正しい道に戻る

アメリカ 陳光

全能神は言われます。「神に仕えることは単純な作業ではない。堕落した性質が変わらないままの人は決して神に仕えることはできない。もしあなたの性質が神の言葉により裁かれ、罰されていないのならば、その性質はいまだにサタンを表している。これは、あなたの奉仕があなた自身の善意から出ていることの十分な証明である。それはサタン的性質にもとづく奉仕である。あなたは自分の元来の性格のまま、また個人的好みに従って神に仕えている。さらに、自分が行いたいことが何であれ、神はそれを喜び、行いたくないことが何であれ、神はそれを嫌うとあなたは思い続けている。そして働きにおいては、自分の好みに完全に左右されている。これを神への奉仕と呼ぶことができるであろうか。あなたのいのちの性質は、究極的には少しも変えられることはない。それどころか、自分は神に仕えているのだからと、ますます頑固になり、そのため、堕落した性質はさらに深く根付いたものとなる。このようにして、おもに自分の性格にもとづいた神への奉仕に関する規則と、自分自身の性質に従った奉仕から派生する経験をあなたは内面的に作り上げるようになる。それらが人間の経験と教訓であり、この世における人間の人生哲学である。このような人々はパリサイ人と宗教官僚に属する。このような人々は目を覚まして悔い改めないならば、必ずや終わりの日に人々を騙す偽キリストおよび反キリストとなる。話に出てくる偽キリストと反キリストは、このような人々の中から現れる(『神の出現と働き』「宗教的な奉仕は一掃されなければならない」〔『言葉』第1巻〕)。特にこの一節、「神に仕えることは単純な作業ではない。堕落した性質が変わらないままの人は決して神に仕えることはできない。もしあなたの性質が神の言葉により裁かれ、罰されていないのならば、その性質はいまだにサタンを表している」この部分に深く感動しました。私は過去に失敗を経験しています。傲慢な性質に基づいて本分を尽くし、自慢ばかりした。人々からあがめられようと口先だけで説き、自分を誇示していました。そして無意識に、神に抵抗する道を歩んでいた。神の御言葉の裁きと暴きによって、ようやく自分が神に抵抗する根源と、自分のサタンの本性に気づき、神に悔い改めたのです。

あれは2013年のことです。教会の指導者に選ばれ、熱心に打ち込んでいました。兄弟姉妹が窮地にあれば、神の御言葉を交わり、解決する手助けをした。みんなは困難が解決されると、通常どおり本分を尽くせました。数カ月が経ち、私の指導者がこう言った。「新参者が多い教会があって、その指導者として君の同労者が君を推薦している」私は自信満々で引き受けた。彼らが早く真理を理解して、真の道の基盤を築けるよううまく潤さなければ、ただそう考えました。その教会に着くと、教会全体の状況を把握し、兄弟姉妹の問題や困難を書き留めました。後日交わって解決するために、御言葉を調べる準備です。まだ出向いたばかりだったので、兄弟姉妹の多くが私のことを知らない。頑張って彼らと集まり、交わらなければと思った。短期間のうちに教会の仕事で良い働きができれば、彼らは、私に真理の現実と働く能力があると確信するでしょう。そうなれば指導者からも高く評価される。ちょうどそのとき、教会がその段階で入るべき真理を通知しました。交わる御言葉を探さなければなりません。私は興奮しました。自分の力を発揮する絶好のチャンスだ。その真理のあらゆる側面に関連した御言葉をいくつか見つけ、慎重に整理しながら、ずっとこう考えていた。「明日は同労者の集会だ同労者たちは私が一晩かけて御言葉を探したことを知って私を実直で責任感のある人物だと言うだろう」そうして、準備を終えたのは明け方近くだった。その集会で、私が探した御言葉を知った同労者はみんな、案の定、私を称賛した。「チェンさんを見ろ。なんて実直なんだ。一晩かけてこれらの御言葉を探したそうだ」と言った人もいれば、「ほんとに。御言葉を頻繁に読んでいるに違いない」と言った人も。集会を主催した兄弟は心配して言った。「チェンさん、この御言葉を探すために、どれくらい遅くまで起きていたんだい?」そう聞かれて、私は舞い上がりました。夜明けまで起きたことは無駄じゃなかった、兄弟姉妹に私の努力を知ってもらえる。興奮を隠して言いました。「探し終えたのは明け方近くだった本分を尽くすためによく徹夜してるんだ。当然のことだ、大したことではないよ兄弟姉妹が集会で交われるようにしないとね」すると彼から、「君は、徹夜も苦難も耐えられる、本分において実直な人物だ」と言われ、私の心は喜びであふれました。みんなから有能な指導者だと言われるよう、自分は努力を続けなければならない。

その後、伝道の働きが拡大し、教会がいくつか設立されました。私は毎日、夜明けから日暮れまで、すべての教会を回って兄弟姉妹を潤した。困難を抱える人の問題解決のために、根気よく御言葉を交わっていると私への評価はさらに高まりました。数人の兄弟姉妹が、あるとき伝道で問題に直面し、解決できずにいた。弱って消極的になり、私の元に来た。そこで私は、自分の伝道の経験を共有しました。「観念があって受け入れない相手だった。家から追い出されたことも当時は、私もつらかった。だから絶えず神に祈った御言葉を一晩中探し、何度も彼らの問題解決のために交わりに行った彼らが神の御声を聞き、終わりの日の神の救いを享受するためだどんな屈辱を受け、困難に直面しても諦めなかったそして最後には、彼らを迎え入れられた」話し終えると、兄弟はこう賛美しました。「チェンさんを見ろ。苦難によく耐え、重荷を背負ってる」「我々もチェンさんのやり方で福音を広めるべきだ」彼らが私を高く評価するのを見て、私は最高に幸せでした。それからというもの、本分において困難に直前した兄弟姉妹たちは、私に助けを求め、パートナーのところに行く人はいませんでした。彼らは本分を尽くすなかで、私の頼みを積極的に聞いた。彼らが私に好意的なのを見て、自尊心がより高まり、自分が教会の中心人物になったように感じたよ。

ある集会のことです。私は、本分において、どう苦しみ、どんな代償を払い、どんな結果を得られたかを話していた。すると突然、姉妹が言ったのです。「チェンさん、本分においてどれだけ苦しみ、費やしたかという話ばかりで苦難に直面したときに露わになったあなたの弱さや、堕落した性質あなたが得た知識、解決のためにどう真理を求めたかという話がないまるで少しも、あなたは堕落していないみたい」彼女が言い終えると、みんなが私を見ました。私は驚いて突然のことに動揺し、顔を赤らめた。そして思った。「兄弟姉妹の前でそんな言い方をされたら、面目丸潰れだみんなはどう思うだろう」なんとかプライドを取り戻そうと、すぐに言いました。「君の話はもっともだ。受け入れるよでも兄弟姉妹は本分において困難に直面し、弱く消極的になってる堕落についてだけ話すのでなく、もっと肯定的な実践を交わるべきだそれが唯一、彼らが進むべき道を持ち、信仰を見つける方法だ」でも、他の兄弟姉妹たちが私に言いました。君は自分の経験と知識を話すなかで、露わになった堕落についてはほとんど語らなかった真理の実践に精通して見えるのは、どう苦しみ、どんな代償を払いどう肉に背いたかという内容が多いからだそのような忠告を受け、私も少し不安になった。私が交わった内容は不適切だったのか? でも傲慢で利己的だったことを話したこともあるそれに私は、本分でいつも良い結果を達成し、教会の仕事を妨げたこともない私が交わってきた方法に間違いは何もないはずだそう思い、真剣に反省しなかった。

その後、自分の本分のために、別の教会に移ることになりました。同労者との集会で、チャンさんが深刻な口調で言いました。「チェンさん君が去った教会で、本分に興味を失ってしまった兄弟姉妹がいる困難に直面しても、御言葉を読まず真理も追求せず、ただ君に解決してもらいたがる集会に参加したがらなくなった人もいるこれは君が本分において、神をたたえ、神に証しをしてこなかったことを示す君は人からあがめられようと、自分を誇示してきた邪悪な行為だ。じっくり反省しなければ!」それを聞いた私は、面食らいました。なぜそんなことに? 兄弟姉妹が私をあがめている? それは深刻な問題だ! 不安で仕方なかった。その後の交わりには集中して聞けませんでした。頭が混乱し、この状況をどう打破すればいいのか分からなかった。帰宅した私は、チャンさんの言葉をじっと考えました。それまで、自分は本分においていくらか結果をもたらし、問題を解決するための真理を交われたと思ってた。こんな事態につながるとは、夢にも思ってなかったのです。この一件によってひどく心が乱れ、なすすべなく、神に祈りました。「神様問題の根源を見つけ、自分を本当に理解できるよう、私を啓いてください」。

そのあと、こんな神の御言葉を読みました。「下り坂を行く者はみな自分自身を高く掲げ、自分の証しをします。あちこちで自分のことを自慢したり増長したりして、神を心に留めたことなどまったくありません。わたしが話していることをあなたがたは経験したことがありますか。多くの人は絶えず自分の証しをしています。「わたしはあれやこれに苦しみ、あれやこれの働きを行なってきたが、神はわたしをあれやこれの方法で取り扱い、あれこれするように求めた。神はわたしのことを特に高く評価しており、今やわたしはかくかくしかじかである」という具合です。このような人たちは故意にある特定の調子で語り、特定の態度をとります。最終的に、一部の人々は、そのような人が神だと思うようになります。いったんその段階に達すると、聖霊はそれよりずっと以前に彼らを見捨てています。今のところは無視されているだけで、追い出されたわけではないものの、彼らの運命は定まっており、彼らにできるのは懲罰を待つことだけです(「人はあまりに多くを神に要求する」『キリストの言葉の記録』)。「ひどい場合には献金を盗んだり浪費したり、ひそかに神を罵ったりする者もあれば、自分の地位を利用して繰り返し自分に有利な証言をし、自分の立場を強化し、人々や地位を神と争うような者もいます。彼らはあらゆる手段を用いて人々に自分を崇拝させ、常に人々を魅了し、支配しようとしています。場合によっては、意図的に人々を欺いて自分自身が神であるかのように思わせ、神のように扱われようとする者さえいます。彼らは自分が堕落しているとは決して言いません。自分も堕落した高慢な存在であり、崇拝の対象にはなりえず、どれだけ立派にやっていても、すべては神に高められたためであり、ただすべきことをしているだけだ、とは決して言いません。なぜそう言わないかといえば、人々が自分に見向きもしなくなることを深く恐れているからです。だからそのような者は決して神を称賛せず、神に証しすることもありません(『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉を読み終え、不安に襲われました。自分を振り返って気づいた。私は苦しみ代償を払ったように装い、問題解決のために兄弟姉妹に御言葉を交わりながらも、実際は自分を誇示していただけだった。みんなからあがめられようとしていたんだ。思えば、新参者の多い教会の指導者に推薦されたとき、私は成果を上げることばかり考えていた。兄弟姉妹や自分の指導者から評価されるためだ。集会で交わる御言葉を徹夜で探して整理したのも、そのためです。兄弟姉妹が伝道で困難に直面したときは、神の旨を交わって彼らを真理の原則に導くのではなく自分が伝道においてどう苦しみ、どんな代償を払ったかを誇示しました。私の働きが上達すると、兄弟姉妹からたたえられた。それを私はうれしく思い、聖霊の働きによって達成された結果を自分の功績にして、恥ずかしげもなくひけらかしました。集会での交わりでは、頻繁に自分に焦点を当て前向きな実践しか話さず、露わになった堕落した性質には一切触れなかった。それを指摘されても、ごまかすだけでした。本分に対する自分の卑しい動機を、分析も告白もしたくなかった。神は何度も兄弟姉妹を用いて私の問題に触れましたが、私は自分の地位と印象を守るため、「受け入れた」と返すだけで、実際はちっとも反省しなかったのです。交わりで話を誇張し、みんなをだましているうちに自分は、代償を払える責任ある人物だと信じるようになり教会がどんな問題や困難を抱え、兄弟姉妹がどんな状態にあっても、ひるむことなく、解決を手助けした。これらのことから、気づきました。本分において、私は真理を全く実践することも、神の旨に配慮することもなく、自分を誇示して高い評価を受けるチャンスとして利用し、名声と地位への自分の願望を満たしていたのです。そうして、兄弟姉妹を神の御前に導くことなく、彼らに自分を崇拝させた。私は人々と地位を得るために、神と争っていたのです。やっと気づきました。神に抵抗する道に足を踏み入れ、重大な過ちを犯していたことに。私は恐ろしくなって、罪の意識にさいなまれた。自分に問いかけました。どうやって知らないうちに神に抵抗する道に入ってしまった?

そして、こんな御言葉を読みました。「人類がサタンに堕落させられて以来、人間の本性は変わり始め、正常な人がもつ理知を徐々に失いました。現在、人はもはや人間の立場で人間として行動しておらず、むしろ人間の地位を超えようと望み、より高次で偉大なものに憧れています。では、この高次のものとは何なのでしょうか。彼らは神を超え、天を超え、他のすべてのものを超えたいと願っています。人がこのようになってしまったことの根本には何があるのでしょうか。つまるところ、人間の本性は過度に傲慢なのです。……ひとたび人の本性と本質が傲慢さを増すと、人は神に背き抵抗すること、神の言葉に従わないこと、神に対する観念を生み出すこと、神に反抗すること、そして自分自身を賛美し証しすることができるようになってしまいます。自分は傲慢ではないと言っても、たとえば多くの教会を任せられ、導くことを許されたとします。そしてわたしはあなたを取り扱わず、神の家の誰もあなたを刈り込まなかったとします。導くようになってしばらくたつと、あなたは彼らを自分の足元に連れてきて、自分の前に従わせるでしょう。なぜそのようなことをするのでしょうか。それはあなたの本性によるもので、自然な発露に他ならないはずです。わざわざそれを学ぶ必要はなく、特別に他の人に教えてもらう必要もありません。意図的にそんなことをする必要はなく、そのような状況はあなたにとって自然と起こるものなのです。あなたは人々を自分の前に従わせ,自分を崇拝させ、褒め称えさせ、自分について証しをさせ、あらゆることで言うことを聞かせて、自分の支配から離れるのを許しません。あなたの指導のもとでは、そうした状況が自然と生じます。そのような状況はどうやって生まれるのでしょうか。それは人間の傲慢な本性によってです(「人間の傲慢な本性は神への反抗の根源」『キリストの言葉の記録』)。この御言葉を読み、理解しました。なぜ私が本分で神を満足させたいと思いながらも無意識に神に抵抗する道に足を踏み入れてしまったのか。その根源は、私の中に存在する傲慢なサタンの本性でした。傲慢な本性に支配されたことで、私は自らを過大に評価し、たびたび自分を誇示する行動や発言を試みて、人々からあがめられようとした。本分で問題に直面した兄弟姉妹には、彼らの真理の理解や実践の道のために真理の原則を説くのではなく、自らを良く見せるために口先だけで説教し、自分の困難の経験や働きを、自らを誇示する道具として使った。そうして兄弟姉妹は、私が真理を理解し問題を解決できる人物だとたたえ、神を頼り真理を求めるべきだと気づかずに、困難に直面するたびに私を頼るようになった。彼らの心には神がいなかった。私が教会を移ると、集会に行きたがらなくなった兄弟姉妹もいた。これで本分を尽くせたと言えるのか。悪事を犯し、神に抵抗しただけでは? そんな悪事を行えたのは、傲慢でうぬぼれていたからだ。自分の地位と印象を守り、人より優位に立ちたかっただけです。あがめられ、中心人物でありたかった。地位の祝福を得たくてたまらなかった。私には少しも、神への畏敬の念がありませんでした。傲慢な本性に生きていると、無意識に神に抵抗してしまう。本当に危険なことです。宗教界の牧師や長老を考えると、彼らは神をたたえず、証しもせず、信徒にも主の御言葉を実践させない。代わりに聖書の知識や神学理論をやみくもに説き、信徒をだますのです。そして誇示する。自分がどれだけ苦しみ、自分の伝道がどれだけ実を結び、どれだけ多くの教会を建てたかを。結果、信徒は彼らをあがめ、尊敬し、彼らの言いなりになるのです。全能神の御言葉を読み、神の御声を聞いた人もいるが、その信徒ですら、彼らに確認するのです。牧師の同意なしには、真の道だと分かっていても全能神の働きを受け入れない。牧師や長老たちは、人々を支配下に置いています。神に抵抗する反キリストの道を歩み、独立した王国をつくろうとしている! 私も本分で自分を誇示し、尊敬されようとした。その牧師や長老たちと、どこが異なるでしょう。新参者の多い教会の兄弟姉妹は、終わりの日の神の働きを受け入れたばかりで、まだ多くの真理を理解していなかった。その教会を導く本分にまで神に高められた私は、もっと神の御言葉を交わり、神の働きを証しすべきでした。彼らが真理を理解し、神への認識を得て、真の道の基盤を築くために。でも私が本分においてもたらした結果は? みんな私をあがめ、神への認識から遠ざかりました。私は兄弟姉妹に害を与え、教会の仕事を妨げていたのです。神に抵抗する反キリストの道に他なりません。考えれば考えるほど不安で動揺しました。自分がどれだけ傲慢で、神への畏敬の念に欠けていたかが分かった。私の行いはずっと神の性質に背いていました。神が兄弟姉妹を用いて私を刈り込み取り扱っていなければ私は反省していなかった。そのままでは、どれだけの悪事を犯し、神の呪いと懲罰を受けていたか分からない。恐怖感が消えず、神の御前でひざまずき、こう祈りました。「神様。私は傲慢でしたいつも本分で自分を誇示しそのせいで兄弟姉妹は私をあがめ、心にあなたがいなかった悪事を犯して抵抗した私は、懲罰に値します神様。あなたに悔い改め、ひたむきに真理を追求し、やり直したいです」。

そのあと、神の御言葉を読みました。「人間は被造物の一つとして、自身の立場を守り、誠実に行動しなければなりません。創造主から託されたものを忠実に守りなさい。適当でないことをしたり、自分の能力を超えることや、神に嫌悪されることをしたりしてはいけません。偉大になろうとしたり、超人になろうとしたり、他の人を超えようとしたり、神になろうとしたりしてはいけません。人はこうした存在になることを望んではいけないのです。偉大になること、超人になることを追い求めるのは馬鹿げています。ましてや神になろうとするのはさらに恥ずべきことであり、不快で卑劣です。称賛に値し、被造物が他の何より守るべきことは、真の被造物となることです。それが、すべての人が追求すべき唯一の目標なのです(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)。「人間が求めるものや願うことが何であろうと、ただ創造主の前に戻り、自分がすべきことと委ねられたことを恭しく果たし完成させる者だけが、安らかな心で正しく適切に、苦しみもなく生きていけるのです。これこそが生きることの意味と価値なのです(『キリストの言葉の記録』より引用)。御言葉を読み終えて分かりました。神は創造主であり唯一正しい、適切な存在です。人間は神をあがめ、神に従うべきです。私はほんのささいな被造物であり、堕落した人間でした。本性がサタンのように傲慢で、不実で、邪悪だった。自分を誇示して、人々の心に私をとどめようとしていました。恥知らずにも、理知なく、傲慢に振る舞った。ますます自分を恥じました。盲目で、神を認識しない自分が嫌だった。自分のことを分かっていなかった。今日ここで本分を尽くせるのは、神の恵みと引き上げのおかげです。私は被造物として自分をわきまえ、実直であるべきです。真理を追求し、神をたたえ、神に証しをし、しっかり本分を尽くすべきだ。そうすれば、被造物として良心と理知を持てる。

その後、実践の道を求めて、神の御言葉に入りました。こんな御言葉を読みました。「神の証しをするときは、神が人々をどのように裁き罰するか、どのような試練を用いて人々を精錬し、あなたがたの性質を変えるかを主に語るべきです。また、自分の経験においてどれだけ多くの堕落が表わされたか、自分がどれだけ耐えてきたか、最後はどのようにして神に征服されたか、神の働きに関する真の認識が自分にどれだけあるか、どのようにして神の証しをし、神の愛に報いるべきかも語るべきです。こうした言葉に中身を持たせつつ、簡潔に語りなさい。空虚な理論について話してはいけません。もっと地に足のついた話をしなさい。心から語りなさい。あなたがたはそのように経験しなければなりません。自分自身を誇示しようと、深遠に見えながらも空虚な理論で着飾ってはいけません。そうすることはかなり傲慢で理知に欠けるように見えます。本当の物事を、自分の実際かつ本物の経験から、そして心からもっと語るべきです。それが他人にとって最も有益であるとともに、彼らが目にするのに最適なのです(「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」『キリストの言葉の記録』)。御言葉を読んで、どう本分において、神をたたえて証しをすべきか、少し理解しました。神への証しでは、どう神の働きを経験したか、どんな堕落した性質が露わになったか、どう神に反逆し抵抗したか、どう御言葉に照らして反省して自分を認識し、悔い改めたかを話すべきだ。真理を交わることで人々が、神の旨と要求、神の性質と、人を救う神の働きを理解し、神を畏れ、神に従い、被造物の本分を尽くせるよう助ける。それこそが、神への賛美であり証しなのです。兄弟姉妹との私の交わりは、私がどう苦しみ、どんな代償を払い、どう神の業を証しして神の祝福を受けたかという話ばかりだった。露わになった私の堕落した性質や、卑しい動機についてはごまかす一方で、少しも触れなかった。私の堕落を知った彼らに幻滅されるのが怖かったのです。私には、そんな詐欺師の本性があった。これらのことを認識した私は、自分を誇示して、兄弟姉妹をだました悪事をチャンさんに打ち明けました。また、私が以前に奉仕していた教会へ行って、そこの兄弟姉妹と一緒に私の振る舞いを分析し、それによってみんなの識別力を高めてくれるよう、彼に頼みました。集会では、私も彼らに自分の悪事を明かして、神の義なる性質を証しし、自分を例に挙げて私のように神に抵抗する道を歩まないよう、話をしました。

そうして本分を尽くしたあと、私は控えめになり神への畏敬の念をいくらか持てました。その後、ある集会に困難に直面した新参者の兄弟がいて、私は問題解決のため、彼に御言葉を交わった。話を聞き終えた彼は、うれしそうに言った。「チェンさん、あなたの話は素晴らしい私はこの問題に長いあいだ悩まされ、解決できずにいた君は真理を理解している! もっとこの集会で交わってほしい」別の兄弟も同じことを言った。うれしくてたまらなくなったがすぐに、自分を誇示したかつての過ちを犯そうとしていることに気づいた。そこで即座に神に祈り、自分に背いたんだ。そして意識的に神への証しをして、兄弟姉妹を神の御前に導いて言った。「今日のこの集会の交わりから、私たちが学べることがあるこれはすべて聖霊の導きであり啓きなのです私たちがもっと御言葉を読み、御言葉に真理を求めれば聖霊が啓き、照らしてくださるそうして私たちは、より理解できる」そう話すと、心がとても安らぎました。私は小さな変化を経験し、本分において神をたたえ、証しを実践する方法を知った。すべて神の御言葉による裁きと刑罰のおかげです。

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