、あるいは自分に対する神の旨が何であろうと、常に神の采配に従ったなら、あなたはその道の果てに、神がなしたすべてのことを理解するだろう。あなたはヨブの試練を受けると同時に、ペテロの試練も受ける。ヨブは試された際に証しを行ない、最後にヤーウェがヨブに示された。証しを行なった後、ヨブは初めて神の顔を見るのにふさわしい者となったのである。「わたしは汚れた地から隠れ、聖なる国に自分を現わしている」と言われたのはなぜか。それは、聖くなって証しを行なわなければ、神の顔を見る品位は得られない、という意味である。神の証しを行なえなければ、あなたには神の顔を見る品位がない。精錬に直面した際、退いたり、神に不満をぶつけたりして神の証しを行なわず、サタンの笑い者になったとしたら、神の出現を得ることはできない。あなたがヨブのように、試練のただ中で自らの肉を呪い、神に不満をぶつけず、文句を言うことも、自分の言葉で罪を犯すこともなく、自分の肉を忌み嫌うことができれば、あなたは証しを行なっている。ある程度の精錬を受けてなお、ヨブのように神の前で完全に服従し、神にその他の要求をしたり、自身の観念を抱いたりしないのであれば、神はあなたの前に現われる。今、神はあなたの前に現われない。なぜなら、あなたが観念、個人的な先入観、勝手な考え、個人的な要求、そして肉の利益をあまりに多く抱いており、神の顔を見るに値しないからである。もしも神を見たのであれば、あなたは自分の観念を通じて神を推し測り、またそうすることで、神を十字架にかけることになる。自分の観念にそぐわないことが数多く起きても、あなたがそうした観念を脇にのけ、それらのことから神の業に関する認識を得て、精錬のただ中で神を愛する心を示せるなら、それが証しを行なうということである。自分の家庭が平穏で、肉の快適さを享受し、あなたを迫害する者が一人もおらず、教会の兄弟姉妹が自分に従っている場合、あなたは神を愛する心を示せるだろうか。そうした状況があなたを精錬し得るだろうか。神に対するあなたの愛は精錬を通じてのみ示されることができ、またあなたは、自分の観念にそぐわない出来事を通じてのみ完全にされ得る。神は数多くの逆境や否定的な物事を役立たせ、ありとあらゆるサタンの表われ、つまりサタンの行動、非難、妨害、そして欺瞞を用いることで、あなたにサタンの忌まわしい顔をはっきり見せ、それによってサタンを識別するあなたの能力を完全にする。そうすることで、あなたはサタンを憎んで捨てることができるのである。

『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」(『言葉』第1巻)より

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