言葉は肉において現れる

目次

闇の影響から脱すれば神により得られるであろう

闇の影響とは何であろうか。

闇の影響とは、サタンの呪縛と影響であり、死の霊気のある影響である。

神に対して誠実な祈りを捧げた後、あなたがたは神を自分の心の全てのよりどころとする。この時点において、あなたがたは、自分の心が神の霊により感激させられ、自分を完全に捧げることを望み、この時点で闇の影響から脱している。ある者の全ての行いが神にとって満足であり、神の要求に適しているならば、その者は神の言葉の中で、神の慈しみと守りを受けて生きる者である。人間が神の言葉を実践できず、常に神を欺き、神に対していい加減な行いをして、神の存在を信じないのであれば、そうした者は全て闇の影響を受けて生きている。神の救いを受けていない者は、全員サタンの領域で生活している。すなわち、そうした者全てが闇の影響を受けて生活している。神を信じない者はサタンの領域で生活している。神の存在を信じる者でさえ、必ずしも神の光の中で生活しているとは限らない。何故なら、神を信じる者は、必ずしも神の言葉の中で生きているとも、神に従うことが出来る者であるとも限らないからである。人間は単に神を信じ、そして神を知ることが出来ないことが原因となって、依然として旧来の規則や死んだ言葉の中で生活し、また暗く不確実な生活を送っており、神により完全に浄化されても、得られてもいない。したがって、神を信じない者は闇の影響下で生活していることは当然である一方、神を信じる者でさえも、依然として闇の影響下で生活していることがある。なぜなら未だに聖霊がそうした者に業を行っていないからである。神の恵みも神の憐れみも授からなかった者、聖霊の業を認識できない者は、全員闇の影響下で生活している。神の恵みを授かっているが神を知らない者もまた、多くの場合は闇の影響下で生活している。神の存在を信じない者が存在意義を失っていることは言うまでも無いが、ある者が神を信じ、しかし人生の大部分を闇の影響下で過ごしたならば、その者も存在意義を失っている。

神の業を受け容れられず、したがって神の要求を満たせない者は闇の影響下で生活している。真理を追求し、神の要求を満たせる者のみが、神の祝福を受け、闇の影響から脱することができるであろう。

解き放たれて居らず、何らかの物事により常に支配され、神に心を捧げられない者は、サタンに呪縛されたものであり、死の霊気の下で生活している。

自分の本分と神の委託に不忠な者、教会で自分の役割を果たさない者は、闇の影響下で生活している。

教会生活を故意に阻害し、兄弟姉妹間の関係を故意に破壊する者、独自に徒党を組む者は、闇の影響下の一層深部で生活している。そうした者はサタンの呪縛の中で生活している。

神と不適切な関係にある者、とりとめも無い欲望が常にある者、常に何らかの利益を得ようとする者、自らの性情の変化を一切求めない者は、闇の影響下で生活する者である。

常に自堕落な者、真理の実践に対して真剣でない者、神の願望を満たすことを求めず、自らの肉のみを満たそうとする者もまた、闇の影響下で生活し、死に囲まれている者である。

神のための業を行う時に不正や偽りに身を染める者、ぞんざいに神に応じる者、神を欺す者、常に自分の事だけ考える者は、闇の影響下で生活する者である。

神を誠実に愛せない者、真理を追求しない者、自分の性情を変化させることに重点を置かない者は、全て闇の影響下で生活する者である。

あなたがたは、神に讃美されたいならば、まずサタンによる闇の影響から脱し、心を神に対して開いて神を心のよりどころとする必要がある。あなたがたが現在行っている物事は、神に称賛されているだろうか。あなたがたは神を自分の心のよりどころとしているだろうか。あなたがたが行った事は、神があなたがたに要求された事であっただろうか。そうした行いは真理に適合しているであろうか。あなたがたは常に自分を検証し、神の言葉を食べ飲みすることに集中し、自分の心を神の前に示し、誠実に神を愛し、献身的に自らを神のために費やす必要がある。そうした者は必ずや神の称賛を受けるであろう。

正直に生活していない者、人の影では人前で振る舞うのと違う振る舞い方をする者、謙遜、信望、そして愛を示すが、本質的に狡猾で悪賢く神への忠義が全く無い者は、闇の影響下で生きる者の典型的な代表例である。そうした者は、へびと同類である。

神への信仰が常に自分の利得のためである者、独善的で横柄な者、自分を誇示する者、自分の地位を守る者は、サタンを愛し真理に反抗する者である。そうした者は神を拒み、完全にサタンに属する者である。

神の重荷に配慮しない者、心の全てで神に仕えない者、常に自分や自分の家族の利益のことを考えている者、全てを捨てて神のために自らを費やせない者、一切神の言葉に基づいて生活しない者は、神の言葉の外で生活している。そうした者が神の称賛を受けることは有り得ない。

神が人間を造った時、人間は神の豊かさを享受し、神を真に愛するためであって、人間はそのようにして神の光の中で生きた。現在、神を愛すことの出来ない者、神の重荷に配慮しない者、自らの心を完全に神に捧げない者、神の心を自分の心とすることが出来ない者、神の重荷を自分の重荷として負うことが出来ない者には、神の光が照らされておらず、それゆえそうした者は全員、闇の影響下で生活している。そうした者は神の旨に反する道を歩み、そうした者の行動には真理が微塵もなく、サタンと共謀している。そうした者は闇の影響下で生活している。あなたがたが常に神の言葉を食べ飲み出来るとともに、神の旨に配慮し、神の言葉を実践するならば、あなたがたは神のものであり、神の言葉の中で生きている者である。あなたがたは、サタンの領域を脱して神の光の中で生きることを望んでいるであろうか。あなたがたが神の言葉の中で生きるならば、聖霊には神の業を行う機会があるであろう。あなたがたがサタンの影響下で生きるならば、聖霊には業を行う機会が無いであろう。聖霊が人間に対して行う業、神が人間を照らす光、神が人間に対して与える確信は、ほんの一瞬しか維持されない。人間が不注意で配慮を怠ったならば聖霊が行う業は人間から消え去るであろう。人間が神の言葉の中で生きるならば、聖霊は人間の中に存在して人間に対して業を行うであろう。人間が神の言葉の中で生活していないならば、そうした人間はサタンの呪縛の中で生きている。堕落した性情の中で生活する者には聖霊もその業も存在しない。あなたがたが神の言葉の圏内で生活し、神に要求された状態で生活しているならば、あなたがたは神のものであり、あなたがたに対して神の業が行われるであろう。あなたがたが神の要求の圏内ではなく、サタンの領域で生活しているならば、あなたがたがサタンの堕落の下で生活していることは確実である。神の言葉の中で生活し、神に自分の心を捧げることによってのみ、あなたがたは神の要求を満たすことができる。あなたがたは神の言う通りに行動し、神の言葉を自分の存在の基礎とし、人生の現実としなければならず、そうして初めて、あなたがたは神のものとなるであろう。あなたがたが神の旨に従って真面目に実践するならば、神はあなたがたに対して業を行い、神の恵みの下、神の姿の光の中で生活し聖霊が行う業を把握し、神の存在の喜びを感じることが出来るであろう。

闇の影響から脱するには、まず神に対して忠実であり、真理を求める熱意がなければならない。そうしてはじめて、あなたがたは正しい状態となるであろう。正しい状態で生活することが、闇の影響から脱する前提条件である。状態が正しくないということは、あなたがたが神に忠実でないこと、真理を追求する熱意が無いことを意味する。ゆえに、闇の影響から脱することは問題外である。人間が闇の影響から脱することは、私の言葉に基づいており、人間が私の言葉に従って実践出来なかった場合、そうした人間は闇の影響の呪縛から脱することが出来ないであろう。正しい状態で生活するということは、神の言葉の指導に従い、神に対して忠実な状態で生活し、神のために真面目に尽くす現実性の中で生活し、神を真に愛する状態で生きることである。こうした状態で、こうした現実性の中で生活する者は、真理に一層真摯に取り組むにつれ、次第に変化するであろう。またそうした者は業の深化とともに変化して、最終的に神に得られることは確実であり、神を真に愛するようになるであろう。闇の影響から脱した者は、次第に神の旨を把握し、神の心を理解し、最終的に神と懇意になることが出来るようになる。そうした者には神に関する観念や神に対する反抗が無いだけでなく、従前抱いていた観念や反逆を一層忌み嫌い、自分の心に神への真の愛が芽生えるようになる。闇の影響から脱することの出来ない者は、肉に捕らわれており、反逆で満たされている。そうした者の心は人間の観念と人生哲学、そして自らの意図と故意で満たされている。神は、人間の単一の愛、そして人間が神の言葉と神に対する人間の愛に満たされることを求めている。神の言葉の中で生活すること、神の言葉の中から人間が追求すべき物事を見出すこと、神の言葉の結果として神を愛すこと、神の言葉のために奔走することは、全て人間が実現すべき事柄である。万事が神の言葉を基礎として構築されている必要があり、そうしてはじめて人間は神の要求を満たすことが出来るであろう。人間が神の言葉を備えていない場合、人間はサタンが所有するうじでしか無い。あなたがたの中に根付いている神の言葉がいくつあるかを、自分の心で斟酌する必要がある。あなたがたの生活の中で、神の言葉に従っている物事は何であろうか。あなたがたの生活の中の物事のうち、神の言葉に従っていなかった物事は何であろうか。神の言葉があなたがたを完全に掌握していないならば、どの程度掌握しているであろうか。自分の日常生活において、あなたがたはサタンに支配されているだろうか、それとも神の言葉に導かれているであろうか。あなたがたの祈りは神の言葉から創始されているであろうか。あなたがたは神の言葉の啓きにより好ましくない状態を脱したことがあるであろうか。こうした物事が、神の言葉を自分の存在基盤とするために、各人が真摯に取り組むべき物事である。神の言葉が自分の生活に不在であれば、あなたがたは闇の影響下で生活し、神に反抗し、神を拒み、神の名を汚している。そうした者の神への信仰は純然たる害意であり侵害である。あなたがたの生活のうち、どの程度が神の言葉に従って過ごされているであろうか。あなたがたの生活のうち、どの程度が神の言葉に従って過ごされていないであろうか。あなたがたは、神の言葉が自分に要求している物事のうち、どの程度を満たしているであろうか。そのうちどの程度があなたがたに欠けているであろうか。あなたがたは、そうした物事を精査したことがあるだろうか。

闇の影響から脱することには、それには聖霊の業が必要であるという側面と、それには人間による献身的協力を要するという側面がある。人間は正しい方向に進んでいないと私が言うのは、何故だろうか。そもそも、人間が正しい方向に進んでいるのであれば、人間は自分の心を神に捧げることが出来るが、それは真摯に取り組むために長期間を要する作業である。なぜなら、数千年にわたって人類は常に闇の影響下で生活し、サタンに拘束されてきたからである。したがって、この真摯な取り組みは1日ないし2日で実現できるものではない。本日この問題を採り上げたのは、人間が自分の状態を把握出来るようにするためである。闇の影響は何か、光の中で生きるとは、どのようなことかという問題については、人間がこうした物事を見極めることが出来るようになって、初めて真摯な取り組みが可能となる。なぜなら、サタンの影響から逃れる前に、まずサタンの影響を知る必要があるからであり、そうした後に、あなたがたはその影響から離れる道を得ることが出来るであろう。その後の行動については、人間自身の問題である。あなたがたは、常に好ましい側面から真摯な取り組みを行い、受動的に待ってはならない。あなたがたが神により得られることを可能とするには、この方法によるほか無い。