第1節 サタンがいかに人類を堕落させるかを明らかにする言葉

65. 最初に神により造られたアダムとエバは、聖なる人間であった。すなわちエデンの園にいた間、彼らは聖く、けがれがなかった。また彼らはヤーウェに忠実であって、ヤーウェを裏切ることなど一切知らなかった。なぜなら、彼らはサタンの影響による妨害を全く受けず、サタンに毒されておらず、全人類の中で最も純粋だったからである。彼らはエデンの園に住み、一切けがれにけがされることなく、肉に囚われることなく、ヤーウェを畏れ敬っていた。その後、彼らがサタンに誘惑された時、彼らはへびの毒に見舞われ、ヤーウェを裏切ることを望み、サタンの影響の下で生きた。最初、彼らは聖なるものであり、ヤーウェを敬っていた。そうすることだけが、彼らを人間としていた。その後、彼らがサタンに誘惑された後、彼らは、善悪を知る木の実を食べて、サタンの影響の下で生きた。彼らは、サタンにより次第に堕落させられ、本来の人間の姿を失っていった。最初、人間にはヤーウェの息吹があり、不従順であることは一切なく、心には悪が一切なかった。この時、人間は本当の意味で人間であった。人間は、サタンにより堕落させられた後、獣となった。人間の考えは悪とけがれで満たされ、善や聖さはなかった。それはサタンではなかろうか。

『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」(『言葉』第1巻)

66. 人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに、神が存在し万物を支配しているという信条に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや人にとって重要ではなく、人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。……神が今日どこで働きを行っているのか、あるいは神が人の終着点をいかに支配し、定めているのかを自らすすんで探し求める人はほとんどいない。こうして、人間の文明は、人間の知らないうちに、ますます人の望みどおりには行かなくなり、こんな世界に生きている自分達はすでに亡くなった人々に比べて不幸せだと感じている人さえ数多くいる。過去に高度の文明を築いた国々の人たちでさえそのような不満をあらわにしている。なぜなら、神の導きなしには、支配者や社会学者が人類の文明を維持するためにどんなに頭を悩ませても何の役にも立たないからである。誰も人の心の中の空洞を埋めることはできない。誰も人のいのちとなることはできず、どのような社会学的理論も人を悩ませる虚しさから人を解放することはできないからである。科学、知識、自由、民主主義、余暇、快適さなどは、人間につかの間の慰めしかもたらさない。これらのものがあっても、人は必然的に罪を犯し、社会の不公正を嘆く。これらのものは、人の探求への渇望や欲求を抑えることはできない。人は神によって造られたからであり、人の無意味な犠牲や探索はさらなる苦悩につながるだけで、人類の将来にどのように向き合うべきか、目の前にある進路にどのように対峙すべきか分からないまま人を常に恐怖に怯えたままにさせるからである。人は科学や知識を恐れるまでになり、空虚感をそれ以上に恐れるようになる。この世であなたが自由な国に住んでいようと、人権のない国に住んでいようと、人類の運命から逃れることは決してできない。あなたが支配者であろうと、被支配者であろうと、人類の運命、奥義、そして終着点を探求したいという願望から逃れることは到底できない。ましてや、途方にくれるほどの空虚感から逃れることなどできない。全人類に共通するこの現象を社会学者は社会現象と呼んでいる。しかし、このような問題を解決できる偉人が現れることはない。

『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」(『言葉』第1巻)

67. 数千年にわたり、この地は不浄の地であった。耐えがたいほど汚れ、悲惨に溢れている。至る所に幽霊がはびこり、欺し偽り、根拠のない言いがかりをつけ[1]、冷酷かつ残忍であり、この幽霊の街を踏みつけて屍だらけにした。腐った屍の悪臭が地を覆い空気に充満し、そこは厳重に守られている[2]。誰が空の彼方の世界を見ることができようか。悪魔は人間の身体全体をがんじがらめにし、両眼を見えなくし、両唇を堅く封じる。魔王は数千年前から現在にいたるまで猛威を振るい、幽霊の街を堅固に警備しており、それはあたかも難攻不落の悪魔の城のようである。一方、警護に当たる番犬の群れが睨んでいる。番犬は神による不意討ちで完全に滅ぼされるのを深く怖れるあまり、平和と幸福の余地はない。このような幽霊の街の住民が神を見たなどということが、どうしてありえるだろうか。住民は神の優しさや愛しさを享受したことがあるのか。人間世界の物事をどのように認識しているのか。そのうちの誰が神の切なる望みを理解できるのか。肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議ではない。悪魔が残忍非道をはたらく暗黒社会において、眉一つ動かさずに人々を殺す魔王が、愛しく優しく聖い神の存在をどうして容認できようか。どうして魔王が神の到来に喜び喝采を送ることができようか。卑屈な者ども。彼らは恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、良心にすっかり逆らい、純真な人々を誘惑し無分別な状態に陥れる。遠い昔の祖先とは何なのか。愛すべき指導者とは。彼らは皆、神に反抗している。その干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられている。宗教の自由だと。市民の正当な権利と利益だと。そのようなものはどれも罪を隠蔽する手口である。誰が神の働きを受け入れたというのか。誰が神の働きのために命を捧げ、血を流したというのか。親から子へ、何世代にもわたって、奴隷とされた人間はごく平然として神を奴隷にした。これがどうして怒りを買わずにいられようか。数千年におよぶ憎しみが心に凝縮し、数千年におよぶ罪深さが心に刻み込まれている。これがどうして憎悪感を喚起せずにいられようか。神の仇を討ち、神の敵を掃討せよ。敵が二度と蔓延ることを許してはならない。敵が意のままに災難を起こすことを許してはならない。今がその時である。人は随分前からあるだけの力を蓄え、努力の限りを尽くし、あらゆる犠牲を払ってきた。それは、この悪魔の忌まわしい顔をはぎ取り、盲目にされた人々、あらゆる苦しみと困難に耐えてきた人々が痛みから立ち上がり、この邪悪な古い悪魔に背を向けることができるようにするためである。なぜ、神の働きに対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺くために様々な謀りを用いるのか。真の自由と正当な権利と利益はどこにあるのか。公平さはどこにあるのか。安らぎはどこにあるのか。温もりはどこにあるのか。なぜ偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのか。なぜ力ずくで神が来るのを抑制するのか。なぜ神が創った地の上を神に自由に移動させないのか。なぜ神が枕するところもなくなるまで神を追うのか。人間の温もりはどこにあるのか。人間の歓迎はどこにあるのか。なぜそれほどまで絶望的な思慕を神に引き起こすのか。なぜ神に何度も叫ばせるのか。なぜ神にその愛する子について憂わせるのか。この暗黒社会において、なぜ哀れな番犬は神自らが創った世界を神に自由に行き来させないのか。なぜ痛みと苦しみの中に生きる人間は理解しないのか。あなたがたのために、神は大いなる苦痛を受け、大いなる苦しみをもって神の愛する子、その骨肉をあなたがたに与えた。それならば、なぜあなたがたは依然として盲目を向けるのか。皆が見守る中、神の到来を拒絶し、神の友好を拒否している。なぜそれほどまでに非良心的なのか。このような暗黒社会の不正を進んで受けるつもりなのか。自分の腹を数千年におよぶ敵意で満たす代わりに、なぜ魔王の「糞」で自分自身を満たすのか。

『神の出現と働き』「働きと入ること(8)」(『言葉』第1巻)

68. 上から下まで、最初から最後まで、サタンは神の働きを乱し、神に敵対する行動を取ってきた。「古代文化遺産」や貴重な「古代文化の知識」、「道教と儒教の教え」、儒教の五経と封建的儀式に関する話が、人間を陰府に連れて行った。現代的な先進科学技術も、高度先端産業、農業、商業もどこにも見当たらない。むしろ魔王は故意に神の働きを阻害し、それに反対し破壊するために、古代の「類人猿」が広めた封建時代の儀式をひたすら強調するだけである。魔王は現在に至るまで人間を苦しめ続けるだけでなく、人間を丸ごと飲み込む[3]ことさえ望んでいる。封建主義的な道徳倫理の教えや古代文化の知識の継承が、長年にわたって人類を蝕み、大小の悪魔へと変貌させた。神を喜んで受け入れ、神の降臨を歓迎するであろう者はほとんどいない。あらゆる人間の表情は殺気に満ち、至る所で殺気が感じられる。悪魔は神をこの地から排除しようとする。神を「抹消する」ために、刀剣を持って陣を組んでいる。悪魔のものであるこの地のあらゆるところで、「神はいない」と人間は絶えず教えられ、偶像が広まり、地上の空気には吐き気を催すような紙と香を燃やす臭いが漂い、あまりに強くて窒息するほどである。それは毒蛇がとぐろを巻く時に放つ汚泥の臭いのようであり、嘔吐せずにはいられない。それに加えて、悪魔の読経の声、陰府の遠い所から来るような声がかすかに聞こえ、震えずにはいられない。虹色の偶像がこの地のあらゆる所に置かれ、この地を官能の世界へと変える。一方、魔王はその卑劣な企みが成功したかのように、邪悪に笑い続ける。この間、人間はまったく何にも気付かず、感覚がなくなり、打ち倒されて頭を垂れるほどまでに自分がすでに悪魔に堕落させられていることに気付かない。悪魔は神に関する一切のものを一掃し、再び神を冒涜し暗殺したがっている。悪魔は神の働きを打ち壊し、妨害しようと決意した。どうして悪魔は神が同等の地位にあることを甘受できようか。どうして悪魔は、人間のあいだで行う地上での働きをもって、神が「邪魔する」のを許すことができようか。どうして悪魔は自分の醜悪な顔を神が暴くのを許すことができようか。どうして悪魔は自分の働きを神が妨害することを許せようか。どうして激しい怒りに包まれた悪魔が自分の地上の朝廷を神が支配することを甘受できようか。どうして悪魔が自ら敗北を認めることができようか。悪魔の醜悪な表情はそのまま露呈しており、それゆえ人間は笑うべきか泣くべきか分からなくなり、悪魔について語ることは極めて困難である。それが悪魔の本質ではなかろうか。醜い魂をもつ悪魔は、それでも自分が驚異的に美しいと信じている。この犯罪者集団が[4]! 悪魔は人間界に来て享楽にふけり、騒動を引き起こし、物事をかき乱す。そのせいで世界は移ろいやすく不安定な場所になり、人の心はろうばいと不安で一杯になっている。悪魔は人間をもてあそび、そのひどさたるや、人間の外見は非人間的な野獣のようになり、本来の聖者らしさの最後の名残りも失われた。さらに悪魔は、地上の支配権を握ることさえ望んでいる。悪魔が神の働きを妨害しているため、わずかな前進もままならない。また悪魔は銅と鋼の壁のように、人間を封じ込めている。極めて多くの罪を犯し、災難を引き起こしてきておきながら、悪魔はいまだに刑罰以外の何かを期待しているのか。悪魔と悪霊は地上を暴れ回り、神の心と丹精を込めた努力を封じ込めてきたため、浸透不可能になっている。何という大罪であろうか。どうして神が不安にならずにいられようか。どうして神が怒らずにいられようか。悪魔は神の働きに重篤な妨害や反対を引き起こしている。何と反逆的なことか。

『神の出現と働き』「働きと入ること(7)」(『言葉』第1巻)

69. 数千年に及ぶ古代文化や歴史の知識のせいで、人間の思考や観念、精神的視点は極めて固く閉ざされ、何も浸透させない分解不可能なものになった[5]。人間は、あたかも神により地下牢に追放されたかのように、二度と光を見ることがない十八層地獄で生きている。封建的思想に抑圧されてきた人間はほとんど呼吸できず、息が詰まっている。反抗する力がまったくなく、ひたすら黙して耐え続けている……。義と公平のために敢えて戦ったり、立ち上がったりする者は今まで一人もいなかった。封建的倫理による打撃と迫害の下、動物以下の生活を日々送って年を重ねるだけである。人間は神を求めて人間世界で幸福を享受しようと考えたことがない。ひからびて色あせた枯れ葉のようになるまで、人間は打ち倒されたかのようである。人間は遙か昔に記憶を失い、人間の世界という陰府で絶望的に暮らし、陰府もろとも自分が滅びる最後の日の到来を待っている。待ちかねている最後の日は、あたかも人間が安らかな平和を享受する日であるかのようである。封建的倫理は人間の生活を「ハデス」へと陥れ、人の抵抗力をさらに弱めている。様々な抑圧により、人間はハデスのさらに奥深いところ、神からさらに遠いところへと一歩ずつ押しやられる。それゆえ現在、人間は神にはまったく知られない存在となり、神と会うと急いで避けようとする。人間は神を心に留めず、あたかもそれまで神を知ることはなく、神に会ったこともなかったかのように、神を一人きりにして去っていく。しかし、人生の長い旅路のあいだ、神はずっと人間を待ち続けており、抑え難い怒りを人間に投げつけたことは一度もなく、人間が悔い改めて再出発するのを無言で静かに待つだけである。神は遠い昔に人間の世界へ来て、人間世界の苦難を人と分かち合った。神が人間とともに生活した年月、その存在を見出した者はいなかった。神は人間世界における卑しき惨めさに黙して耐えつつ、自らもたらした働きを行っている。父なる神の旨と人類の必要のため、神は耐え続け、人間がかつて経験したことのない苦痛を受けている。父なる神の旨と人間の必要のために、神は人間の前で黙して人間に尽くし、人間の目前で謙遜した。古代文化の知識は、神の前からこっそりと人間を連れ去り、魔王とその末裔に引き渡した。四書五経[a]は、人間の思想と観念をもうひとつの反逆の時代へと導き、四書五経の編纂者を人間にさらに称賛させ、その結果、神について人間の持つ観念がさらに悪化した。人間の知らぬ間に、魔王は無情にも人間の心から神を排除し、勝利の歓喜とともに自ら人間の心を占領した。その時以来、人間は醜く邪悪な魂と魔王の顔にとりつかれた。神への憎しみが人間の胸を満たし、魔王の凶悪さが日に日に人間の中に広がってゆき、ついに人間は完全に食い尽くされた。人間にはもはやほんの少しの自由もなく、魔王の呪縛から逃れる術もなくなった。その場で囚われの身となり、魔王の前で降伏し、服従するしか手がなかった。はるか昔、人の心と霊がまだ幼かったとき、魔王はそこに無神論という腫瘍の種を植え、「科学技術を学び、四つの現代化を実現せよ。この世に神などいない」といった偽りを人間に教えた。それだけでなく、魔王は「わたしたちの勤勉な労働により素晴らしい国家を建てよう」と機会あるごとに叫び、あらゆる人に、幼少時代から国のために忠実に仕える訓練をするよう要求した。人間は無意識のうちに魔王の前へと導かれ、魔王は(人類全体を掌握している神のものである功績を)躊躇なくすべて自分のものと偽った。魔王には恥の感覚が一切なかった。さらに、魔王は厚かましくも神の選民を捕らえ自分の家に引きずり戻すと、ねずみのように卓上に飛び乗り、人間に自分を神として崇拝させた。何というならず者であろうか。魔王は、「この世に神はいない。風は自然の法則に沿った変化が原因である。雨は蒸気が低温で凝結して水滴となって地表に落ちる水分である。地震は地質学的変化に起因する地表の振動である。干ばつは太陽表面の原子核工学的障害により起こる大気の乾燥のせいである。これらは自然現象である。これらのどこに神の業があるというのか」などという衝撃的なことを叫ぶ。さらには、「人間は古代の類人猿から進化したもので、現在の世界は、はるか昔に始まった一連の原始社会から進化したものである。ある国家の栄枯盛衰は、その国民の手により決まる」などという、声にすべきではないことを叫ぶ者さえいる。魔王はその背後で、人間に自分を壁に掲げさせたり、机上に置かせたりして、敬意を払って捧げ物をするようにさせている。魔王は「神はいない」と唱えると同時に、自らを神とみなす。真の神を粗野に地の果ての外へと追いやりながら、神の地位に立ち、魔王として君臨する。何と途方もなく馬鹿げたことであろうか。魔王には骨の髄まで憎悪が起こる。神と魔王は宿敵であるようで、共存は不可能である。魔王は神の駆逐を謀り、法の及ばないところを自由にうろつく[6]。まさしく魔王である。どうして魔王の存在を容赦できようか。魔王は神の働きを阻止し、打ち砕いて台無しにする[7]まで休むことがなく、それはあたかも最後に魚が死ぬか網が破けるかするまで、神に反抗し続けたいかのようである。魔王は故意に神に反抗し、神に迫り続ける。魔王の忌まわしい顔は完全に仮面を剥がされて久しく、今や打ちのめされてあざができ[8]、窮状にあるが、それでも神への憎悪が衰えることはなく、あたかも神を一口に呑み込むまでは自分の心に鬱積した憎しみを解放することができないかのようである。こんな神の敵をどうして容赦できようか。魔王の根絶と完全な駆除をしなければ、人間の生涯の望みは実現できない。どうして魔王を意のままにさせておけるであろうか。人間が天日を知らず、行き詰まって愚鈍になるところまで魔王は人間を堕落させた。人間は正常な人間の理知を失った。わたしたちの存在のすべてを捧げて魔王を滅ぼし、焼き払い、将来への不安を残らず解消し、神の働きがこれまでになかった輝きにすぐに達せるようにしようではないか。この悪党どもは人間の世界に来て、それを大混乱に陥れた。悪党どもは全人類を断崖の縁へと追い詰め、そこから突き落とすことを密かに企んでいる。粉砕した死体をむさぼるつもりなのである。悪党どもは、愚かしくも大博打を打って[9]神の計画を阻止し、神と争うことを望んでいる。それは決して容易ではない。十字架が用意されたのは、結局のところ、最も憎むべき罪に咎められている魔王のためである。神はその十字架には属さない。神はすでに悪魔にくれてやるために十字架を脇へ投げている。神は早くから勝利しており、人類の罪のためにもはや悲しみを感じない。しかし神は全人類に救いを授ける。

『神の出現と働き』「働きと入ること(7)」(『言葉』第1巻)

70. 人間の知識と言われるものに、サタンは自身が生きるための哲学と思想をかなり浸み込ませています。またサタンはそうしつつ、人間にサタンの思想、哲学、観点を取り入れさせて、人間が神の存在を否定し、万物と人間の運命への神の支配を否定するようにしむけようとします。だから、人間の勉学が進み、より多くの知識を把握するにつれ、神の存在が曖昧になるのを感じ、もはや神が存在することさえ感じなくなるかもしれません。サタンが人間の頭脳に観点、観念、思想を追加する、この過程で人間は堕落させられるのではありませんか。(そうです。)今日の人間の生活の基盤は何ですか。人間は本当にその知識の基盤の上に生活していますか。いいえ。人間はその知識に隠されたサタンの思想、見解、哲学を自らの生活の基盤としています。サタンによる人間の堕落の核心はここから生じています。これがサタンの目的であり、人間を堕落させる方法なのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 V.」(『言葉』第2巻)

71. 人間が知識を習得する過程において、サタンは、物語であったり、一つの知識を与えるだけのことであったり、人間に自分の願望や大志を実現させたりと、あらゆる手段を用います。サタンはあなたをどの道に導きたいと思っていますか。人間は知識を習得することは自然であり、何も悪いことがないと考えています。聞こえの良い言い方をすれば、高尚な理想を育むことや、大志を抱くことは、向上心があると言うことであり、それは人生において正しい道のはずです。自らの理想を実現したり、職業で成功することができれば、そのように生きる方が人間にとって素晴らしいのではありませんか。そのようにすれば、自分の祖先に栄誉をもたらすのみならず、歴史に自分の名を残すことができ、それは良いことではありませんか。これは世俗的な人から見れば、良いことであり適切で前向きなことです。しかし、邪悪な動機をもつサタンが人間をそのような道へと導いて、それですべてですか。当然そうではありません。実際には、人間の理想がいかに高尚であったとしても、また人間の願望がいかに現実的であり、適切であったとしても、人間が成し遂げたい事、求める事は、二つの言葉と不可分に関連しています。その二つの言葉は、あらゆる人の生涯にとって極めて重要であり、サタンが人間に吹き込みたいことです。その二つの言葉とは何ですか。それは「名声」と「利得」です。サタンは極めて温和な方法、人間の観念に極めてうまく適合する方法、まったく過激でない方法を用いて、それにより人間は、無意識のうちにサタンの生き方や生活の規則を受け入れるようになり、人生の目標や方向性を決定し、またそうすることにより無意識のうちに人生における大志を抱くようになります。そうした人生の大志にどれほど高尚な響きがあったとしても、「名声」と「利得」に複雑に関連しています。偉人や有名人、実はあらゆる人が人生において従う事柄はすべて「名声」と「利得」だけに関連しています。人間はひとたび名声と利得を手に入れれば、それを利用して高い地位や莫大な富を堪能し、人生を楽しむことができると考えます。名声と利得を、悦楽の追求と不徳な肉の快楽を手に入れるために利用できるある種の資本と考えるのです。人間は、自分が求める名声と利得のために、無意識ではあるが率先して、自分の心身や所有するすべて、将来、運命をすべてサタンに引き渡します。こうするのに実に一瞬たりとも躊躇することなく、引き渡したものをすべて奪回する必要にも気づかないままです。このようにしていったんサタンを頼りにし、サタンに忠義を尽くしたなら、人間は自分自身を支配していることができるでしょうか。もちろんできません。人間はすっかり完全にサタンに支配されます。すっかり完全に泥沼に沈み込んだのであり、そこから抜け出すことは不可能です。ひとたび名声と利得の泥沼に陥いると、人間は明るいもの、義なるもの、美しく良いものを求めなくなります。これは、人間に及ぼす名声と利得の魅力が強すぎるため、それが人間が生涯を通して終わりなく永遠に追求するべきものとなってしまうからです。これが真実ではないですか。中には「知識の習得とは読書することや知らない事を幾つか習得して、時勢や世の中に遅れを取らないようにすることに過ぎない。知識を習得するのは、ただ生活の糧を得るため、自らの将来のため、必需品のためである」と言う人もいます。必需品や食糧の問題を解決するためだけに、十年におよぶ辛い学習を行なう人がいるでしょうか。そんな人は一切いません。それでは、辛い学習に長年にわたり耐えるのはなぜですか。それは名声と利得のためです。名声と利得がはるか前方に待っており人を呼んでいるため、勤勉と辛苦と努力をもってその道を進むほかなく、それによって名声と利得を得られるものと信じているのです。自らの将来の道のため、将来の快楽と生活向上のために辛苦を味わう必要があるのです。そんな知識とはいったい何なのか、わたしに説明できますか。それは人に植え付けられた生存の法則、人が知識を習得する過程でサタンが人に教える法則ではないですか。サタンが人間に吹き込む人生の「高尚な理想」ではないですか。たとえば、偉人の思想や、有名人の高潔さ、英雄の気概を、あるいは武侠小説の侠客や剣術家の俠骨や親切心を考えてみなさい。これらはどれもサタンが理想を植え付けるやり方ではありませんか。(はい。その通りです。)これらは世代を超えて影響を及ぼし、各世代の人々はそうした思想を受け入れて、そのために生き、永遠にそれを求めるように仕向けられます。これがサタンが知識を用いて人間を堕落させる方法であり、手段です。サタンが人をこの道へと導いた後、人が神を崇拝することはまだ可能ですか。サタンにより人間に吹き込まれた知識や思想には、神を崇拝することを少しでも含んでいますか。真理に属する何かがありますか。神を畏れ、悪を避けることに関する何かが含まれていますか。(いいえ、含まれていません。)

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」(『言葉』第2巻)

72. サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます。サタンの行動を検討すると、サタンの邪悪な動機は、極悪非道ではありませんか。あなたがたはいまだに人は名声と利得なくしては生きてゆけないと考えているので、サタンの邪悪な動機を見抜くことができないかも知れません。名声と利得を捨て去ったら、将来が見えなくなり、目標を見失い、将来が暗く陰鬱になってしまうと人は考えています。しかし、ゆっくりとではありますが、名声と利得はサタンが人間を束縛するために用いる非常に重い足かせであると、やがてあなたがた皆が気づく日が来ます。その日が来れば、サタンの支配と、サタンがあなたを束縛するために使う足かせをあなたは徹底的に拒否します。サタンがあなたに吹き込んだあらゆる物事を捨て去りたいと望む時が来ると、あなたはきっぱりサタンと訣別し、サタンがあなたにもたらしたものすべてを心から嫌悪します。その時になって初めて、人は神への真の愛と思慕をもつのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」(『言葉』第2巻)

73. 科学が人にするのは、物質的世界において対象物を見ることができるようにすることだけで、単に人間の好奇心を満たすに過ぎず、神が万物を支配している法則を見せてはくれません。人間は科学に解答を見出しているようですが、その解答は不可解で、一時的な満足感をもたらすに過ぎず、その満足感は人間の心を物質的世界に閉じ込めることにしか役立ちません。人間は科学に解答を見出したと感じているので、どのような問題が起きようとも、科学的見解を基盤としてその問題を証明し、受け入れようとします。人間は、心が科学に取り憑かれて魅了されるあまり、もはや神を知り、神を拝む心、万物は神からもたらされていると信じ、解答を得るには人は神に目を向けるべきであると信じる心をもたないまでになります。そうではありませんか。科学を信じれば信じるほど人は愚かになり、何事にも科学的な解決策があり、研究によって何もかも解決できると信じるのです。人は神を求めず、神の存在を信じません。長年神に従ってきた人でさえ、気まぐれに細菌の研究を始めたり、問題の答えを求めて情報を調べたりします。このような人は、問題を真理の視点から検討せず、ほとんどの場合、科学的な見解や知識、あるいは科学的な解決策に頼って問題を解決しようとしますが、神に頼らず、神を求めません。このような人の心に神は存在しますか。(存在しません。)科学に携わるのと同じ方法で神について研究したがる人さえいます。例えば、箱舟がたどり着いた山に行った宗教専門家が多数いて、彼らはそれによって箱船の存在を証明しました。しかし箱舟の外観に神の存在を見ないのです。彼らはただ物語と歴史を信じます。それが彼らの物質的世界に関する科学的研究の結果です。物質的なものを研究しても、それが微生物学であれ、天文学であれ、地理学であれ、神が存在する、あるいは神が万物を統治するということを明らかにする結果を見つけることは決してありません。では、科学は人に何をするのですか。科学は人間を神から遠ざけるのではありませんか。科学は人が神を研究対象とするようにしていませんか。科学は神の存在について人をますます疑い深くしているのではないですか。(そうです。)では、サタンは人間を堕落させるためにどのように科学を用いたいのですか。サタンは科学的結論を用いて人を騙し麻痺させ、曖昧な解答を用いて人の心をしっかり捕まえて、人が神の存在を追求したり信じたりしないようにしたいのではありませんか。(その通りです。)それゆえに、科学はサタンが人を堕落させる方法の一つであるとわたしは言うのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 V.」(『言葉』第2巻)

74. サタンは民間伝承や歴史書に登場する物語を数多く作り上げて、人間に伝統文化や迷信の登場人物などを深く印象付けています。例としては、中国には「八仙過海」「西遊記」「玉皇大帝」「ナーザの大暴れ」「封神演義」などがあります。これらは、人間の心に深く根ざしていませんか。あなたがたのうちには物語の詳細をすべて把握していない人もいるでしょうが、あらすじは知っており、内容の概要が心や頭に残って忘れることができないのです。これらは、サタンがはるか昔に人間向けに用意した様々な思想や伝説であり、異なる時期に流布されてきたものです。このような事柄は人間に直接的な危害を加え、人間の魂を蝕み、人々に次々と呪文をかけます。つまり、ひとたびそうした伝統文化、伝説、迷信的な物事を受け入れ、それが頭の中で定着し、心から離れなくなった時点で、あなたは呪文にかけられたようなものであり、このような文化の罠、思想、伝説的物語に捕らわれ、影響されるようになるのです。これは生活や人生観、判断力に影響を与えます。人生における真の道の追求にはさらに影響を与えるので、これはまさしく呪文です。どれほど努力しても捨てられず、切っても切り捨てられず、打っても打ち倒すことができません。さらに、人間が無意識のうちにこの種の呪文にかかった場合、知らぬうちにサタンを信仰するようになり、心の中にサタンの像を育てます。つまり、サタンを偶像、崇拝対象とし、過度の場合は神とみなします。こうした物事は人間の心に無意識のうちに存在し、人間の発言や行動を支配します。さらに、こうした物語や伝説をはじめのうちは虚偽とみなしますが、その存在を無意識のうちに認め、そこから本当の人物を作り出し、本当の実在する物事に変えていきます。知らないうちに意識下で、これらの思想や物事の存在を受け入れるのです。意識下で悪魔、サタンそして偶像も自宅や心に受け入れるのです。これはまさしく呪文です。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」(『言葉』第2巻)

75. 人々が行なう迷信的な行為は、神が最も忌み嫌うものである。しかし多くの人は、そうした迷信的行為が神によって定められたものだと考え、それを捨て去ることができず、今日に至っても完全に捨てられずにいる。若者が手配する婚礼の宴、嫁入り道具、祝儀、およびご馳走や、それと同様に祝われる慶事、継承されてきた古代の風習、死者のために行なわれる無意味な迷信的行為や葬式などは、それにも増して神が忌み嫌うものである。礼拝日(宗教界が守っている安息日を含む)でさえ、神にとって忌み嫌うべきものである。それにも増して、神は人間同士の社交関係や世俗的な付き合いを嫌悪し拒絶する。誰もが知っている春節やクリスマスは、神が定めたものではなく、ましてや二行連句、爆竹、灯籠、聖餐、クリスマスのプレゼントや催しなど、これらの祝日で用いられる玩具や装飾は、人間の心にある偶像ではないのか。安息日にパンを割くことや、ぶどう酒、亜麻布の衣服などは、それにも増して偶像である。龍擡頭、龍舟節、中秋節、臘八節、新年などといった、中国で一般的な伝統的祭日、そして復活祭、洗礼日、クリスマスなどの宗教的祭日は、どれも正当化しようのない祭日だが、昔から現在に至るまで、大勢の人によって制定され、受け継がれてきている。これらの祭日が現在まで受け継がれてきたのは、人間の豊かな想像力と巧妙な観念の賜物である。そうした祭日に欠点などないように思われるが、実際には人間に対するサタンの策略である。その地にサタンがはびこっていればいるほど、またその地が廃れて後進的であればあるほど、そこには封建的風習が一層深く根ざしている。そうした物事は人間を堅く縛り、そのために身動きする余地がまったくない。宗教界の祭祀の多くが、高い独創性を示し、神の働きへの架け橋を築いているように思われるが、それらは実のところサタンが人々を拘束し、神を知るようになることを妨げる、目に見えない紐であり、いずれもサタンの狡猾な策謀である。事実、神の働きのある段階が完了すると、神はすでにその時代の道具や様式を跡形もなく破壊し終えている。しかし「敬虔な信者」は、そうした有形の物体を崇拝し続ける。その一方で、彼らは神のもつものを心の奥へしまい込み、それ以上学ばず、神への愛で満ち溢れているかのような様子でいるが、実際にははるか以前に神を家から追い出し、卓上にサタンを据えて崇めている。人々はイエスの肖像、十字架、マリア、イエスの洗礼、最後の晩餐などを天の主として尊びつつ、「主よ、天なる父よ」と繰り返し呼び続ける。これはすべて冗談ではないのか。現在に至るまで、人類のあいだで受け継がれてきた同様の文言や実践は、神にとって憎むべきものである。それらは神の前途を大いに阻み、そしてさらに、人間の入りに巨大な障害をもたらす。サタンが人間を堕落させた程度を脇に置いても、人々の内面はウイットネス・リー(李常受)の掟やローレンスの経験、ウオッチマン・ニー(倪柝聲)の調査、そしてパウロの働きのような物事で満たされている。神が人間に働きを行なう術は一切ない。なぜなら、人々の内面には個人主義、掟、規則、規制、制度などが多過ぎるからである。人々がもつ封建的迷信の傾向に加え、そうした物事は人間を捕らえて食い尽くしてきた。それはあたかも、人々の考えが、とある寓話を極彩色で物語る、興味深い映画であるかのようである。想像上の生き物が雲に乗っているその寓話は極めて独創的であるために、人々は驚き、茫然として言葉を失う。実のところ、神が来て今日行なう働きは、主として人間の迷信的な特質を取り扱い、一掃し、その心構えを完全に変化させることである。神の働きが今日まで続いたのは、人間が何世代にもわたって受け継いできた遺産のためではない。その働きは、霊的偉人の遺産を継承する必要も、他の時代に神が行なった代表的な働きを受け継ぐ必要もなく、神が自ら開始し、完了させるものである。人間はそうした物事に一切関わる必要がない。現在の神は別の方法で語り、働きを行なう。それならば、なぜ人間が自ら苦労しなければならないのか。人間が自分たちの「祖先」の遺産を受け継ぎながら、この流れの中で今日の道を歩んだ場合、終着点にたどり着くことはないだろう。神は人間界の年月や日々を憎悪するのと同じく、人間が有するこの独自の行動形態を大いに忌み嫌っている。

『神の出現と働き』「働きと入ること(3)」(『言葉』第1巻)

76. サタンは社会動向を用いて人間を堕落させます。社会動向には様々なものがあります。「それは最新ファッションや化粧品、ヘアスタイルやグルメに関することですか」などと言う人がいます。これらは社会動向とみなされますか。それらも社会動向の一部ですが、ここでそうした物事については取り上げません。ここでは、社会動向が人間にもたらす考えや、社会動向が人間に世の中での行動にどう影響するか、そして社会動向が人間にもたらす人生の目標や人生観についてのみ話し合います。これらは人間の精神状態を支配し、影響を与えることがあるので、極めて重要です。社会動向は次々と生まれ、それぞれに人間を堕落させ続け、良心、人間性、理知を失わせ、道徳や人格をどんどん低下させる邪悪な影響があり、それゆえ現在、大部分の人には誠実さや人間性、良心などなく、さらには理知さえ欠如しているとさえ言えるほどです。では、そのような社会動向とは何ですか。それは裸眼では見ることができない動きです。ある社会動向が席巻するとき、その最先端にいて仕掛け人となるのはごく僅かな人たちです。その人たちは何か新しいことを始め、次に何か新しい考え方や物の見方を受け入れます。しかし大部分の人々は無意識のうちに、そのような動向に続けて汚染され、取り込まれ、魅惑され、やがてそれを知らず知らずのうちに無意識のうちに受け入れ、それに呑み込まれて支配されるようになります。このような社会動向のせいで、心身が健全でなく、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの区別ができない人たちは、そうした動向を次々と喜んで受け入れ、さらにはサタンに由来する人生観や価値観も受け入れてしまいます。このような人は、人生にどう取り組むかに関するサタンの言葉を受け入れ、サタンから「授けられた」生きる道を受け入れます。その人には抵抗する強さも能力もなく、ましてやその認識もありません。……

…… サタンはこうした社会的動向を用いて、少しずつ人間を誘惑して悪の巣窟へと導き、社会的動向に捕らわれた人間は気付かぬうちに金銭や物欲、邪悪と暴力を擁護するようになります。ひとたびこうした物事が人間の心に入ると、人間はどうなりますか。人間は邪悪なサタンと化すのです。なぜですか。なぜなら、人間の心にはどのような心理的傾向がありますか。人間は何をあがめますか。人間は邪悪と暴力を好むようになり、美や善を喜ばず、またそれ以上に平和を嫌います。人間は正常な人間性による質素な生活を送ろうとせず、高い地位や大きな富を楽しむことを望み、肉の享楽に耽溺し、自分の肉を際限も制約もなく満足させるために努力を惜しまず、したいことならば何でも行ないます。人間がこうした動向に没頭した場合、取得した知識は人が自分を解放するのに役立ちますか。伝統文化や迷信を理解していることは、この窮地から逃げるのに役立ちますか。人が知る伝統的な道徳や儀式は、人間が自制する上で役立ちますか。例として、『三字経』を考えてみなさい。これは、人間がこれらの社会動向の泥沼から抜け出すのに役立ちますか。(役立ちません。)このように、人間はますます邪悪で、傲慢で、尊大で、自己中心的で悪意に満ちてゆきます。もはや人間の間にも家族の間にも愛情はなく、親戚や友人の間に理解もなくなり、人間関係は暴力に満ちたものとなっています。誰もが暴力的方法で世間を生きていこうとして、自分自身の生活を確保するために暴力を使います。地位や利益を得るためにも暴力を用い、また乱暴で邪悪な方法でしたい放題です。このような人類は恐ろしくありませんか。(恐ろしいです。)

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」(『言葉』第2巻)

77. 「地獄の沙汰も金次第」はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に蔓延しています。この格言は人間一人ひとりの心に染み込んでいるので、社会動向であると言うことができます。当初、人はこの格言を受け入れていなかったのですが、やがて現実の人生に触れたとき、それを暗黙のうちに受け入れるようになり、これらの言葉は実は本当だと感じるようになりました。これは、サタンが人間を堕落させる手順ではありませんか。おそらく人々はこの格言を同等に理解しておらず、自分の周辺で起きたことや個人的な経験にもとづいて、一人ひとりがこの格言について異なる程度の解釈と認識をもっています。これは事実ですね。この格言について、ある人がどれほどの経験をしているかを問わず、これがある人の心に及ぼし得る否定的な影響とはどのようなものですか。皆さん一人ひとりを含め、この世にいる人々の人間的性質を通して明らかに示されるものがあります。この明らかに示されるものをどのように解釈しますか。それは金銭崇拝です。それをある人の心から排除するのは困難ですか。極めて困難です! サタンによる人間を堕落させる方法は実に悪賢いようです。サタンがこの社会動向を用いて人を堕落させた後、それは人にどのように表れますか。皆さんはお金がなくてはこの世で生き延びられない、一日でさえもお金なしでは過ごせないと感じませんか。人の地位はその人がどれだけお金をもっているかに基づいており、それは人が受ける尊敬の念についても同じです。貧しい人々は恥じて背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人がお金を求めて何らかの犠牲を払っているというのが真実ではありませんか。より多くのお金を求めて自分の尊厳や高潔さを犠牲にしていませんか。しかも、お金のために、自らの本分を尽くして神に従う機会を失っていませんか。これは人にとって損失ではありませんか。(損失です。)この方法と格言を用いて人間をここまで堕落させるサタンは邪悪ではありませんか。これは悪意に満ちた策略ではありませんか。この流布している格言に反対する状態から最終的にそれを真理として受け入れる状態へと進むにつれて、人の心は完全にサタンの掌中に落ち、そのため気付かないうちにこの格言によって生きるようになります。この格言は、どの程度あなたに悪影響を及ぼしましたか。あなたは真の道を知り、真理を知っているかもしれませんが、それを追求するには無力なのです。あなたは神の言葉が真理であることを明確に知っているかも知れませんが、真理を得るために代償を払う気も、苦しむ気もありません。それよりは、自分自身の将来と運命を犠牲にして、最後の最後まで神に逆らう方が良いと思うのです。神が何を言おうと、神が何をしようと、あなたへの神の愛が深く偉大であることをどれほど理解していようと、あなたは頑なに我が道を歩くことに固執し、この格言のために代償を払うのです。つまり、この格言は既にあなたの行動や思想を支配しており、あなたはそれをすべて放棄するよりも、むしろそれに自分の運命を支配されることを望んでいるのです。人がこのように行動し、この格言に支配され、操られているという事実は、サタンによる人間を堕落させる方法が影響しているということを示していませんか。これはあなたの心に根付いているサタンの哲学と堕落した性質ではありませんか。もしあなたがそれをすると、サタンはその目的を達成したことになりませんか。(なります。)サタンがこのように人間を堕落させてきたことが見えますか。感じることができますか。(いいえ。)あなたはそれを見も感じもしなかったのです。ここにサタンの邪悪が見えますか。サタンはあらゆる時にあらゆる場所で人間を堕落させます。サタンは人間がこの堕落に対して防御することを不可能にし、それに対して人間を無力にさせます。あなたがうっかりしていたり、自分に何が起きているかを認識していなかったりする状況において、サタンはその思想、観点、サタンに由来する邪悪な物事をあなたに受け入れさせます。人はそれらをすっかり受け入れ、それに異議を唱えることもありません。それらを宝のように大切に抱えてすがりつき、それらが自分を操り、もてあそぶにまかせます。このようにしてサタンによる人間の堕落はますます深刻になるのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 V.」(『言葉』第2巻)

78. 人間を堕落させるためにサタンが用いる手段は、おもに六つあります。

第一の手段は支配と威圧です。つまり、サタンはあなたの心を支配するために、あらゆることを行ないます。「威圧」とは何ですか。脅迫と強制的な戦術を用いてあなたに言うことを聞かせ、従わなかった場合の結末を考慮させることを意味します。あなたは恐れて、逆らうような真似はせず、サタンに服従します。

第二の手段は騙しとごまかしです。「騙しとごまかし」には何が伴いますか。サタンは物語や嘘をでっち上げて人を騙してそれらを信じさせます。サタンは人間が神に造られたとは決して言いませんが、人間は神に造られたのではないとも直接的に言いません。サタンは「神」という言葉をまったく用いず、あなたを惑わすために言い換えの言葉を用いるので、あなたは神の存在については基本的に何も知りません。このごまかしには当然、これ以外にも様々な側面があります。

第三の手段は強制的な教化です。何について人は強制的に教化されますか。強制的な教化は、人間自身の選択により行なわれますか。人間の同意のもとで行なわれますか。(いいえ。)人間が同意しなくても、どうすることもできません。あなたの無意識のうちに、サタンの思想や生活法則、本質があなたに吹き込まれます。

第四の手段は脅迫と誘惑です。つまり、あなたにサタンを受け入れさせ、あなたをサタンに付き従わせ、サタンのために行動させるために、サタンは様々な手段を用います。サタンは目標達成のためならば、手段を選びません。サタンは時々あなたに僅かに恩恵を施し、あなたを誘惑して罪を犯させます。あなたがサタンに従わなかった場合、サタンはあなたを苦しめ、あなたに罰を与え、あなたを攻撃して罠にかけるために様々な手段を用います。

第五の手段は惑わしと麻痺です。「惑わしと麻痺」とは、人間を騙すことが唯一の目的なのに、あたかもサタンが人間の肉や生活、将来を考慮しているように見えるよう、人間の考え方と合致するような甘い言葉や思想をでっち上げることです。サタンはそうして人間を麻痺させるので、人間は善悪の判断がつかなくなり、人間は知らないうちに騙され、サタンに支配されてしまうのです。

第六の手段は、心身の破壊です。サタンは人間のどの部分を破壊しますか。(人間の精神と存在のすべてです。)サタンは人間の精神を破壊し、あなたを無力にして反抗させないようにします。つまり、あなたの心は自分の意思に反して少しずつサタンへ向いてゆきます。サタンは、考えや文化などを用いて、そのようなことを日常的に人間に吹き込み、人間に影響を及ぼし、教化し、少しづつ人間の意志を滅ぼし、もはや善人になりたくないと考えさせ、人間が義と呼ぶものを堅持する意志をくじきます。知らないうちに、人間は流れに逆らって上流へと進む意志の力を失い、下流に流されていきます。「破壊」とは、サタンが人間を苦しめるあまり、人間の幽霊で、もはや人間ではない状態にした上で、その機会に人間を食い尽くすことです。

サタンが人間を堕落させるこれらの手段は、どれもが人間を無力にして反抗できない状態に陥れることが可能です。どれもが人間にとって致命的なものです。つまり、サタンの行動とサタンが用いる手段は、すべてあなたを堕落させ、サタンの支配下に置き、罪悪の泥沼に陥れることができます。これらがサタンが人間を堕落させるために用いる手段です。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」(『言葉』第2巻)

79. ひどく汚れた地に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、「高等教育機関」で教えを受けてきた。時代遅れの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な人生哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と風俗、これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった。人の性質は日ごとに悪質になり、神のために進んで何かを投げ出そうという者は一人としておらず、進んで神に従う者は一人としておらず、さらには神の出現を進んで探し求める者も一人としていない。それどころか、サタンの支配下で快楽を追求しているだけで、泥の地で肉体の堕落にふけっている。真理を耳にしたときでさえ、暗闇に生きる人々はそれを実行に移そうとは考えず、たとえ神の出現を見たとしても、神を探し求める気持ちにはならない。こんなにも堕落した人類にどうして救いの可能性があり得ようか。どうしてこんなにも退廃した人類が光の中に生きることができようか。

『神の出現と働き』「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」(『言葉』第1巻)

80. サタンは人を騙すことで評判を確立します。サタンは正義の先導者的かつ模範的存在としての立場を確立することがよくあります。正義を守ると見せかけて、サタンは人間を傷つけ、その魂を食い物とし、人間を麻痺させ、騙し、扇動するためにあらゆる手段を講じます。サタンの目標は、サタンの邪悪な行いを人間に認めさせ、それに従わせること、サタンが神の権威と統治に反対するのに人間を参加させることです。しかし、人間がサタンの陰謀や策略、下劣な顔つきを見通し、サタンの踏み台にされ、騙され、奴隷として仕え、サタンと共に罰を受けて滅ぼされることを望まなくなると、サタンはそれまでの聖人づらを一変させ、仮面を破り捨て、真の邪悪で残忍で醜く野蛮な素顔を現します。サタンに従うことを拒み、その邪悪な勢力に反対する者すべてを皆殺しにすることほどサタンが好むことはありません。この段階で、サタンは信頼のおける紳士的姿を装うことはできず、羊の皮の下の醜い悪魔のような正体があらわになります。ひとたびサタンの陰謀が明るみに出て、その真の特徴が暴露されると、サタンは激怒して野蛮さを現します。その後、人間を傷つけ、食い物にするサタンの欲望は強くなるばかりです。これは、人間が真理に目覚めると、サタンは激怒し、捕らわれの身から解き放たれて自由と光を得ようとする人間に強い復讐の念をもつようになるからです。サタンの怒りはその邪悪さを正当化し保護するためであり、それはまたサタンの野蛮な性質を真に暴露しています。

万事においてサタンの振る舞いはその邪悪な本性をさらしています。サタンが人間を惑わせて自分に従わせようとする初期の取り組みから、邪悪な行ないに人間を引きずり込むサタンによる人間の搾取、サタンの真の姿が暴かれ、人間がそれに気づきサタンを見捨てた後のサタンの復讐の念まで、サタンが人間に行なうあらゆる邪悪な行ないのうち、サタンの邪悪な本質が露わにならないものも、サタンが肯定的な物事と無関係で、あらゆる邪悪なものの根源であることを証明しないものもありません。サタンの行動はすべてサタンの邪悪さを守り、サタンの邪悪な行ないを継続させ、正しく肯定的な物事に反し、人類の普通の存在の法則や秩序を破綻させます。サタンのこのような行ないは神への敵意であり、神の怒りに滅ぼされます。サタンにはサタンの怒りがあるものの、それはサタンの邪悪な本性を発散させる手段でしかありません。サタンが憤慨し、激怒する理由は、そのおぞましい陰謀が暴露され、策略がうまく行かず、神の代わりとして君臨するというサタンの向こう見ずな野心と欲望が打ち砕かれ、阻止され、全人類を支配するという目標が今や無となり、永遠に達成の見込みがなくなったからです。サタンの陰謀が結実することや、サタンの邪悪が拡散するのを阻止してきたのは、神が度々奮い起こしてきた怒りです。そのため、サタンは神の怒りを嫌うと同時に恐れています。神の怒りが下るたびに、サタンの下劣な真の姿が明らかになるだけでなく、サタンの邪悪な願望も明らかにされ、その過程で人類に対するサタンの怒りの理由が白日の下にさらされます。サタンの激昂は、その邪悪な本性と謀略が真に明示されたものです。もちろん、サタンが激怒するたびに、邪悪なものが破壊され、肯定的なものが保護され維持されることが告知されます。それは、神の怒りは犯すことが許されないという真理が告知されるのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 II.」(『言葉』第2巻)

脚注

1.「根拠のない言いがかりをつけ」とは、悪魔が人間を害する方法を指す。

2.「厳重に守られている」とは、悪魔が人間を害する方法が特に残忍であり、人間を強く支配するので、人間には動き回る余地がないことを指す。

3.「飲み込む」とは、人間のすべてを奪い尽くす魔王の凶暴な行動を指す。

4.「犯罪者集団」は「ごろつきの群れ」の同義語である。

5.「分解不可能」は、ここでは皮肉であり、人が自分の知識、文化、精神的観点において凝り固まっていることを意味する。

6.「法の及ばないところを自由にうろつく」とは、悪魔が狂ったように暴れ回ることを指す。

7.「台無しにする」とは、悪魔の凶暴なふるまいがいかに見るに耐えがたいことであるかを指す。

8.「打ちのめされてあざができ」は魔王の醜い顔について述べている。

9.「大博打を打って」は、最後に勝つことを期待して一つのことに全財産を賭けることで、悪魔の陰険で邪悪な謀りの喩えとして、嘲笑的に用いられている。

a. 四書五経は中国における儒教の権威的な書籍である。

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