神は人の結末をその人の本質によって決定する


人が最終的に生存できるのは、

彼らが神の要求を達成したからだ。

しかし最後の安息の中に生きられないなら、

それは神に不従順で神を喜ばせることが出来ないからだ。

子どもの悪や義を、親へ転嫁することはできない。

又、親の悪や義を子と分かち合うことは出来ない。

人それぞれに価する終着点がある。

それは人の本質によって決定される。

その終着点は他人とは関係ない。


人それぞれの罪と祝福を

他人と交換することは出来ない。

もし義を行うなら、その人は正しく、

もし悪を行うなら、その人は悪を為す者だ。

義を行う者は必ず生き残り、

悪を行う者には破滅が待っている。

人が聖なる者なら、その人には、しみが一つもない。

けがれた者には、聖いところが一つもない。

人それぞれに価する終着点がある。

それは人の本質によって決定される。

その終着点は他人とは関係ない。


たとえ悪を為す者の子が正しく、

正しい人の親が邪悪であっても、

邪悪な人びとは破滅すべきで、

正しい人びとには生存が待っている。

夫は信じ、妻が信じなくても、

子どもは信じ、親が信じなくても、

そこには何の関係もない。

それらは相容れない二つのタイプである。

人それぞれに価する終着点がある。

それは人の本質によって決定される。

その終着点は他人とは関係ない。


だから人が安息に入る前に、

その周りには肉親がいる。

しかし一度安息に入ると、

言及すべき肉親はいない。

人が本分を尽くせば、その人は尽くさない人にとって敵となる。

神を愛する者は神を憎む者の敵である。

そして安息に入る者は、

滅ぼされる者とは相容れない。

人それぞれに価する終着点がある。

それは人の本質によって決定される。

その終着点は他人とは関係ない。

『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より編集

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