神を畏れ悪を避けるために必要な道

神を畏れるということは

名づけようのない恐れ、

逃避すること、偶像崇拝や迷信を意味するわけではない。

むしろ、神を畏れるということは、

敬慕、尊敬、信頼、

理解、思いやり、従順を意味する。

それは奉献、愛、絶対的礼拝、

神に報いること、不平のない明け渡しである。

神についての真の認識がなければ、

人は敬慕し、信頼し、理解することも、

本当に思い遣り、従うことも出来ず、

恐怖と不安に満たされ、

疑いと誤解でいっぱいになり、

逃避しがちになり、避けたいと思うだろう。

神についての真の認識がなければ、

神に奉献し報いることはありえないし、

人間は礼拝し、真に自らを明け渡すことはなく、

盲目的な偶像崇拝、

迷信があるだけだろう。

神についての真の認識がなければ、

人は神の道を歩けず、

神を畏れ、悪を避けることも出来ない。

むしろ、人がすることは全て、

不従順と反抗、

口ぎたない非難、

神についての不当な裁き、

真理と神の言葉が真に意味しているものに反する、

邪悪な行為に満ちている。

しかし神への真の信頼があれば、

どのように神に従い、拠り頼んだらよいか分かる。

その時になってようやく人は、

神を理解し、思い遣り始めるのであろう。

神への真の思いやりがあってこそ、

人は本当に従順になることが出来る。

そしてその従順から、神に対する

真の奉献が流れ出るであろう。

そしてそのような真の奉献から、

神への無条件の報いが流れ出る。

このようにしてのみ人は神の本質、性質、

また神がだれであるかを知ることが出来る。

彼らが創造主を知る時、

真の礼拝と、明け渡しが生まれる。

これらが存在する時だけ、

人は自らの邪悪な生き方を本当に棄てることが出来る。

そしてこれらのことが

「神を畏れ悪を避けること」の全過程を成し、

「神を畏れ悪を避けること」

全体の内容である。

それは又、神を畏れ悪を避ける

者となるために、人が歩むべき道である。

『言葉は肉において現れる』の「神を知ることこそ、神を畏れ悪を避ける道である」より編集

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