日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 554

神はどのような道をたどって人を完全にするのだろうか。どの側面を含んでいるだろうか。あなたは神があなたを完全にするのを喜んで受け入れるだろうか。神の裁きや刑罰を喜んで受け入れるだろうか。このような問いについてあなたは何を知っているだろうか。もしあなたがこう言った知識について語ることができないなら、このことは、あなたは依然として神の働きについて知らず、聖霊によって全く目を見開かされてこなかったことを示している。そのような人は神に完全にしてもらうことはできない。彼らは、少しの恵みを受けてつかの間楽しむだけであり、長きにわたって恵みを持ち続けることはできない。もし神の恵みを単に楽しむだけなら、神に完全にしてもらうことはできない。一部の人たちは、肉の平和と喜び、逆境や不運のない安楽な人生、争いやいさかいもなく家族と平和に生きること、などで満足するかも知れない。彼らは、このことが神の祝福であるに違いないとさえ信じるかも知れない、しかし実際は、それは単なる一つの神の恵みであるにすぎない。あなたがたは、神の恵みを楽しむだけで満足してはいけない。このような考え方は、あまりにも低俗である。あなたが日々、神の言葉を読み、毎日祈りを捧げているさえとしても、そしてあなたの霊が特別な喜びや平和を感じるとしても、しかし、結局のところ、あなたは、神やその働きに関するどんな認識についても話すことはできない、あるいはそのようなことをした経験も持っていない。そして、あなたがどれ程たくさん神の言葉を食べ、飲んできてたにしても、もし霊の中で平和や喜びを感じるだけなら、そして神の言葉はまるで十分に喜び尽くせないかのように比類なく甘美であると感じるならば、だがしかし、あなたが神の言葉について実際の経験を持たず理解をしていない、あなたはそのような神への信仰のあり方の結果として、何を受け取ることが出来るだろうか。もしあなたが、神の言葉の本質を実現することができないなら、あなたの食べ、飲み、祈ることがまさに、宗教に関わっている。そして、そのような人々は神に完全にしてもらうことはできないし、神のものとされることもできない。神のものとされる人とは真理を追求する人である。神のものとされるのは、人の肉でもなければ所有するものでもなく、彼の内にある、神に属する一部である。これが、神が完全にするのは人の肉ではなく心であり、そうすることによって、神は人の心を自分のものとする、とわたしが言う理由である。言い換えれば、神が人を完全にすると言うことの本質は、人の心が神に向きを変え神を愛するように、神は人の心を完全にする、ということである。

 人の肉体はみな肉のものである。人の肉を獲得することは、神のいかなる目的にも役立ちはしない。というのは、時間と共に減衰していくのは避けられないからである。人の肉は、神からの授かりものあるいはその祝福を、受け取ることができない。もし神が、人の肉だけを獲得し、人の肉をその流れの中に置いたままなら、名目上、人はその流れの中にいるだろう。しかし、その心はサタンに属するだろう。そのとき、人は、地上に現れた神を表現できないばかりか、神の重荷になるだろう。こうして、人を選ぶ神の行為は無意味になるだろう。神に完全にしてもらうことができる人たちは、神から祝福や受け継いだものを受け取ることのできる人たちである。すなわち、そのような人たちは、神が所有するものそして神という存在を取り入れる。そうすることによって取り入れたものが彼らが内部に持つものとなる。すなわち、彼らは、神の言葉が彼らの中に組み入れたものすべてを、所有している。神という存在が何であれ、あなたがたは、その存在のすべてをまさにそれがあるがままに受け入れることができる。そうすることによって、真理を実現することができる。これが、神によって完全にされ、神のものとされた人の姿である。そのような人だけが、神が授ける祝福を受け継ぐ資格がある。すなわち、以下に示されるようなものである。

 1.神の愛のすべてを受け取ること

 2.あらゆる事柄において神の意志に違わず行動すること

 3.神の導きを受け取り、神の光の下で生き、神の啓示を受けること

 4.地上で神によって愛された象徴のように生き抜くこと、すなわち、ペテロが行ったと同じように真に神を愛すること、神の為に十字架にかけられ、死が神の愛に対する報いとなるほどに神を愛すること、そしてペテロと同じ栄誉を受けること

 5.地上のすべての人によって愛され、敬われ、称賛されること

 6.死や死者の国の束縛のすべてを克服すること、サタンに機会を与えず、神のものとされていること、新鮮でいきいきとした霊的状態であること、いささかの疲れもないこと

 7.人生のあらゆるときに、あたかも神の栄光の日の到来を見てきた人のように、言語を絶するほどの高揚感や気持ちの高まりをもてること

 8.神とともに栄光を受け取ること、神の最愛の聖人たちに似た表情をもてること

 9.神が地上で愛するもの、すなわち神の最愛の子になること

 10.姿を変えて、神と共に、肉を超越して第三の天まで引き上げられること

 このような神の祝福を受け継ぐことができる人だけが、神が完全にし、神のものとされた人である。あなたは、何かを獲得してきただろうか。どれほどまで、神はあなたを完全にしてきただろうか。神は手当たり次第に、人を完全にしない。人が見ることができる状態と結果がある。神への信仰がある限り神によって完全にされ神のものとされており、そして神の祝福や神からの授かりものを地上で受け取ることができる、ということは、人が信じる範囲を超えている。そのような事態は、極めて理解しにくく、姿を変えるというような話になるとなお一層理解しにくい。現在、あなたが主として追求すべきことは、すべての事柄において神によって完全にされることであり、そしてあなたが向かい合っているすべての人、事態、事柄を通して、神によって完全にされることである。そうすることによって、神という存在のより多くのものがあなたの中へ取り込まれる。あなたは神から、より多くより大きな祝福を受け継ぐ資格を得る前に、まず地上で、神からの授かりものを受け取らねばならない。今述べたことのすべてが、あなたが追求すべきことであり、最初に理解すべきことである。あなたが、すべての事柄において神によって完全にされることを追求すればするほど、あなたは、すべての事柄において神の導きを見ることができ、そしてそこから神の言葉の存在やその現実性を、異なる立場を通じさらに異なる事態において、積極的に考慮しようとするだろう。あなたは、単に罪を犯さない、あるいは何の考えも持たない、人生哲学を全く持たない、人間としての意思を持たないといった、否定的な状態に甘んじてはいけない。神は、いろいろなやり方で人を完全にする。あなたが結果的に完全にされることはあらゆる事態において可能である。あなたは、肯定的なことから完全にされることが可能であるだけでなく、否定的なことからも完全にされることができる。結果的にあなたは豊かになる。毎日、神によって完全にされる好機そして神のものとされる時が出現する。そのような経験をすると、あなたは大きく変わる。今のあなたは自然に、以前には理解できなかった多くの事柄に対し洞察力を獲得することができるだろう。すなわち、誰かがあなたに教える必要もなく、無意識のうちに、あなたは神によって導きと示しを与えられ、あなたの経験することの細部に至るまで全てが、与えられた示しと導きが活かされたものとなる。神は、あなたを、どちらの側にも曲がって進まないように、先導するだろう。そしてあなたは、完全にしてもらう道へと、神によって導かれるだろう。

『神の出現と働き』「完全にされた人々への約束」(『言葉』第1巻)より

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