ほんの短い間も人は自分の肉を忘れられないのか

暖かい春になり、花々が開花し、そして天の下のすべてが緑に覆われ、地上のすべてのものがあるべき場所に納まると、すべての人々と物事は次第に神の刑罰を受けることになるだろう。そしてその時、地上における神のすべての働きは終わるだろう。神はもはや地上では働かないし、住まないだろう。神の偉大な働きが完了しているからである。人々はこの短い期間、自分の肉を忘れることはできないのだろうか。神と人の間の愛を裂き得るものは何だろうか。誰が神と人の間の愛を引き裂き得るだろうか。それは両親だろうか、夫か、姉妹か、妻か、それとも痛みをともなう精練だろうか。良心が持つ感情は人間の心の中の神の姿を消し去ることができるだろうか。人々の互いの恩義と行動は、自ら出た行為だろうか。それらを人間は矯正することができるのだろうか。誰が自分自身を守ることができるだろう。人々は自らに施すことができるだろうか。人生で強いのは誰だろう。わたしから離れて独り立ちできるのは誰だろう。自分を顧みるようにと、すべての人々に向かって神が幾度も要求するのはなぜだろう。なぜ神は次のように言うのだろう。「自分の困難を自らの手で用意する人などあるだろうか。」

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十四章」より編集

前へ: あなたがたの今の毎日が決定的

次へ: 肉は終着点を台無しにできる

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

終わりの日に神は言葉で人を裁き清める

終わりの日の神の業は 言葉を伝えること それがもたらす変化は かつての恵みの時代に 神が見せた奇跡的なしるしや 不思議な業よりも大きい その恵みの時代には 手を置くと悪魔は逃げたが 人の中には堕落した性質が残った 病気を癒され罪を赦されたのに 悪魔的性質を追い出す業は まだ成し遂…

人類はもはや神が望むような存在ではない

人類は何年もかけ発展し 今日に至った しかし神が創造した人類は 長い間堕落に沈んでいる 人は神の存在を信じない 神が来ることを歓迎しない 神の求めにいやいや同意し 人生の喜び 悲しみを 心から神と分かち合わなかった 人は神を不可解なものと見る 神に微笑むふりをし へつらうよ…

聖霊の働きは普通で実際的だ

聖霊の働きは普通で現実的だ 神の言葉を読んで祈るとき 心は揺るぎないものとなる 外の世界はあなたを妨げない あなたの心はとても明るくなる あなたは喜んで神を愛し 邪悪な世界を憎み良いことを好む これが神の内に生きることであり 一部の人が言うような 非常に楽しむという 非現実的な…

神の足跡を探すなら

神の足跡を探すなら 探さねばならない 神の御心、神の御言葉、神の御声 神の新しい御言葉の中 神の御声がある 神の足跡があるところには 神の御業がある 神の印があるところ そこには神が現れる 神の現れるところには 真理、道、命がある 神の足跡を探す時 神の真理、生きる道、…

設定

  • 文章
  • テーマ

単色

テーマ

フォント

文字サイズ

行間

行間

ページ幅

目次

検索する

  • 表示テキスト内検索
  • 全文検索