受肉した神は人のもとで長い間暮らしてきた

したとき、人間の様々な生活様式を経験し、目の当たりにした後、自ら経験したときに考えたのは、どうすれば良い生活を送れるか、どうすれば一層自由で快適な生活が送れるか、といったことではない。主イエスが実際の人間生活を経験した時、イエスは腐敗の中で生きる人々がいかに無力であるかを経験し、また罪の中で生き、サタンや悪による拷問のなかで迷う人々の悲劇を見て、経験した。見た事柄のすべてが、神が肉にあって行った業の重要性と必要性を自身に強く感じさせた。

この過程において、主イエスは、自身が行う必要のある業と、自身に託された物事を、一層明確に理解した、と言えるであろう。またイエスは、自身が行う業を完遂させたいという希望を徐々に強めていった。人間のあらゆる罪を負い、人間を贖い、そうすることで人間が罪の中で生きることがなくなり、罪のためのいけにえにより自身が人間の罪を忘れることができるように、そしてそれにより人類の救いの業を一層進展させたいという思いを、徐々に強めていった。主イエスは、心のなかで、自らを人類に進んで捧げ、自らを進んで犠牲にした、と言えるであろう。またイエスは進んで罪のためのいけにえとなり、十字架にはり付けになり、この業を完遂することを望んでいた。イエスが人間生活の悲惨な状態を見た時、一分一秒も遅れることなく、早急に自身の使命を成し遂げることを、一層強く求めた。

こうした喫緊の必要性を認識した時、イエスは自身の受ける痛みがどれほど酷いものか、どれほどの恥辱に耐えなければならないかなどとは考えていなかった。イエスの心にあったのは、自らを捧げ、罪のためのいけにえとして十字架にはり付けられる限りにおいて、神の旨が実行されて新たな業を始めることが出来る、罪の中にある人間生活、罪の中に存在する人間の状態が全く別のものに一変する、という確信のみであった。イエスの確信と、実行を決意した業は、人間の救いに関連するものであり、イエスの唯一の目的は、神の旨を行って業の次の段階を開始出来るようにすることであった。この時主イエスの心にあったのは、そのようなことであった。

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 3」より編集

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