日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 343
わたしは地上で多くの働きを行ない、人類の間を長年にわたって歩んできた。しかし人々はわたしの姿と性質とについてほとんど認識を持たず、ほとんどの人はわたしが行なう働きについて十分に説明できない。人には欠けるものがとても多く、わたしが行なうことについての理解も常に欠けている。わた…
もしあなたが完全にされることができるなら、見合わねばならない基準がある。あなたの決意、忍耐、良心を通して、またあなたの追求を通して、あなたはいのちを体験し、神の心を成就することができる。これらはあなたの入ることで、完全への道に要求されることである。完全になるための働きはすべての人々に成すことができる。神を追い求める人は誰でも、完全にされることができ、完全にされるための機会と資格が備わっている。ここには鉄則はない。人が完全にされるかどうかは、主にその人が追い求めているものによる。真理を愛し、真理を生きることができる人たちは確かに完全にされることができる。そして、真理を愛さず、神に褒められない人たちは、神が要求するいのちを持っていない。このような人たちは完全にされることはない。完全のための働きは人々を獲得するためだけにあり、サタンとの戦いのステップではない。征服の働きはサタンと戦うためだけに、つまり、サタンを打ち破るために人の征服を用いることを意味する。後者が主な働きであり、どんな時代にも決して成されることはなかった最新の働きである。サタンを打ち負かすよう全ての人たちを征服することがこの段階の主な働きの目標であると言うことができる。人々を完全にする働き──それは新しい働きではない。神が肉において働いている期間中での全ての働きは、人々の征服をその主要目標として持っている。これは恵みの時代の時と同様である。十字架の磔による全人類の贖いが主な働きであった。「人々を獲得すること」とは肉における働きに追加されたもので、十字架の磔の後だけになされた。イエスがやって来て、その働きをした時、イエスの目標は十字架の磔によって死のくびきとハデスに対して勝利することで、サタンの影響に勝利し、サタンを打ち負かすことだった。ペテロが一歩ずつ完全への道に乗り出したのは、イエスが十字架にかかった後のことだった。もちろん、ペテロはイエスが働いている間、イエスに従った人たちの中にいたが、彼はその時はまだ完全にされていなかった。ペテロが次第に真理を理解し、そして完全にされていったのは、むしろイエスが働きを終えた後だった。肉となった神は、重要できわめて重大な働きの段階を完了するためだけに短期間地上にやって来る。彼は地上の人々の中に長い間住んで、意図的に人々を完全にするのではない。彼はそのようには働かない。人が彼の働きを終えるために完全にされるその時まで、彼は待つことはしない。それが神の受肉の目標や意義ではない。彼は人間を救うために短期間の働きをするためにやって来たのであって、人間を完全にするため長期間働くためにやって来たのではない。人間の救いの働きは代表的なものであり、新しい時代に突入することができ、短期間に終わることができる。しかし、人間を完全にするには人をある程度のレベルまで持ってくる必要があり、長い時間がかかる働きである。この働きは神の霊によって成されなければならないが、肉において働いている間、神が語る真理に基づいて成される。あるいはその上に、神が人間を完全にする目標を達成するために、長期間の人の牧養を目的として、使徒たちを育てる。人となった神はこの働きをしない。神が人に真理を実践させるにあたり、常に人に付き添うというのは本来の使命ではないため、神はそのようなことはせず、ただいのちの道について語り、人々に理解させ、真理を与えるだけである。だから、神は人が真理を完全に理解し、真理を完全に手に入れるまで、人に同行するということはしないだろう。人が正式にいのちの真理の正しい道に入るとき、そして人が完全にされるための正しい道に踏み出すとき、肉における神の働きは終わりとなる。これはもちろん神が完全にサタンを負かし、世界に勝利する時でもある。神は人がその時、最終的に真理に入ったかどうかを気にするのでもなく、人のいのちが大きいか小さいかを気にするのでもない。それらのうちどちらも、肉の中の神が管理すべきことではない。肉となった神の働きにあるのでもない。神が一旦意図した働きを終えると、肉における神の働きを終える。だから人となった神がする働きは、神の霊が直接できない働きのみである。さらに、それは短期間の救いの働きで、地上での長期にわたる働きではない。
『神の出現と働き』「完全にされた者だけが意義ある人生を生きられる」(『言葉』第1巻)より
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わたしが語った語句の全てには、神の性質が含まれている。わたしの言葉を慎重に熟考するとよい。必ずそれらから多くの利益を得るであろう。神の本質を把握することは非常に難しいが、わたしはあなたがた全員に神の性質について少なくともいくらかの認識があると信じている。ゆえにわたしは、あなたがた…
神の国の時代が始まるや否や、神は自身の言葉を放ち始めた。未来において、これらの言葉が徐々に成就していくだろう。そしてそのときには、人はいのちへと成長するだろう。人の堕落した性質を明らかにするために神が言葉を用いることは、より現実的であり、そしてより必要である。そして神は、人の信仰…
神による各段階の働きには実質的な意義がある。イエスが来た時男性であったが、今回は女性である。このことから、神はその働きのために男と女の両方を造ったが、神には性の区別がないことがわかる。神の霊が来るとき、それは意のままにいかなる肉体でも持つことができ、その肉体が神を表す。男性であろ…