日々の神の御言葉: 宗教的観念を暴く | 抜粋 295
わたしは人々の間で多くの働きをしてきた。わたしがその間に発した言葉は数多くある。これらの言葉は人間の救済のためで、人間がわたしと融和するようにと発したものである。しかし、わたしと融和する者は、地上ではほんの数名しか得ていない。だから、人間はわたしの言葉を重んじないとわたしは言う。…
創造の時以来、神の性質は神の業の段階と調和している。人間に隠されていたことはなく、むしろ完全な形で公に現されており、また人間がわかるような平易な形で現されている。それでも、時が経つと共に、人間の心はこれまでにないほどに神から遠くなり、人間の腐敗が進むにつれ、人間は神からますます離れていった。ゆっくりと、しかし確実に、人間は神の視界から消えていった。人間は神を「見る」ことができなくなり、人間には神からの「知らせ」は何も届かなくなった。人間は神が存在するかどうかが分からなくなり、それだけでなく、神の存在を完全に否定するほど離れてしまったのである。結局、人間の神の性質と神であることに対する無知は、神が人間から隠されていることが原因ではなく、人間の心が神に背いていることが原因なのである。人間が神を信じていても、その心には神がいないままであり、神をどう愛するかも分からず、神を愛したいとも思わない。人間の心は神に近付いたことがなく、常に神を避けているからである。その結果、人間の心は神から遠く離れてしまっている。では人間の心はどこにあるのか。実際には、人間の心はどこかに行ってしまったわけではない。人間は自分の心を神に明け渡したり、神に見て頂こうと神の前に明らかにする代わりに、自分の中に閉じ込めてしまった。「ああ神様、私の心を見てください。あなたは私の考えることを全てご存知です」などとしばしば祈る人もあり、中には自分の心を神の前に明らかにすると誓い、誓いを守らなければ罰を受けることすら厭わないとまで言うが、事実はその逆なのである。たとえ人間が、神に自分の心を見せたとしても、それは人間が神の導きと采配に従えるという意味でもなく、自分の運命や将来を手放し、全てを神の支配に委ねるという意味でもない。したがって、あなたが神に立てる誓いや、あなたの神への態度に関わらず、あなたの心は神の目には閉ざされたままなのである。神に自分の心を見せはしても、それを支配することは許可していないのだから。別の言い方をすれば、あなたは神に自分の心を捧げてなどおらず、神に対して聞こえのいい言葉を並べているに過ぎないのである。一方で、あなたはいくつもの悪賢い考えや企て、陰謀、計画を神には見られないようにし、自分の将来と運命を神に取り上げられるのではないかと深く恐れて手放そうとしない。このように、人間の神に対する誠実さというものを、神は見ることがない。神は人間の心の奥深くを見ており、人間の考えや願い、人間が心にしまい込んであるものを見ることができるが、それでも人間の心は神に属しておらず、人間はその心を神に明け渡してもいない。つまり、神に人間の心を見る権利があっても、それを支配する権利はないのである。主観的な認識に囚われて、人間は自分を神の意のままにして欲しいとも、してもらおうとも思わない。神から自らを閉ざし、それだけでなく、どうしたら自分の心を覆い隠せるかを考えようとさえする。聞こえのよい言葉とお世辞を並べてその印象を偽り、そうすることで神の信頼を得、本当の姿を神の目から隠そうとするのである。人間が神にその心を見せたがらないのは、人間が自分の本当の姿を神に知られたくないからである。彼らは神に心を明け渡したいとは思わず、手放さずにいたいと思っている。人間は自分がすること、欲することは全て自分で計画済みで計算済みで、自分で決定済みだということなのである。神に自分の計画に参加してもらう必要も、仲介してもらう必要もなく、ましてや神の指揮や采配など無用なのである。したがって、神の命令、神が与える任務、あるいは神が人間に要求することに関わらず、人間は自分の考えや利益に基づいて判断し、その時の状態や状況に沿って判断するのである。人間は常に自分が馴染みのある知識と見識、そして自分の知性を使ってゆくべき道を判断し選択し、神が仲介し制御することを許さない。これが神から見た人間の心である。
創造のはじめから今日まで、人間だけが神と対話できる存在である。つまり、全ての生き物および被造物の中で、人間だけが神と対話できるということである。人間には聞くための耳があり、見るための目があり、言葉を持ち、自分の考え、そして自由意志を持っている。人間は神が語るのを聞き、神の心を理解し、神に与えられた任務を受け容れるために必要なもの全てを持ち合わせており、そのような人間に対して、神は自身のあらゆる望みを置き、自身と同じ心を持ち、語り合うことのできる友となりたいと考える。神が経営を始めて以来、神は人間にその心を捧げてほしい、そうすることで清められ、整えられ、神が満足できるものとなり愛されるものとなり、神を敬い悪を避けるものとなって欲しいと願っている。神は人間がそのようになる日を心待ちにしている。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 2」(『言葉』第2巻)より
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