日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 244
あなたがたに成し遂げてもらいたいと願っていることは数多くあるが、あなたがたのすべての行いと生活における一切のことが、わたしの求める事柄を完全に成就することはできないため、わたしは単刀直入にわたしの心の思いを説明するしかない。あなたがたの判断力、および理解力が極めて乏しいことを考え…
新時代の戒めの公布は、この流れの中にいるすべての人、すなわち今日神の言葉を聞くすべての人が新しい時代に入ったことの証しである。それは神の働きにとって新たな出発であり、6000年にわたる神の経営(救いの)計画の最終部の始まりでもある。新時代の戒めは、神と人間が新たな天と新たな地の領域に入ったこと、またヤーウェがイスラエルの民の間で働きを行ない、イエスがユダヤ人の間で働きを行なったのと同じく、神が地上において一層実践的な働きを行ない、より偉大な働きをさらに行なうことを象徴する。それらの戒めはまた、この人々の集団が神からより偉大な使命をさらに受け、神からの施し、糧、支え、気遣い、そして加護を実践的な形で授けられると共に、神によるより実践的な訓練、および神の言葉による取り扱い、破砕、そして精錬を受けることを象徴する。新時代の戒めの意義は極めて深遠である。それらは、神が実際に地上に現われ、そこから全宇宙を征服し、神の栄光のすべてを肉において表わすことを示唆している。それらはまた、自身の選民を一人残らず完全にすべく、実践の神が地上でより実践的な働きを行なうことも示唆している。さらに、神は言葉によって地上であらゆることを成し遂げ、「受肉した神が最も高い所に昇って讃えられ、あらゆる民と国々が跪いて大いなる神を崇拝する」という法令を明らかにする。新時代の戒めは人間が守るべきものであり、そうすることは人間の本分にして義務であるが、それら戒めの意義はあまりに深遠であり、ひと言ふた言では十分説明できない。新時代の戒めは、ヤーウェとイエスが公布した旧約の律法や新約のしきたりに取って代わる。これはさらに深遠な教えであり、人々が想像するほど簡明ではない。新時代の戒めには実践的な意義の側面がある。すなわち、それらは恵みの時代と神の国の時代との接点として機能するのである。新時代の戒めは、旧時代の実践やしきたり、そしてイエスの時代やそれよりも前の実践にすべて終止符を打つ。それはまた、人間をより実践的な神の前に連れ出し、その人が神によって直接完全にされ始めるのを可能にする。それは完全にされる道の始まりである。したがって、あなたがたは新時代の戒めについて正しい態度をとるべきであり、いい加減に付き従ったり、あざ笑ったりしてはならない。新時代の戒めは、ある点に強い重点を置いている。それはつまり、人間は今日における実践の神自身を崇拝しなければならないということであり、そこには霊の本質により実践的に従うことが含まれる。その戒めはまた、神が義の太陽として現われたあと、人間を罪人もしくは義なる者として裁く際の原則も強調している。その戒めは、実践することよりも理解することのほうが簡単である。そのことから、人間を完全にしようと望むなら、神は自らの言葉と導きによってそれを行なう必要があり、人間は自分自身に内在する知性だけで完全になることができないということがわかる。人間が新時代の戒めを守れるかどうかは、実践の神に関するその人の認識と関係している。したがって、あなたが戒めを守れるかどうかは、たかだか数日で解決する問題ではない。これは非常に深遠な学ぶべき教えである。
『神の出現と働き』「戒めを守ること、真理を実践すること」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
あなたがたに成し遂げてもらいたいと願っていることは数多くあるが、あなたがたのすべての行いと生活における一切のことが、わたしの求める事柄を完全に成就することはできないため、わたしは単刀直入にわたしの心の思いを説明するしかない。あなたがたの判断力、および理解力が極めて乏しいことを考え…
神と人を同等なものとして語ることはできない。神の本質と神の働きは人にとって最も深遠で理解しがたい。神が人の世でみずから働きを行わず、言葉を話さなかったら、人は決して神の意志を理解することはできないし、全生涯を神に捧げてきた人々でさえ、神の承認を得ることはできない。神の働きがなけれ…
現在、神に用いられることを追求する者も居るが、そうした者は、征服された後に直接用いられることは無い。現在において語られている言葉については、神が人間を用いる時、あなたがそうした言葉を達成することが出来なければ、あなたは完全にされていない。つまり、人間が神に排除されるか、用いられる…
地上にいるとき、わたしは人々の心の中において実際の神自身である。天では、わたしはあらゆる被造物の主である。わたしは山々に登り、川瀬を渡り、また、人間たちの間をふらりと訪れては去った。誰が実際の神である者に公然と敵対するだろう。誰が全能者の支配から独立できよう。誰がみじんの疑いもな…