日々の神の御言葉: 終わりの日における裁き | 抜粋 81
どの時代においても、神は自身の働きを繰り返さない。終わりの日が到来したので、神は終わりの日に行なう働きを行ない、終わりの日における自身の性質を余すところなく現わす。終わりの日と言うとき、それは別の時代を指しており、その際イエスは、あなたがたは必ずや災害に見舞われ、地震、飢饉…
神を知ることは、神の言葉を読んで理解することを通じて達成されなければなりません。「わたしは受肉した神を見たことがない。それでどうして神を知っているというのか」と言う人がいます。実のところ、神の言葉は神の性質の表現です。神の言葉から、人間に対する神の愛と救い、そして人間を救う神の方法などを見ることができます。神の言葉は人間によって書かれるのではなく、神自身によって表現されるからです。それらは神によって直々に表現されるのであり、神自身がその言葉と内なる声を表現しているのです。それらが心からの言葉だと言われるのはなぜですか。なぜなら、それらは奥深くから発せられ、神の性質、心、考え、人類への愛、人類の救い、人類への期待などを表現しているからです。神の発する言葉には厳しい言葉もあれば優しく思慮深い言葉もあり、また人類の望みと一致しない暴きの言葉もあります。暴きの言葉にしか目を向けなければ、神はいささか厳しいと感じるでしょう。優しい言葉にしか目を向けなければ、神にはさほど権威がないかのように感じるでしょう。ゆえに、神の言葉を文脈から切り離すのではなく、むしろあらゆる角度から見なければなりません。神が優しく憐れみ深い視点から語るときがあり、そのとき人々は神の人類への愛を見ます。神が非常に厳格な観点から語るときもあり、そのとき人々は一切の背きを許さない神の性質を見ます。人間はひどく汚れており、神の顔を見たり神の前に出たりする価値はありません。今、人々が神の前に出られるのは、ひとえに神の恵みによるものです。神の知恵は、神が働きを行なう方法や、神の働きの意義に見ることができます。しかも人々は神と直に接触しなくても、神の言葉の中にこれらの物事を見ることができるのです。真に神を知る人がキリストと接触するとき、その出会いは、その人がすでに有している神の認識と一致することができますが、理論でしか理解していない人が神と出会っても、その相互関係はわかりません。真理のこの側面は奥義の中で最も深いものであり、理解するのは困難です。受肉の奥義に関する神の言葉を要約し、あらゆる角度から見つめた上で、ともに祈り、真理のこの側面についてさらに考え、話し合いなさい。そうする中で、聖霊の啓きを得て理解できるようになります。人には神と直に接触する機会がないのですから、神について真の認識を獲得するには、そうした経験に頼って模索し、少しずつ入っていかなければなりません。
『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」(『言葉』第3巻)より
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どの時代においても、神は自身の働きを繰り返さない。終わりの日が到来したので、神は終わりの日に行なう働きを行ない、終わりの日における自身の性質を余すところなく現わす。終わりの日と言うとき、それは別の時代を指しており、その際イエスは、あなたがたは必ずや災害に見舞われ、地震、飢饉…
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