日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 462

2020年9月20日

今日のあなたがたに対する要求——協調してともに働くこと——は、ヤーウェがイスラエル人に求めた奉仕に似ている。それをしないなら、奉仕などやめることである。あなたがたは神に直接仕える身であるがゆえに、最低限としてその奉仕においては忠誠と従順を保たねばならず、同時に実践的な方法で教訓を学ぶこともできなければならない。特に教会で働いている人々に問うが、あなたがた目下の兄弟姉妹の誰かが、あえてあなたがたを取り扱おうとするだろうか。誰かがあなたがたの間違いを、面と向かって指摘してくるだろうか。あなたがたは他のすべての人々の上に立ち、王のように君臨している。このような類の実践的な教訓を学んだり始めたりすることさえしないにもかかわらず、なおも神への奉仕について語っているのだ!現在、あなたは多くの教会を指導するよう求められているが、自分自身の身を完全に捧げていないどころか、独自の観念や意見に執着し、「これはこのように行うべきだと思う、神は他者に抑えつけられるべきではないと言っているし、今日では盲従すべきではないからだ」などと言ったりする。そのため皆がそれぞれ自分の意見に固執し、誰も互いに従おうとはしない。自分の奉仕が行き詰まっていることは明らかに知っていながら、やはりこのように言うのだ。「私の見るところでは、私のやり方はそれほど的を外れていない。いずれにしても、皆にそれぞれの立場というものがある。あなたはあなたの立場で、私は私の立場で話す。あなたは自分の視点について説教し、私は自分のいのちの入りについて語るのだ」。取り扱わなければならない多くのことについては一切責任を持たず、あるいは、ただ間に合わせで対処し、一人ひとりが自分の意見をぶちまけ、用心深く自分自身の地位、評判、体面を守っている。誰も謙虚になろうとはせず、いずれの側も、いのちをより迅速に進歩させられるよう率先して自分の身を捧げ互いの不足を補い合おうとすることがない。あなたがたがともに調和して働くとき、あなたがたは真理を探し求めることを学ぶべきである。あなたがたは、このように言うこともできる。「真理のこの側面について、自分は明確に理解していない。それについて、あなたはどのような経験を持っているだろうか。」あるいは、このようにも言えるだろう。「これについてはあなたのほうが経験豊富だから、少し手ほどきをしてもらえないだろうか。」それが良いやり方というものではないか。あなたがたはこれまでに多くの説教を聞いてきて、奉仕においてもいくらかの経験がある。あなたがたが教会で働くとき、互いに学び合い、助け合い、欠点を補い合うことなくして、どうして教訓を学ぶことができようか。あなたがたは何かに遭遇するたびに、あなたがたのいのちに利益を与えられるように互いと交わらなければならない。そればかりでなく、どのような事柄についてであれ、なんらかの決断を下す前には、慎重に交わり合うべきである。そうして初めて、ただおざなりに形ばかりの行動をするのでなく、教会に対して責任を持つことになるのである。すべての教会を訪ね終えたら、皆で集まって、見出したすべての事柄や仕事の中で直面したあらゆる問題について説教を行い、そしてあなたがたが得た啓きと照らしについて話し合いなさい。これは奉仕において絶対に欠くことのできない実践である。あなたがたは神の働きのため、教会の利益のため、そして兄弟姉妹たちを激励して前進させるために、調和の取れた協力関係を作り上げなければならない。互いに協調し、それぞれが相手を正してより優れた成果を成し遂げることで、神の旨に配慮すべきである。それが真の協力というものであり、それに取り組む者のみが、真のいのちの入りを遂げるのである。協力を行う中で話す言葉には不適切なものもあるかもしれないが、それは問題ではない。後でそれについて交わりを持ち、明確な理解を得るようにしなさい。その問題を放置してはいけない。そのような交わりを持った後で、兄弟や姉妹の不足を補うことができる。このように深く自分の仕事に携わって初めて、より優れた成果を成し遂げることができるのである。あなたがたは一人ひとりが神に仕える者として、自分自身の利益のみを考えるのではなく、そのあらゆる行いにおいて教会の利益を守ることができなければならない。常に互いを暗に批判しながら、一人だけで行動するということは認められない。そのように行動する人々は、神に仕える者としてふさわしくない!そのような人々はひどい性質を持っており、彼らの中にはわずかな人間性も残っていない。彼らは完全にサタンである!彼らは獣である!現在でさえ、いまだにこのようなことがあなたがたの間で起こっている。しまいにあなたがたは、交わりの最中に互いを攻撃し合い、わざと口実を探しては顔を真っ赤にしてつまらないことで言い争い、どちらも自分が引き下がろうとはせず、それぞれが心の内を隠しつつ、一心に相手を警戒して常に身構えている。そのような性質が、神への奉仕にふさわしいと言えるだろうか。そのような仕事が、兄弟姉妹たちに何かを与えることになるだろうか。あなたは人々を正しいいのちの道に導くことができないばかりでなく、実際自分自身の堕落した性質を兄弟姉妹たちに刷り込んでいるのだ。あなたは他者を傷つけていないか。あなたの良心はひどいもので、芯まで腐っている。あなたは現実に入ることもなければ、真実を実践することもない。さらに、自分の極悪な本性を恥もなく他者にさらけ出している。あなたはとにかく恥というものを知らない。こうした兄弟姉妹たちはあなたに託されたものであるのに、あなたは彼らを地獄へと導いている。あなたは良心の腐りきった者ではなかろうか。完全な恥知らずである!

『神の出現と働き』「イスラエルの民のように神に仕える」(『言葉』第1巻)より

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