日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 403

2020年10月14日

今後は、神の言葉について語ることがあなたが話す際の原則である。あなたがたが集まるとき、神の言葉について語り、それを話題にすべきである。神の言葉に関して知っていること、神の言葉をどう実践しているのか、聖霊がどう働くのかについて話しなさい。もしあなたが神の言葉について伝えるなら、聖霊があなたに光を当ててくれる。この世界が神の言葉の世界になるとすれば、人もまた協力しなければならない。もしあなたがこの点において成長しないのであれば、神はその働きができない。もしあなたが神の言葉について語らなければ、神はあなたに光を当てることができない。時間のある時にはいつでも神の言葉について話しなさい。無駄話をしてはいけない。神の言葉で生活を満たしなさい。そうしているならば、あなたは敬虔な信者となる。あなたの話が表面的なものであっても、それは構わない。表面が存在しなければ、深みはないのだから。通過しなくてはならないプロセスがある。あなたは実践を通して、聖霊によって下される光を理解し、神の言葉を効果的に飲み食いする方法を知る。しばらくのそうした探求の後、神の言葉の現実に入るだろう。協力しようという決意があってはじめて、あなたは聖霊の働きを受ける。

神の言葉を飲み食いする原則には、二つの面がある。一つは認識に関わり、もう一つは成長に関わることである。どの言葉を知るべきだろうか。ビジョンに関わる言葉を理解すべきだ。(つまり、今、神はどの時代に入っているのか、神は今何を成し遂げたいと願っているのか、受肉とは何かなどといった事柄である。これらはみなビジョンと関わっている。)人間はどのようにして成長すれば良いのか。これは、人間が実践し、成長すべき神の言葉に関係している。これらが神の言葉の飲食に関する二つの面である。これからは、このようにして神の言葉を飲み食いしなさい。ビジョンに関する言葉の明確な理解があれば、それ以上は読む必要がない。最も重要なことは、どのようにして心を神に向けるのか、神の前で、どう心を静めるのか、どのように肉に背くのかなど、成長することについて、より多くの言葉を飲み食いすることだ。それが実行すべきことだ。神の言葉を飲み食いする方法を知らなければ、真の交わりは不可能だ。神の言葉を飲み食いする方法を知ったなら、そして、何が最も重要な問題かを把握したなら、自由に交流できるようになる。どんな問題が提起されても、それらについて交流し、現実を把握することができる。現実抜きで神の言葉について交わることは、最も重要な問題が何かを把握できないことを意味し、あなたが神の言葉を飲み食いする方法を知らない、ということを示す。神の言葉を読んでいて、うんざりする人がいる。そうした状態は正常ではない。神の言葉を読んでいて、飽きるということがなく、いつでも言葉に渇きをおぼえ、いつでも神の言葉がよいものであると考えることが勿論正常である。真に成長した人はそのように神の言葉を飲み食いする。あなたが、神の言葉は誠に実際的で、人間は正に神の言葉において成長すべきと感じる時、そして、あなたが、神の言葉はたいへん役に立ち、人間のためになり、人間のいのちの糧だと感じる時、それは聖霊によって与えられたもので、あなたは聖霊に心を動かされているのだ。これは、聖霊があなたの中で働いており、神があなたから顔を背けていないということの証だ。神がいつも語っているのを見て、神の言葉に飽き、言葉を読んでも読まなくても結果は同じだと考える人がいる。それは正常な状態ではない。そうした人の心は現実に入ることを渇望しておらず、そうした人は完全にされることを渇望せず、重要視もしない。自分が神の言葉に渇いていないことに気づくときはいつでも、あなたの状態が正常でないことを表している。過去には、神が人間から顔を背けたかどうかは、心が穏やかで、喜びを感じているかどうかによって判断された。今、最も重要な問題は、あなたが神の言葉に渇きをおぼえるか、神の言葉があなたの現実となっているか、あなたは神に誠実であるか、神のためにできることを実行できるかどうかである。つまり、人間は神の言葉の現実について判断されるのである。神はすべての人に向かって言葉を発する。あなたがそれをよろこんで読むなら、神はあなたに導きと示しを与えるが、そうでないならば、導き示すことはない。神は、義に飢え渇く者、神を追い求める人々を導き示す。神の言葉を読んでも、神は導きと示しを与えなかったという人々がいる。どのように言葉を読んだのだろう。馬の背から花を眺めるようにさっと読んで、現実を重要視しないのならば、どうして神があなたを導き示すのか。神の言葉を大切に扱わない者を、どうして神は完全にできるのか。神の言葉を大切にしないなら、あなたは真理も現実性も持っていない。神の言葉を大切にするのなら、真理を実践でき、その時あなたは現実性を得る。だから、どのような状態でも、忙しかろうと、そうでなかろうと、困難な状況にあろうと、そうでなかろうと、試練を受けていようといまいと、神の言葉を飲み食いしなければならない。結局のところ、神の言葉が人間存在の基なのだ。誰一人、神の言葉から離れることはできない。神の言葉を一日三度の食事のようにとらなければいけない。神に完全にしてもらい、神のものとされることは、そんなに単純なことなのだろうか。今あなたが理解しているか、あるいは、神の働きについて悟っているかどうかにかかわらず、神の言葉をもっと飲み食いしなければいけない。これが積極的に成長するということだ。神の言葉を読んだ後で、成長できることを急いで実践しなさい。そして、できないことはそのままにしておきなさい。初めのうちは、神の言葉で理解できないことが多くあるだろう。しかし、二、三ヶ月後、あるいは一年後には、わかるようになる。これはどういうことだろう。これは、神には一日や二日で人間を完全にすることができないからだ。たいていの場合、神の言葉を読んでも、その時には理解できないであろう。その時点では、ただの文章にしか感じない。一定の経験を積んではじめて、理解できるようになる。神は多くのことを話したのだから、あなたは、神の言葉を飲み食いするのに最善を努めるべきだ。それと知らない間に、あなたは理解できるようになり、聖霊が啓いてくれる。聖霊が人を啓く時には、その人はそれと気づいていないことが多い。人が渇いて追い求めるとき、神は啓き導いてくれる。聖霊が働く原則は、人が飲み食いする神の言葉を中心としている。神の言葉を疎かにし、神の言葉に対していつも別の姿勢、つまり不注意で、神の言葉を読むかどうかは大差はないと信じている者は、現実を得ていない。聖霊の働きも、神による啓きも、そういう人たちの内には見ることができない。そうした人たちは、ただなりゆきにまかせているだけで、荘子の寓話に登場する南郭氏のように、本物の資格もないのに、そのふりをしているだけだ。

『神の出現と働き』「神の国の時代は言葉の時代である」(『言葉』第1巻)より

あなたの生活を神の言葉で満たしなさい

今日からあなたが話す時は、神の言葉について話しなさい。あなた達が集まる時には、真理による交わりを持ちなさい。神の言葉について知っていること、実行していること、そして聖霊の働きについて話しなさい。自由に過ごす時でも、神の言葉について語りなさい。無駄話はせず、あなたの生活を神の言葉で満たしなさい。その時こそあなたは真の信者なのです!

神の言葉の交わりを持つ時、聖霊が啓示を与えるだろう。神の言葉の世界を作るため、人は協力しなければならない。これに入らなければ、神は自分の業が出来ないし、あなたが語らないなら、神はあなたを照らすことができない。自由に過ごす時でも、神の言葉について語りなさい。無駄話はせず、あなたの生活を神の言葉で満たしなさい。その時こそあなたは真の信者なのです!

交わりが浅くても心配はない、「浅さ」がなければ「深さ」もないのだから、あなたには辿らねばならない過程がある。実践で聖霊の導きを理解し、神の言葉を食べ飲みする方法を知り、言葉の現実の中へと入るのだ。協力する意志があれば、あなたは聖霊の働きを受けるだろう。自由に過ごす時でも、神の言葉について語りなさい。無駄話はせず、あなたの生活を神の言葉で満たしなさい。その時こそあなたは真の信者なのです!

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より

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