イエスの復活後の出現の意義

神は、人々が自身を回避したり、自身の前から立ち去ったりするのを望まなかった。神は、人々が自身を理解し、自身に近づき、自身の家族となることを望んでいた。そこで、復活後、主イエスは肉と血のある姿で人々の前に現れ、人々と飲食を共にしたのである。神は人々を家族と考え、また人々にも神を家族と考えることを望む。なぜなら、神が真に人々を得て人々が真に神を愛し、礼拝することが出来るのは、この方法によるほかはないからである。主イエスが復活後に述べた言葉と行った業は、思いやりがあるものであり、親切な旨をもって行ったものである、と言えるであろう。こうした言葉や業は、神の人間に対する親切さと愛情、神が受肉した時に築き上げられた人間との親密な関係に対する認識と周到な慈しみに満たされていた。さらに、そうした言葉と業は、受肉した神が自身に付き従う者と飲食を共にしていた頃に対する懐古と希望で満たされていた。

人間が神との間に距離を感じることも、人間が神から距離を置くことも、神は望まなかった。さらに、神は復活した主イエスが、もはや人間と親密であった時の主ではない、また主が霊の世界、人間が決して見ることも触れることも出来ない神の元へ戻ったので、もはや人間と共にはいない、と感じることを望まなかった。神は、自身と人間との立場に相違があると人間が感じることを望まなかった。神に付き従いたいと望みながら、神との間に敬意として相応しい距離を置いていた人間を神が見た時、神は心を傷めた。なぜなら、それは人間の心が神から遠く離れていること、神が人間の心を得るのは極めて困難であることを意味するからである。

こうしたイエスの業により、主イエスと会った人々は皆、イエスが変わっていないと感じた。イエスは十字架にはり付けられ、死んだのだが、復活し、人間から去っては居なかった。イエスは人間の中に戻り、しかも全く変わっていなかった。こうした人の子の姿により、人々はそうした親密さを感じ、くつろぎを感じ、失った何かを取り戻した喜びを感じ、また人々は安心できたので、果敢かつ確信をもって、人類の罪を贖うことのできる人の子を頼りとして敬うようになった。また人々は、主の恵みと祝福を得、主からの平和と喜び、そして慈しみと保護を得るため、

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 3」より編集

前へ: 神は人類の悪と堕落を悲しむ

次へ: 神は人の永遠の支え

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

肉となった神が現れた時に示す権威と力

「神の言葉が肉となる」という意味は 「神の言葉が肉体から発される」ということ この事実を成し遂げるために 神は地上に降りたのだ 旧約聖書のモーセの時代に 神が天から語るのとは違う それは千年の神の国の時代で実現し 全ての人々がその目で  そのとおりの成就を見られる これは神…

あなたは永遠のいのちの源を知っているか

神は人の命の源であり 天と地は神の力によって生きている 命ある全てのものたちは 神の支配と権威から逃れられない あなたが何者であったとしても 人々は神に従わなくてはならない そしてまた人は 神の支配と神の命令に服従しなければならない あなたは熱意を持って 命と真理を探しているか…

人間の意図はみな何のためなのか?

信者でない子供や親戚を 教会の中へと引き込む者たちはみな 自己中心で親切心を示している 人々が信じているかどうか この行いが神の意志に沿うかどうかに関わらず 彼らはただ愛だけを強調する 神の前に妻や両親を連れてくる人もいるが 聖霊が同意するかどうか 働きを行うかどうかに関わらず…

神は人をかけがえのない存在として見守る

神は人々を創った全ての人を創った 人が神に従っても 逆に人が堕落したとしても 神は人々を見守る 全ての人を見守る かけがえのない存在として かけがえのない我が子のように 人々は神にとって おもちゃではない 神は創造主であり 人は神の被造物である そう言うと神と人との階級が異なるよ…

設定

  • 文章
  • テーマ

単色

テーマ

フォント

文字サイズ

行間

行間

ページ幅

目次

検索する

  • 表示テキスト内検索
  • 全文検索