日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 480
一部の人は次のように言っている。「パウロは、本当に多くの仕事をし、諸教会に対して非常に重荷を感じ、多大な貢献をした。パウロの13通の手紙は、恵の時代を2000年間支え、それは4つの福音書の次に大きな功績だ。そのパウロを誰と比較できると言うのか。ヨハネの黙示録は誰も読み解けないが、…
神の国の時代が始まるや否や、神は自身の言葉を放ち始めた。未来において、これらの言葉が徐々に成就していくだろう。そしてそのときには、人はいのちへと成長するだろう。人の堕落した性質を明らかにするために神が言葉を用いることは、より現実的であり、そしてより必要である。そして神は、人の信仰を完全にするために自身の働きを行うのに言葉以外の何ものも用いない。なぜなら、今は言葉の時代であり、そしてそれは、人の信仰、決意、協調性を必要とするからである。終わりの日の、肉となった神の働きとは、奉仕し与えるために自身の言葉を用いることである。肉となった神が自身の言葉を話し終えてはじめて、言葉は成就され始めるだろう。神が話している間は、神の言葉は成就されない。なぜなら、神が肉の段階にあるとき神の言葉は成就されず、そして、そうするのは、神が肉であり霊ではないのを人が見ることができるようにするためだからである。この結果、人は自身の目で神の現実性を見ることができる。神の言葉が完了する日、すなわち地上で神によって話されるべきすべての言葉が話されたその日、神の言葉は成就され始めるだろう。今は、成就の時代ではない。なぜなら神は自身の言葉を話し終えていないからである。従って、神が地上で自身の言葉をまだ話しているのをあなたが見るとき、あなたは神の言葉が成就するのを待ち構えてはいけない。神が自身の言葉を話すのを止め、地上での神の働きが完了する時、それが神の言葉が成就し始める時である。地上で神が話す言葉の中には、ある観点では、いのちの提供が存在し、もう一つの観点では、預言が存在する。来るべき諸事についての預言、行われるであろう諸事についての預言、さらに未だ成し遂げられていない諸事についての預言である。イエスの言葉の中にも預言はあった。ある観点からは、イエスはいのちを供給し、別の観点からは、イエスは預言を話した。今日、言葉と事実を同時に遂行することについて語られることはない。なぜなら、人が自身の目で見ることができることと、神が行うこととの間の差異は、あまりにも大きいからである。ひとたび神の働きが完了したなら、神の言葉は成就されるだろう。そして言葉の後に、事実は到来するだろう、と言うことだけが可能である。終わりの日の、肉となった神は地上において、言葉が果たすべき役割を実行する。そしてこの言葉の本来の役割の実行において、神は言葉だけを話し、その他の問題には注意を払わない。ひとたび神の働きに変化が現れたら、神の言葉は、成就され始めるだろう。今日、言葉はまず、あなたを完全にするために用いられる。神が全宇宙で栄光を獲得する時、それは神の働きが完了する時、話されるべきあらゆる言葉が話され、さらに、全ての言葉が事実になった時である。神は、人が神を知ることができるように言葉における働きをするため、終わりの日に地上にやって来た。その結果、人は神が何であるかを知り、神の知恵と、神の言葉がもたらす神の驚くべき業を全て知ることが可能になる。神の国の時代を通じて、神はすべての人を征服するために言葉を用いる。未来においては、神の言葉は、あらゆる党派、集団、国家、宗派にも届くだろう。神はすべての人を征服し、神の言葉が権威や力を帯びるのをすべての人に知らしめるために、言葉を用いる。したがって今日、あなたがたは、神の言葉にのみ面するのである。
今の時代に神によって話される言葉は、律法の時代に話された言葉とは異なり、また恵みの時代に話された言葉とも異なる。恵みの時代には、神は言葉の働きをせず、単に全人類を贖うために、キリストの十字架上の死について記述しただけである。聖書は、イエスがなぜ磔にされる運命にあったのか、さらに、イエスが十字架上で受けた苦しみ、そして人がどのように神のために磔にされるべきかだけを記述する。その時代を通じて、神によってなされる働きはすべて、キリストの十字架上の死を中心に展開していた。神の国の時代には、肉となった神は、神を信ずるすべての人たちを征服するために、言葉を用いる。これが、「言葉が肉において現れる」ということである。神は、この働きをするために終わりの日にやって来た。つまり、神は、言葉が肉において現れることの実際の意義を成し遂げるためにやって来た。神は言葉を話すだけであり、事実の到来は稀である。これがまさに、言葉が肉において現れることの実体である。そして肉となった神が自身の言葉を話すとき、これが肉における言葉の出現であり、肉へ入り来る言葉である。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。そして言は肉となった。」このこと(言葉が肉において現れるという働き)が、終わりの日に神が成し遂げるだろう働きであり、自身の全経営計画の最終章である。したがって、神は地上に来て、肉の中で自身の言葉を表さなければならない。今日行われること、未来において行われるであろうこと、神によって成し遂げられるであろうこと、人の終着点、救われるであろう人々、滅ぼされるであろう人々、等々、最後に成し遂げられるべきこのような働きはすべて、明確に述べられてきた。そしてこれらはすべて、言葉が肉において現れることの実際の意義を成し遂げることを目的にしている。かつて発行された行政命令や憲法、滅ぼされるであろう人々、安息へ入るであろう人々、これらの言葉はすべて成就されなければならない。これが主として、終わりの日を通じて、肉となった神によって成し遂げられた働きである。神は、神によって運命づけられた人々はどこに属し、運命づけられない人々はどこに属するか、神の民や息子たちはどのように分類されるか、イスラエルに何が起こるだろうか、エジプトに何が起こるだろうかを人々に理解させる。未来には、これらの言葉のすべてが成し遂げられる。神の働きの歩みは加速している。神は、あらゆる時代に何がなされるべきか、終わりの日の肉となった神によって何が行われるよう予定されているか、そして行われるべき神の働きが何であるかを、人に明らかにするための手段として言葉を用いる。これらの言葉はすべて、言葉が肉において現れることの実際の意義を成し遂げるためのものである。
『神の出現と働き』「すべては神の言葉が達成する」(『言葉』第1巻)より
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一部の人は次のように言っている。「パウロは、本当に多くの仕事をし、諸教会に対して非常に重荷を感じ、多大な貢献をした。パウロの13通の手紙は、恵の時代を2000年間支え、それは4つの福音書の次に大きな功績だ。そのパウロを誰と比較できると言うのか。ヨハネの黙示録は誰も読み解けないが、…
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神が受肉した唯一の理由は、堕落した人間が必要としているからである。人間が必要としているのであって、神が必要としているのではない。神のすべての犠牲と苦しみは人間のためであって、神自身のためではない。神には賛否も報奨もない。神はもともと自分のものであるもの以外、将来何らかの収穫を得る…
創造主の身分は固有のものであるので、多神主義的に考えてはならない サタンの技能は人間の技能よりも優れており、サタンは人間には不可能な事が可能であるものの、サタンの行為を羨んだり望んだりするかどうか、またサタンの行動を憎んだり嫌悪したりしているか、またサタンの行動が理解できるかど…