日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 109

神がソドムを破壊したことに、あなたがたは神の怒りの本質を見ることができますか。神の怒りの中に、別の何かが混ざっていますか。神の怒りは純粋ですか。人間の言葉で言うと、神の怒りは汚染されていませんか。神の怒りの背後に何か策略はありますか。陰謀はありますか。口にできない秘密がありますか。わたしは断固として厳粛に言えます。神の怒りには、人が疑いをもつような部分は含まれていません。神の怒りは純粋で混じり物のない怒りであり、他の意図や目的を含んでいません。神の怒りの背後にある理由は純粋であり、一点の非もなく、非難する余地もありません。それは神の聖なる本質の自然な明示であり、いかなる被造物にもないものです。これは神の唯一無二で義なる性質の一部であり、創造主と被造物の本質における顕著な相違点の一つです。

他人の前で怒ろうと、陰で怒ろうと、人が怒るとき、そこには必ず様々な意図と目的があります。自分の威信を高めようとしている場合、自らの利益を守ろうとしている場合、自分の外聞や面目を保とうとしている場合などがあります。自分の怒りを抑えるようとする人もいれば、まったく抑えようとせず、好きなときに心ゆくまで怒りを露わにする人もいます。つまり、人間の怒りは、その堕落した性質に由来するのです。目的が何であれ、怒りは人間の肉や本性から来るもので、義や不義とは無関係です。なぜなら、人間の本性実質には真理に相当するものが皆無だからです。したがって、堕落した人類の不機嫌と神の怒りを、同じ次元で議論するべきではありません。サタンに堕落させられた人間の行動は、例外なく堕落を保護したいという願望から始まり、堕落に基づいています。だから、人間の怒りと神の怒りは、人間の怒りが理論上どれほど妥当であるように思われようと、同じ次元で議論すべきではありません。神が怒りを示すとき、邪悪な勢力が阻止され、邪悪な物事が破壊される一方、義であり肯定的な物事は、神の慈しみと保護を与えられ、存続することが許されます。神が怒りを伝えるのは、不義で否定的で邪悪な物事が、正義で肯定的な物事の通常の活動と発達を妨害し、攪乱し、破壊するからです。神の怒りの目的は神自身の地位や身分を守るためではなく、義であり、肯定的であり、美しく善なるもの、そして人類の正常な生存の掟と秩序を守るためです。これが神の怒りの根本的な原因です。神の怒りは極めて適切で、自然であり、神の性質の真の明示です。神の怒りには、隠れた意図がなく、虚偽や策略もなく、欲望も狡猾さも悪意も暴力も邪悪も、その他の堕落した人類に共通する特徴も一切存在しません。怒りを伝える前に、神はすでにあらゆる物事の本質を極めて明瞭かつ完全に把握しており、また正確かつ明瞭な定義と結論を導き出しています。それゆえ、神のあらゆる業の目的は、神の姿勢と同様、極めて明確です。神の心に混乱はなく、神は盲目でも、衝動的でも、軽率でもなく、そしてなによりも無原則ではありません。これが神の怒りの実践的側面であり、この側面のため、人類は普通の存在を達成したのです。神の怒りがなければ、人類は異常な生活条件へと陥り、義であり、美しく善良なものはすべて破壊され、消滅するでしょう。神の怒りなくしては、被造物のための生存の掟と法則は破壊され、完全に転覆されることさえあるでしょう。人間が造られて以来、神は義の性質により人類の正常な生活を守り維持し続けています。神の義なる性質に怒りと威厳が含まれているため、邪悪な人や物事、人類の普通の生活を阻害し損なうあらゆるものが、神の怒りによる罰を受け、制限され、破壊されます。過去数千年間にわたり、神は義なる性質により、神の人類経営において神に反抗しサタンの僕や手先として行動するあらゆる不浄な悪霊を倒し、破壊し続けてきました。このように、人類を救う神の働きは、常に神の計画に従って進行してきました。つまり、神の怒りの存在のおかげで、人間による最も義なる営みは破壊されたことがないのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 2」(『言葉』第2巻)より

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