日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 194
人間は、自らに欠落しているものが霊的いのちの供与と神を知る経験だけでなく、それ以上に重要な事として、自らの性質の変化であることを現在になってようやく認識した。人類の歴史や古代の文化について完全に無知であるために、人間は神の働きについても認識がない。人間は皆、心の奥深くで神を慕いう…
神の働きの各段階には、それに対応する人間への要求もある。聖霊の流れの中にいる者たちはみな、聖霊の臨在と鍛錬を有しており、聖霊の流れの中にいない者たちはサタンの支配下にあり、聖霊の働きが一切ない。聖霊の流れの中にいる人々は、神の新たな働きを受け入れ、神の新たな働きの中で協力する者である。現在において、その流れの中にいる者たちが協力できず、そのとき神に要求された通りに真理を実践できないとすれば、そうした者は懲らしめられ、最悪の場合は聖霊に見捨てられる。聖霊の新たな働きを受け入れる者は聖霊の流れの中で生き、聖霊の気遣いと加護を授かる。進んで真理を実践する者は、聖霊により啓かれ、進んで真理を実践しない者は、聖霊に懲らしめられ、罰せられることすらあるだろう。どのような種類の人間であれ、そうした者が聖霊の流れの中にいる限り、新たな働きを神の名のために受け入れるすべての者に対して、神は責任を負う。神の名をたたえ、進んで神の言葉を実践する者は、神の祝福を得る。神に服従せず、神の言葉を実践しない者は、神の懲罰を受ける。聖霊の流れの中にいる人々は、新たな働きを受け入れる者であり、新たな働きを受け入れた以上、神に正しく協力すべきであり、自らの本分を尽くさない反逆者のように振る舞ってはならない。人間に対する神の要求はこれだけである。しかし、新たな働きを受け入れない者たちについては、この限りではない。彼らは聖霊の流れの外にいるので、聖霊の懲らしめや咎めは適用されない。そうした者たちは肉の中で一日中生活し、自分の頭脳の中で暮らすのであって、そうした者たちの行動はすべて、自分の脳による分析と研究から生み出された教義に沿ったものである。それは聖霊の新たな働きが求めることではなく、ましてや神との協力などではない。神の新たな働きを受け入れない者には神の臨在がなく、それ以上に、神の祝福と加護が一切ない。そうした者たちの言動の大半は、聖霊の働きによる過去の要求に固執している。それらは教義であり、真理ではない。そうした教義や規則は、それらの人々の集まりが宗教以外の何物でもないことを証明するのに十分である。そうした者は選民でも神の働きの対象でもない。そうした者たちの会合は、宗教の総会としか言いようがなく、教会とは呼べない。これは変えようのない事実である。そうした者たちには聖霊の新たな働きがない。彼らのなすことには宗教の匂いがあり、彼らの生は宗教の色彩を帯びている。そうした者たちには聖霊の臨在と働きがなく、ましてや聖霊の鍛錬と啓きを受ける資格などない。これらの人々は、全員いのちのない屍であり、霊のない蛆虫である。彼らには人間の反逆や反抗、人間による様々な悪行に関する認識が一切なく、ましてや神の働きや神の現在の旨などまったく知らない。彼らはみな無知で下劣な人間であり、信者と呼ばれるに相応しくないくずである。彼らが行なってきたことに、神の経営に関連する事柄は一切なく、ましてや神の計画を損なうことなどできない。彼らの言動は過度に不快で惨めすぎ、触れる価値などまったくない。聖霊の流れの中にいない者によってなされたことは、どれも聖霊の新たな働きと無関係である。そのため、そうした者たちが何をしようと、彼らには聖霊の鍛錬がなく、それ以上に、聖霊の啓きもない。なぜなら、彼らはみな真理への愛を持たない者たちであり、聖霊から忌み嫌われ、見捨てられた者たちだからである。彼らは悪を行なう者と呼ばれる。なぜなら、彼らは肉において歩み、神の看板の下に、自分を喜ばせることなら何でも行なうからである。神が働きを行なう間、そうした者たちは神に対してわざと敵意を抱き、神と正反対の方向へ走る。人間が神と協力しないことは、それ自体が最も反逆的なことなので、神にわざと逆らうそうした人々は特に然るべき報いを受けるのではないだろうか。
『神の出現と働き』「神の働きと人間の実践」(『言葉』第1巻)より
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