日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 163
イザヤ、エゼキエル、モーセ、ダビデ、アブラハム、そしてダニエルは、選ばれし民であるイスラエルの指導者または預言者であった。なぜ彼らは神と呼ばれなかったのか。なぜ聖霊は彼らを証ししなかったのか。聖霊はなぜイエスが働きを始め、語り始めると同時にイエスを証ししたのか。なぜ他の者たちは証…
ヤーウェ神の言葉の中に、「あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかった」という一節がある。ヨブが語ったこととは何であったのか。これはここで既に議論した内容でもあり、ヨブ記の中でヨブが語ったとされる何ページにもわたる多くの言葉を指している。これらのページに記録されたヨブの言葉の中で、ヨブは神に対して一度も不平や疑念の言葉を発していない。彼はただ静かに結果を待った。ヨブのこの姿勢はヨブの神に対する従順であり、その姿勢とヨブの神に対する言葉により、ヨブは神に受け入れられた。ヨブが試練に遭い、苦難を経験する間、神はヨブの傍らにいて、たとえ苦しみが神の存在により軽減することはなくても、神は自身の望むものを見ることができ、聞きたいと望んだ言葉を聞くことができた。ヨブの言動のひとつひとつが神の目と神の耳に届いた。つまり、神はヨブの言葉を聞き、ヨブの態度を見た。これが事実である。当時、その時代にあっての神に対するヨブの知識と思いは今日の人々の持つそれらほど具体的ではないというのが事実であるが、その時代にあって、神はヨブの言動の全てを認めた。なぜなら、ヨブの態度と考え、そしてヨブが現したものと明示したものは、神の要求を満たしていたからである。ヨブが試練に遭っている間、ヨブの心の思いと決心は神に結果を示すものとなり、それは神にとって満足できるものであった。その後神は試練を勝ち抜いたヨブの試練を取り除き、ヨブに再び試練がふりかかることはなかった。ヨブは既に試練に遭い、その中で揺らぐことなく立ち続け、サタンに完全に勝利した。神は彼にふさわしい祝福を与えた。ヨブ記42章の10、12節に書かれているように、ヨブは再び祝福を受け、それは最初の祝福を上回るものだった。この時サタンはヨブのもとを去り、再びヨブに話しかけたり働きかけたりすることはなかった。ヨブが再びサタンに妨害されたり攻撃されたりすることはなく、神がヨブを祝福することを叱責することもなかった。
当時の祝福というものは、羊、牛、らくだ、その他物質的なものに限られてはいたものの、神がヨブに与えたいと思ったものはそれを遙かに越えるものだった。神が当時ヨブに与えたいと思った永遠の約束がどのようなものであるかは記録されているだろうか。ヨブを祝福した神は、ヨブの最後に言及することはなく、神の心にヨブの存在は大きかったが、要するに神はヨブに対する祝福を見極めていた。神はヨブの最後を告げなかった。これはどういう意味か。当時、神の計画は人間の最後を公示するところまでに達しておらず、神の働きの最後の段階に入っておらず、よって神が人間の最後を語る事はなく、人間に対して物質的な祝福を与えるに留まったのである。つまり、ヨブの人生の後半は神の祝福の中にあり、周りの人達にとってヨブはそれまでと違う存在となったのである。それでもヨブも他の普通の人達のように年齢を重ね、皆と同じようにこの世に別れを告げる日が訪れた。「ヨブは年老い、日満ちて死んだ。」(ヨブ記42:17)と書かれている通りである。この「日満ちて死んだ」とはどのような意味だろうか。神が終わりの時を宣言する以前の時代、神はヨブの寿命を決めた。ヨブがその年齢に達した時、神はヨブをこの世から自然に去らせた。ヨブの二度目の祝福から彼の死までの間、神はヨブに更なる試練を経験されることはなかった。ヨブの死は神にとって自然なものであり必要なものであり、極めて普通のことであった。それは裁きでも非難でもない。ヨブが生きている間、彼は神を崇拝し、畏れた。つまり、ヨブが死んだ後に彼がどのような最後を迎えたかに関して、神から何の発言も説明もなかった。神は自らの言行に対して思慮深く、その言葉と働きの内容と原則は、自身の働きの段階に沿っており、自身が働く期間に沿っている。ヨブのような人間の最後は神にとってどのようなものなのだろうか。神は何らかの決意をしただろうか。勿論決意した。人間がそれを知ることがないだけである。神はそれを人間に知らせたいとも、知らせようとも思わなかったのである。このように、表面的には、ヨブは年老いて死んだ。ヨブの生涯はそのようなものであった。
ヨブは価値ある人生を送っただろうか。ヨブの人生のどこに価値があっただろうか。ヨブが価値ある人生を送ったと言われるのは何故だろうか。人間にとってヨブの価値はどのような意味があるだろうか。人間的な観点から言うと、ヨブは神が救いたいと願う人間を現していた。サタンと世の人々の前で、神への証しに堅く立っていたからである。ヨブは神に造られたものとしての本分を尽くし、神が救いたいと願う全ての人々の模範となり、型となり、そうすることで、神に信頼していればサタンに勝利することが間違いなく可能であることを示したのである。では神にとってのヨブの価値は何だったのか。神にとってのヨブの人生の価値は、ヨブが神を畏れることができ、崇拝することができ、神の業を証しし、神のする事を讃え、神に慰めと喜びを与えることができたことにあった。そしてまた、ヨブは死を迎える前に試練を経験してサタンに勝利し、サタンと世界の人々の前で神への証しに堅く立ち、人々の中にあって神を褒めたたえ、神の心に慰めをもたらし、神が望む結果を見ることができようにし、希望を持つことができるようにしたことが、神にとってのヨブの人生の価値であった。ヨブの証しは、人が神の証しに堅く立つことができることの前例となり、神によって、神が人間を管理する働きのなかで、サタンを辱めることができることの前例となった。これがヨブの人生の価値ではないだろうか。ヨブは神の心に慰めをもたらし、それによって神は栄光を受ける喜びを味わうことができ、神の経営(救いの)計画にとって素晴らしいスタートとなった。この時以来、ヨブという名前は神を褒めたたえる象徴となり、サタンに対して勝利する人間の象徴となった。ヨブが生涯貫いたものとサタンに対する勝利は神に永遠に尊ばれ、ヨブの完全さと正しさ、神に対する畏れは後の時代に尊ばれ、模範となるだろう。傷のない、輝く真珠のようにヨブは神に尊ばれるだろう。そして人間にとっても、ヨブは尊ばれる価値ある人間なのである。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 2」(『言葉』第2巻)より
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