日々の神の御言葉: 神の三段階の働き | 抜粋 9

 人の間で行う神の働きは人に隠されておらず、神を崇拝するすべての人に認識されるべきである。神は、人の間で人を救う三つの段階の働きを行ったのだから、人は、これらの三つの段階の働きの中で表現されている神が持つもの、また神であるものを認識すべきである。これは人がすべきことである。神が人から隠すことは、人が達成できないこと、また人が知るべきでないことであり、一方、神が人に見せることは、人が知るべきこと、そして人が身に付けるべきことなのである。三つの段階の働きの各段階は、それぞれの前の段階を基礎として実行されるもので、単独には働きは行われず、また救いの働きから切り離しては行われない。実行された働きの時代と種類には大きな違いがあるが、その核心はやはり人類の救いであり、救いの働きの各段階は、その前の段階のものより深くなる。各段階の働きは、そのひとつ前の段階を基礎として続くものであり、それは無効にならない。このようにして、神の働きは古くならず、常に新しく、その中で神は、今まで見せたことのない自らの性質の側面を人に対して絶えず表現し、そして常に神の新しい働きと存在を明らかにし、たとえ古くからの宗教家たちが最大限反抗し公然と反対するとしても、神は常に意図している新しい働きを実行する。神の働きは常に変化しているため、常に人の反対にあう。そこで、神の働きの時代とその対象と同様に、神の性質も常に変化している。その上、神は常にこれまでしたことのない働きを行い、人から見れば以前と矛盾あるいは相反する働きさえする。人は、一種類の働き、あるいは一つの実践方法だけしか受け入れることができない。人にとって、自分たちと相反する、あるいは自分たちよりも高尚な働きや実践方法は受け入れがたい。しかし聖霊は常に新しい働きを行っていて、そのために神の新しい働きに反対する宗教専門家の団体が次から次へと出現する。こういう人たちが専門家になったのは、どうして神が常に新しくて古くならないのかを人が認識しておらず、また神の働きの原則についての認識も持たず、そしてさらに神が人を救う様々な方法についての認識も持っていないがためである。というわけで、人はその働きが聖霊から出たものであるかどうか、あるいは神自身の働きかどうかの区別がつかない。多くの人は、前に発せられた言葉と合致すれば受け入れるが、以前の働きと違う点があれば反対して拒絶するという態度にしがみついている。今でも、あなた方はみなそのような原則に縛られているのではないだろうか。救いの三つの段階の働きは、あなた方にはあまり効果を上げておらず、また前の二つの段階の働きは負担になるものだからまったく認識する必要がないとさえ信じる者もいる。彼らは、これらの段階は、大衆には発表すべきでなく、早々に撤回されるべきだと考えている。三つの段階の働きのうちの前の二段階によって人々が混乱しないようにである。多くの人は、前の二段階の働きを示すのは余計なことであり、神を認識するのに全然役に立たないと思っている―これがあなた方の考えである。今日、あなた方は皆、そのように行動することは正しいと考えているが、いつかわたしの働きの重大さに気づく時が必ず来る。わたしは意義のない働きは行わないことを知らなければならない。わたしがあなた方に三つの段階の働きを示している以上、それらはきっとあなた方のためになる。これら三つの段階の働きは神の経営全体の核心であるのだから、きっと全宇宙で全ての人の注目の的となる。いつかあなた方は皆この働きの重要性に気づくだろう。あなた方が神の働きに逆らう、あるいは自分の観念により今日の働きを判断するのは、あなた方が神の働く原則を知らないからであり、またあなた方が聖霊の働きを真剣に受け止めないからだということを認識しなさい。あなた方が神に反抗し、聖霊の働きを邪魔するのは、あなた方自身の観念と生まれつきの尊大さのせいである。それは神の働きが間違っているからではなく、あなた方が元々あまりにも反抗的だからである。人によっては、神への信仰を持った後に、人がどこから来たのかということさえ確信をもって言えないのに、あえて聖霊の働きが正しいかそうでないかについて演説を行ったりする。彼らは、聖霊の新しい働きを持つ使徒たちに説教したり、意見したり、立場をわきまえないで余計な口を挟んだりさえする。彼らは人間性が非常に低俗で、思慮分別のかけらも持っていないのである。このような人が聖霊の働きによって拒絶され、地獄の火に焼かれる日が来るのではないか。彼らは、神の働きを認識しない代わりに、神の働きを批判し、しかも神に対して働き方の指図までする。このように理不尽な人たちがどうして神を知ることができるだろう。人は、神を求め、経験する過程で、神に対する認識を得るようになる。つまり、気まぐれに神を批判する中で聖霊の啓発を受けて神を認識するのではない。神に対する認識が正しいほど、人は神に反発しなくなる。逆に、神への認識が少ないほど、人は神に逆らう。あなたの観念、古くからの本性、人間性、性格や道徳観は、あなたが神に逆らう「資本」であり、あなたが堕落して下劣で低俗であるほど、あなたはますます神の敵対者になる。欲深い観念の持ち主や独りよがりな性質の者は、さらに受肉した神の憎しみを買い、そのような人たちは反キリストである。もしあなたの観念が正されなければ、常に神に敵対することになり、永久に神と融和することができず、そしていつも神から離れていることになる。

『神の出現と働き』「神の三階の働きを認識することは、神を認識する道である」(『言葉』第1巻)より

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