日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 492
自分の良心的感情だけに依存するなら、人は神の愛しさを感じることができない。良心だけに依存するなら、神への愛は弱々しいものになるだろう。神の恵みと愛に報いることだけを語っているなら、あなたの神への愛には何の活力もないだろう。自分の良心的感情に基づいて神を愛することは受け身なやり方で…
この段階で受肉した神が困難を経験していようが、職分を果たしていようが、神は受肉の意味を完了するためにそうしているのである。これが神の最後の受肉だからである。神は二回だけ受肉することができる。三度目はありえない。最初の受肉は男性で、二度目は女性であり、そこで神の受肉した姿は人間の心の中で完全になる。さらに、二回の受肉により、すでに肉における神の働きは終わっている。一度目、受肉した神は、受肉の意味を完了するために普通の人間性を備えていた。今回も神は普通の人間性を備えているが、この受肉の意味は異なっている。もっと深く、その働きにはより深い意義がある。神が再び受肉した理由は、受肉の意味を完了するためである。神がこの段階の働きを完全に終えると、受肉の意味のすべて、つまり、肉における神の働きは完了し、もはや肉において行う働きはない。つまり、これ以後は、神が働きをするために受肉することは二度とないのである。人間を救って完全にするためにだけ、神は受肉の働きをする。つまり、神が受肉して来るのは、働きのため以外では普通のことではないのである。働きのために受肉することで、神はサタンに自分が肉体になっていること、正常な普通の人間であることを示し、それでも勝利を誇りつつ世界に君臨し、サタンを打ち破り、人間を贖い、人間を征服できることを示すのである。サタンの働きの目的は人間を堕落させることだが、神の目的は人間を救うことである。サタンは人間を底なしの淵に捕らえるが、神はそこから人間を救う。サタンはすべての人間に自分を崇めさせるが、神は人間を自分の支配下に置く。神は創造の主であるからである。この働きはみな、神の二度の受肉で達成される。神の肉は本質的に人間性と神性の一体化したもので、普通の人間性を備えている。だから、神の受肉した肉なしでは人間を救う際にこれらの成果を達成することはできず、肉の普通の人間性なしでは肉における神の働きは成功しない。神の受肉の本質は、神が普通の人間性をもたなければいけないということである。そうでなければ、受肉する本来の意図に反することになる。
『神の出現と働き』「神が宿る肉の本質」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
自分の良心的感情だけに依存するなら、人は神の愛しさを感じることができない。良心だけに依存するなら、神への愛は弱々しいものになるだろう。神の恵みと愛に報いることだけを語っているなら、あなたの神への愛には何の活力もないだろう。自分の良心的感情に基づいて神を愛することは受け身なやり方で…
あなたがたの信仰はとても美しい。あなたがたは喜んで自分の一生をわたしの働きのために費やし、自分の生命をそのために捧げると言う。しかし、あなたがたの性質はあまり変わっていない。実際の振る舞いは惨めそのものなのに、あなたがたはただ傲慢に語る。まるで、人の舌と唇は天国にあるが、足は遥か…
わたしは以前「しるしや不思議を見ることを求める者は、見捨てられるだろう。彼らは、完全にされる人たちではない」と言った。わたしは非常に多くの言葉を話してきたが、あなたは、この働きについての認識を微塵も持ち合わせない。そして、ここにいたっても、あなたは依然として、しるしや奇跡を求…
神の実際の言葉を飲み食いすると同時に、神の言葉を熟考し、神の言葉について祈ることが、神の前で静まることの第一歩である。神の前で真に静まることができるなら、聖霊の啓きと照らしがあなたと共にあるだろう。すべての霊的生活は、神の前で静まることによって達成される。聖霊によって感動すること…