日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 477
確かにペテロもキリストに従い始めてから、天然の表現があったが、本性から言えば、最初から彼は喜んで聖霊に従い、キリストを追い求めた人であった。彼の聖霊への服従は純粋なものであり、彼は富や名声を追い求めず、真理に従うことが動機だった。ペテロは三度キリストを否定し、主イエスを試したが、…
イスラエルで行なわれた働きと今日の働きには大きな違いがある。ヤーウェはイスラエル人の生活を導き、刑罰や裁きはさほどなかった。当時、人はこの世のことをあまりに理解しておらず、堕落した性質がほとんどなかったからである。その時代、イスラエル人は言わず語らずヤーウェに従った。ヤーウェが祭壇を建てるように言えばすぐに建てたし、祭司の衣服をまとうように言えばそれに従った。当時、ヤーウェは羊の群れを牧する羊飼いのようであり、羊は羊飼いの導きに従って草場の草を食んだ。ヤーウェは彼らの生活を導き、衣食住や旅の仕方を指導した。当時は神の性質を明らかにする時ではなかった。当時の人類は生まれたばかりであり、反抗的かつ敵対的な者はほとんどおらず、人類のあいだに汚れもさほどなかったので、人は神の性質の引き立て役を務めることができなかったからである。神の聖さが示されるのは、不浄の地から来る人を通じてである。今日、神は不浄の地の人が示す汚れを用いて裁きを行なうが、そのようにして裁きのさなかに神であるものが表わされる。神はなぜ裁くのか。神は罪を憎むので裁きの言葉を語ることができる。人類の反抗心を忌み嫌っていなければ、どうしてそこまで怒ることができるというのか。神に嫌悪や不快が一切なく、人の反抗心を気に留めなかったならば、それは神が人と同じくらい汚れていることを証明するであろう。神が人を裁き罰することができるのは汚れを忌み嫌うからであり、神が忌み嫌うものは神の中に存在しない。神の中にも抵抗や反抗心があれば、神が敵対的で反抗的な者を憎まないであろう。終わりの日の働きがイスラエルで行なわれたなら、それには何の意味もないであろう。中国というどこよりも暗く遅れた地で終わりの日の働きが行われているのはなぜか。それは神の聖さと義を示すためである。要するに、その地が暗ければ暗いほど、神の聖さがさらに明瞭に示されるのである。事実、このことはすべて神の働きのためである。今日あなたがたは初めて、神が天から降臨して自分たちのあいだに立ち、自分たちの汚れと反抗が際立たせていることに気づいた。そして今初めて、あなたがたは神を知る。これは最も偉大な高揚ではないか。実のところ、あなたがたは中国における選ばれた民の一団である。あなたがたが選ばれて神の恵みを享受したが、偉大な恵みを享受するのにふさわしくないのだから、これはすべてあなたがたが最大限に高く掲げられていることを証明する。神はあなたがたの前に姿を現わし、その聖い性質を残らずあなたがたに示し、そのすべてをあなたがたに授け、享受し得るすべての祝福をあなたがたに享受させた。あなたがたは神の義なる性質を味わっただけでなく、それ以上に、神の救い、神の贖い、無限の神の愛を味わった。他の何より汚れた存在であるあなたがたが、そのような偉大な恵みを享受したのである。あなたがたは祝福されていないのか。これは神による高揚ではないのか。あなたがたは最も地位が低く、こうした偉大な祝福を享受するのに本質的にふさわしくない。それでも神はあなたを高揚して例外を設けたのである。あなたは恥ずかしくないのか。自分の本分を尽くせなければ、最後は自分を恥じて罰することになる。今日、あなたは鍛錬されておらず、懲罰されてもいない。あなたの肉は安全かつ健全だが、最終的にこの言葉があなたに恥をかかせる。今のところ、わたしは誰一人として公然と罰していない。わたしの言葉は厳しいかもしれないが、わたしは人にどのように振る舞うのか。わたしは人を慰め、訓戒を与え、記憶を呼び起こす。わたしがそうするのはあなたがたを救うために他ならない。あなたがたは本当にわたしの旨を理解していないのか。あなたがたはわたしの言うことを理解し、それに鼓舞されなければならない。今ようやく、理解する人が数多くいる。これが引き立て役であることの祝福ではないのか。引き立て役であるのは最も祝福されたことではないのか。最終的に、福音を広めに行くとき、あなたがたは「わたしたちは典型的な引き立て役です」と言う。すると相手が「典型的な引き立て役だというのはどういうことか」と訊くので、「わたしたちは神の働き、そして神の偉大な力の引き立て役です。わたしたちの反抗心が神の義なる性質全体を明らかにするのです。わたしたちは終わりの日における神の働きに奉仕する存在であり、神の働きの付属物、またその道具なのです」と答える。それを聞くと相手は興味をそそられる。次にあなたはこう言う。「神が全宇宙の働きを完了させ、全人類を征服するにあたり、わたしたちはその見本にして模範なのです。要するに、聖かろうと汚れていようと、わたしたちはやはりあなたがたよりも祝福されています。わたしたちはすでに神を見ており、また神がわたしたちを征服するという機会を通じて、神の偉大な力が示されるからです。神の義なる性質が強調されたのは、ひとえにわたしたちが汚れて堕落しているからです。あなたがたは終わりの日における神の働きをこのように証しすることができますか。あなたがたにその資格はありません。これはわたしたちを神が高揚していることに他ならないのです。たとえ傲慢でなくても、わたしたちは誇りをもって神を讃えることができます。かくも偉大な約束を受け継げる人は誰もおらず、かくも偉大な祝福を享受できる人もいないからです。神による経営において、かくも汚れている自分たちが引き立て役として働けることに、わたしたちは深く感謝しています」。そして「見本と模範とは何ですか」と訊かれたら、あなたはこう答える。「わたしたちは人類の中で最も反抗的かつ汚れた存在です。サタンに最も深く堕落させられ、最も遅れて卑しい肉の存在なのです。わたしたちはサタンに利用された者の典型的な実例です。今日、わたしたちは人類の中で最初に征服される者として神に選ばれ、神の義なる性質を目の当たりにし、神の約束を受け継いできました。さらに多くの人を征服するのに用いられるので、わたしたちは人類の中で征服される者の見本にして模範なのです」。この言葉以上に優れた証しはなく、これはあなたの最上の経験である。
『神の出現と働き』「征服の働きの第二段階の効果はいかにして成し遂げられるのか」(『言葉』第1巻)より
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確かにペテロもキリストに従い始めてから、天然の表現があったが、本性から言えば、最初から彼は喜んで聖霊に従い、キリストを追い求めた人であった。彼の聖霊への服従は純粋なものであり、彼は富や名声を追い求めず、真理に従うことが動機だった。ペテロは三度キリストを否定し、主イエスを試したが、…
天使たちがわたしを讃えて音楽を奏でるとき、人に対するわたしの同情がかき立てられずにはいられない。わたしの心は即座に悲しみで満たされ、わたしからこのつらい感情を取り除くことはできない。人から引き離され、その後再会する喜びと悲しみの中で、わたしたちは感情を交わすことができない。上にあ…
神はその働きを人間の創造の時からずっと行ってきている。最初、その業はとてもシンプルだった。だがシンプルであったにしても、神の本質や性質はその業に内包されている。今になって、神の仕事が高まり、神は自分に付き従う者に対して膨大な量の具体的な働きを行い、大量の言葉を語った。しかし始めの…
神自身は真理を備えており、神は真理の源です。あらゆる肯定的なものとあらゆる真理は神に由来します。神は万事万物の善悪の判断をすることができます。起こった事、現在起こっている事、まだ人間に知られぬ将来の事の判断をすることができます。神は万物の善悪の判断をすることができる唯一の審判者で…