521 真理を追い求める者だけが神により完全にされる
1 日常の問題に関しては、人間が重大であると捉えることと、些細であるとみなすことがあります。人間はこうした大きな問題を極めて重要と考え、それが神に与えられたと考えます。しかし、こうした大問題が発生するにつれて、未熟な霊的背丈と貧弱な力量のせいで、人はしばしば神の心意に従うことができず、神の啓示や、価値のある実質的な認識がまったく得られないことが往々にしてあります。些細な問題については、人間に無視され、放置されて徐々に意識からなくなります。そのようにして、人間は神の前で神に検証され、試される数多くの機会を逃しています。神があなたのために采配したこのような人、出来事、物や状況にいつも気づかないとしたら、それは何を意味しますか。それは、毎日、それどころか瞬間瞬間に、神により完全にされることと神の指揮を放棄していることを意味します。
2 神があなたのために采配したこのような人、出来事、物や状況にいつも気づかないとしたら、それは何を意味しますか。それは、毎日、それどころか瞬間瞬間に、神により完全にされることと神の指揮を放棄していることを意味します。神があなたのために一つの状況を手配するたびに、神はあなたの心、思いや考え、どのように考えるかを密かに観察し、あなたがどのように行動するかを見届けようとしています。あなたが不注意な人、すなわち神の道、神の言葉、真理に真剣に取り組んだことがない人であれば、その状況をあなたのために手配したときに神が完全にしたいこと、あなたに要求していることに注意することも、配慮することもありません。また、あなたが遭遇する人、出来事、物が真理や神の心意にどのように関連するかを知ることもありません。
3 何度試練に遭遇しても、あなたの心は神を崇めず、神があなたのために采配した状況を、神からの試練であり試験としてそのまま受け入れていません。その代わり、神があなたに与えた機会を次々と拒否し、何度も逃がしています。それは人間の極端なまでの反抗ではありませんか。神が人間に与える試練や試験を人間が拒否するときや、人間がそれらを回避するとき、神が彼らに見せる態度はただ一つです。神は彼らを心の底から拒絶します。これが、神の道を歩んだことがなく、神を畏れ悪を避けたことがない人に対する神の最終的な判断です。
『神を知ることについて』「神の性質と神の働きが達成する成果をいかにして知るか」(『言葉』第2巻)より編集