日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 449
そうした愚かで傲慢な人々は最善を尽くしもせず、自分の本分を果たしもせず、そのかわりにただ恵みを求めて手を差し出す。まるで、自分たちにはそれを求める資格があるかのように。そして、もし求めるものが得られなければ、さらに不信仰になる。どうしてこんな者たちが理性的だとみなされようか。…
誰もが神を信じて生きる自らの生活を顧み、神を求めるにあたり神を真に理解しているか、真に把握しているか、そして真に神を知るに至っているか、様々な種類の人間に対し神がどのような姿勢で臨むかを知っているか、また神は自分にどのような業を施しているか、神は自分の行為を、それぞれどのように定義しているかを理解しているか確認する必要がある。あなたの隣にあり、あなたを進むべき道へと導き、あなたの運命を定め、あなたに必要なものを授ける神。よく考察してみた結果として、その神について、あなたは本当のところ、どの程度理解し、どの程度知っているであろうか。神があなたに対して毎日どのような業を施しているかを、あなたは知っているか。神のあらゆる業の根底となる原則と目的を、あなたは知っているか。神があなたをどのようにして導いているかを、あなたは知っているか。神がどのようにしてあなたに授けるかを、あなたは知っているか。神があなたを導く方法を、あなたは知っているか。神があなたから得たいと思っていること、そして神があなたの中で達成したいと思っている事柄を、あなたは知っているか。あなたが取る様々な姿勢に対して、神がどのような態度で臨むかを、あなたは知っているか。あなたが神に愛される人間であるかどうかを、あなたは知っているか。神の喜び、怒り、悲しみ、楽しみの根源と、その背後にある思いや考え、そしてその本質を、あなたは知っているか。究極的に、あなたが信じる神とはどのような存在であるかを、あなたは知っているか。このような問題は、あなたが全く理解できたことがないもの、考えたことのないものではないだろうか。神を信じることを追求する上で、神の言葉を真に体得すること、経験することで、あなたの神に関する誤解がとけたことは、かつてあるだろうか。あなたは、神の懲らしめ、鍛錬を受けた後に、真に神に従い、神を思うようになったことが、かつてあるだろうか。あなたは、あなたが神の刑罰と裁きを受けている時に、人間の反抗、人間のサタンのような本性を知り、神の聖さの片鱗を理解するようになったことは、かつてあるだろうか。神の言葉による導きと啓きによって、あなたが新たな人生観を得始めただろうか。あなたは、神から授かった試練のなかで、人間にとっての神の不可侵さや、神があなたに要求していること、いかにして神があなたを救っているかを感じてきただろうか。神に対して誤解するというのはどういうことか、そしてその誤解をとく方法を知らないのであれば、今まであなたには神との真の交わりが一切無く、神を全く理解していないか、少なくともあなたが神を理解したいと望んだことは一切ない、と言える。神の懲らしめと鍛錬が何かを知らないのであれば、神に従うこと、神を思うこととはどのようなことかを知らないこと、あるいは少なくとも神に従うこと、神を思うことがかつて無かったことは確実である。かつて神の刑罰と裁きを受けたことが無いのであれば、神の聖さとは何かを知らないこと、またそれ以上に、人間の反抗とは何かをよく知らないことは確実である。未だに正しい人生観あるいは人生の目的を持っておらず、自分の人生の将来について迷い、優柔不断で、前に進むことを躊躇さえしているのであれば、あなたが神の導きと啓きを真に受けていないことは確実であり、また神の言葉により備えられた、あるいは再び満たされたことも無いと言える。今まで神からの試練を通ったことが無いのであれば、人間にとっての神の不可侵さが何なのか、神があなたに要求していることは、究極的には何かについて理解していないし、ましてや、人間を経営し救う神の業とは究極的には何かを知らないことは、言うまでもない。ある者が何年間にわたり神を信じているかに関わらず、その者が神の言葉を経験することも認識することもかつて無かった場合、その者が救いへの道を歩んでいないこと、その者の神に対する信仰は実の無いものであること、そしてその者の神に関する認識が皆無であることは確実であり、またその者は神を畏れることとは何かについて、全く見当もついていないことは言うまでもない。
『神を知ることについて』「序文」(『言葉』第2巻)より
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そうした愚かで傲慢な人々は最善を尽くしもせず、自分の本分を果たしもせず、そのかわりにただ恵みを求めて手を差し出す。まるで、自分たちにはそれを求める資格があるかのように。そして、もし求めるものが得られなければ、さらに不信仰になる。どうしてこんな者たちが理性的だとみなされようか。…
神が経営をし始めてから今まで、神はいつでもその働きを十分に献身的に遂行している。神はその姿を人間に対して隠していても、いつでも人間の味方であり、人間に対して業をなし、自身の性質を現し、自身の本質によって全ての人間を導き、力、知恵、権威を通して一人ひとりの人間に働きを行っている。従…
わたしは以前「しるしや不思議を見ることを求める者は、見捨てられるだろう。彼らは、完全にされる人たちではない」と言った。わたしは非常に多くの言葉を話してきたが、あなたは、この働きについての認識を微塵も持ち合わせない。そして、ここにいたっても、あなたは依然として、しるしや奇跡を求…
ヨブが自分の生まれた日を呪ったのは神に心を痛めてほしくなかったからである わたしはしばしば、神は人の内側を見るが、人間は人の外側を見ると言う。神は人の内側を見るので、人の本質を理解するが、人間は人の外側からその人の内側を判断する。ヨブが口を開いて自分の生まれた日を呪った時、ヨ…