日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 18
神を畏れることの出発点は神を神として扱うこと 少し前に、ある人から質問がありました。わたしたちはヨブよりも神について認識が多いにもかかわらず、人間が神を畏れられないのはなぜか、という質問です。この問題には以前少しだけ触れました。実のところ、この問題の本質についても以前に話し合いま…
聖書とはどのような書物なのか。旧約は律法の時代における神の働きである。旧約聖書は律法の時代におけるヤーウェの働きと、創造の働きを残らず記録している。そのすべてがヤーウェの行なった働きを記録しており、最後はマラキ書のヤーウェによる働きの記述で終わっている。旧約は神の行なった二つの働きを記録している。一つは創造の働き、もう一つは律法の布告である。どちらもヤーウェが行なった働きである。律法の時代はヤーウェ神の名のもとで行なわれた働きを表わしており、おもにヤーウェの名のもとで行なわれた働きの総体である。したがって、旧約はヤーウェの働きを記録しており、新約はイエスの働き、おもにイエスの名のもとで行なわれた働きを記録している。イエスの名の意義と彼が行なった働きは、その大半が新約に記録されている。旧約の律法の時代、ヤーウェはイスラエルに神殿と祭壇を築き、地上におけるイスラエル人の生活を導いたのだが、そのことは、彼らがヤーウェの選民、つまり神が地上で最初に選んだ集団で、神の心にかなう者であり、神が自ら導いた最初の集団であることを証明した。イスラエルの十二部族がヤーウェの最初の選民であり、ゆえにヤーウェは律法の時代における自身の働きが終わるまで、絶えず彼らの中で働いた。第二段階の働きは新約の恵みの時代の働きで、イスラエルの十二部族の一つ、ユダヤの民の間で行なわれた。その働きの範囲が狭かったのは、イエスが受肉した神だったからである。イエスはユダヤの全土でしか働かず、三年半の間だけ働いた。ゆえに、新約に記録されたものは、旧約に記録された働きの量を到底超えられないのである。
『神の出現と働き』「聖書について(1)」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
神を畏れることの出発点は神を神として扱うこと 少し前に、ある人から質問がありました。わたしたちはヨブよりも神について認識が多いにもかかわらず、人間が神を畏れられないのはなぜか、という質問です。この問題には以前少しだけ触れました。実のところ、この問題の本質についても以前に話し合いま…
人間が本分を尽くすということは、実際のところ、人間に本来備わっているもの、即ち、人間に可能なことをすべて成し遂げることである。すると、人間は自分の本分を尽くしたことになる。奉仕する最中の人間の欠点は、徐々に経験を積むことと裁きを体験する過程を通して少しずつ減少する。それらは人…
わたしに完全に従うことができない行為は裏切りである。わたしに忠実であることができない行為は裏切りである。わたしをごまかし、嘘でわたしを騙すことは裏切りである。多くの観念を抱き、至る所でそれらを広めることは裏切りである。わたしの証しと利益を護れないことは裏切りである。心の中ではわた…
現段階においては、まず真理を知り、次にそれを実践し、真理の本当の意味をさらに身につけることが極めて重要である。あなたがたはその達成を追い求めるべきである。他人を自分の言葉に従わせることを追い求めるだけでなく、他人に自分の実践を見習わせなければならない。そうすることでのみ、あなたは…