日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 427
真理の実践は、人間のいのちが成長し得る道である。真理を実践しないのであれば、あなたがたに残るのは理論に過ぎず、実際のいのちはない。真理は人間の霊的背丈の象徴であり、あなたが真理を実践するかどうかは、真の霊的背丈を有しているかどうかと関係している。真理を実践しなかったり、正しく行…
過去のふたつの時代の働きのうちのひとつの段階はイスラエルで、もうひとつの段階はユダヤで起きた。一般的に言って、この働きのどちらの段階もイスラエルを出なかった。それらは最初の選民の間で行われた働きの段階だった。したがって、イスラエル人の考えではヤーウェ神はイスラエル人だけの神である。ユダヤにおけるイエスの働きにより、さらにイエスの磔の働きの完結により、ユダヤ人の観点からすればイエスはユダヤの民の贖い主である。イエスはユダヤ人だけの王であり、他のどの民の王でもない。イエスはイギリス人の罪を贖う主ではなく、アメリカ人の罪を贖う主ではなく、しかしイエスはイスラエル人を贖う主であり、イスラエルでイエスが罪を贖うのはユダヤ人である。実際、神は万物の主である。神はすべての被造物の神である。神はイスラエル人だけの神ではなくユダヤ人だけの神でもない。神は万物の神である。神の働きの過去のふたつの段階はイスラエルで起き、このようにして、人々にはいくつかの観念が生まれた。人々は、ヤーウェがイスラエルで働きを行い、イエス自らがユダヤで働きを行い、さらに、神がユダヤで働きを行ったのは受肉によってであったと人々は考える。いずれにせよ、この働きはイスラエルを越えなかった。神はエジプト人の中で働くことはなかった。神はインド人の中で働くことはなかった。神はイスラエル人の中でしか働かなかった。この結果として、人々は様々な観念を形成する。さらに、人々は一定の範囲内で神の働きを詳細に計画する。神が働きを行う時は選民の間で行われ、イスラエルにおいて行われるはずであると人々は言う。神はイスラエル人以外に神の働きの受容者を持たず、神の働きの他の範囲はない。人々は受肉した神を「規律に従わせる」ことに特に厳格で、神がイスラエルを越えて移動することを許さない。これらはすべて人間の考えではないか。神は天と地のすべてを、そして万物を造り被造物のすべてを造った。どうすれば神が神の働きをイスラエルに限定することができるのか。その場合、神が被造物全体を造って何になるのか。神は世界全体を造った。神はイスラエルでだけではなく全宇宙の一人ひとりと神の6000年の経営(救いの)計画を行った。人々が中国、米国、英国あるいはロシアに住んでいるかに関わらず、人々はみなアダムの子孫である。人々はみな神により創られた。一人として神の被造物の範囲から離脱できず、誰一人として「アダムの子孫」というレッテルから逃れられない。人々はみな神の被造物でありアダムの子孫である。人々は堕落したアダムとエバの子孫でもある。神の被造物はイスラエル人だけでなくすべての人々である。それにも関わらず、被造物の中には呪われた者もいれば祝福された者もいる。イスラエル人には望ましい事柄がたくさんある。イスラエル人が最も堕落していない民だったため、神は最初にイスラエル人に働きを行った。彼らに比べると中国人は活気がなく、イスラエル人に匹敵することなど望むべくもない。したがって、神は最初にイスラエルの人々の中で働きを行い、神の働きの二番目の段階はユダヤでのみ行われた。この結果、人々は多くの観念や多くの規則を形成する。実際、神が人の観念に従って行動するとしたら、神はイスラエル人の神であるだけだろう。この場合、神は神の働きを異邦人の諸国に拡大できないだろう。神は被造物すべての神ではなくイスラエル人だけの神であるからである。預言書では、ヤーウェの名は異邦人の諸国で偉大であり、ヤーウェの名は異邦人の諸国に広まるだろうと預言は語る。預言がこのように語るのはなぜか。神がイスラエル人だけの神ならイスラエルでしか働きを行わないだろう。その上、神はこの働きを拡大せず、この予言を行わないだろう。神がこの予言を行ったため、神は神の働きを異邦人の諸国、あらゆる国と場所に拡大させる必要があるだろう。神はこのように述べたので、その通りにするだろう。これが神の計画である。神は天と地、および万物を造った主であり、被造物すべての神だからである。神がイスラエル人の中で働きを行おうとユダヤ全体で働きを行おうと、神が行う働きは全宇宙と全人類の働きである。赤い大きな竜の国で今日、異邦人の一国で神が行う働きはやはり全人類の働きである。イスラエルは地上の神の働きの礎であり得る。同様に中国も異邦人の諸国での神の働きの礎になり得る。神は「ヤーウェの名は異邦人の諸国で偉大であろう」という預言を今成就させなかったか。異邦人の諸国における神の働きの最初の段階は、赤い大きな竜の国で神が行っているこの働きを指す。受肉した神がこの土地で働きを行い、これらの呪われた人々の間で働きを行うことは特に人の観念に反するかもしれない。これらの人々は最もみすぼらしく何の価値もない。これらの人々は皆ヤーウェが最初に見捨てた人々である。人々は他の人々に見捨てられ得るが、神に見捨てられるならこうした人々には何の地位もなくなり、最低の価値を持つだろう。被造物の一部としてサタンに占領されていることあるいは他の人々に見捨てられていることはどちらも悲惨なことであるが、被造物の一部が創造主に見捨てられるなら、これはその人の地位が最低であることを意味する。モアブの子孫は呪われ、この低開発国内で生まれた。疑いもなくモアブの子孫は暗黒の影響を受けた最低の地位の人々である。これらの人々は過去に最低の地位であったので、これらの人々に対して行われる働きは人間の観念を打ち砕くことが最も可能であり、神の6000年の経営(救いの)計画全体にとって最も有益な働きでもある。神がこれらの人々の間で働くことは人の観念を打ち砕くことが最も可能な行動である。この働きにより神はひとつの時代を開始する。これより神は人の観念をすべて打ち砕く。これにより神は恵みの時代全体の働きを終える。神の最初の働きはユダヤで、イスラエルの範囲内で行われた。異邦人の諸国では時代を開始する働きは全くしなかった。神の働きの最終段階は異邦人の間で行われるだけでなく、なおさら呪われた人々の間で行われる。この点はサタンに屈辱を確実に与え得る証拠である。こうして、神は全宇宙の被造物すべての神に「なり」、万物の主、命あるすべてのものにとって崇拝の対象になる。
『神の出現と働き』「神はすべての被造物の主である」(『言葉』第1巻)より
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