傲慢さが転落を招く

2021年1月30日

全能神は言われます。「傲慢さは人間の堕落した性質の根源です。傲慢になればなるほど、その人は神に抵抗しがちになりますこの問題はどれほど深刻でしょうか傲慢な性質の持ち主は他のあらゆる人を見下すだけでなく、最悪なことに、神に対して威張りさえします表面上は神を信じて神に従っているように見えるものの、まったく神を神として扱っていない人がいますそのような人は真理を自分のものにしていると絶えず感じ、自分を高く評価していますこれが傲慢な性質の本質と根源であり、それはサタンに由来しますゆえに、傲慢さの問題は解決されなければなりません誰も眼中にないと思うのは些細な問題で傲慢な性質のせいで神、神の支配、神の采配に従わないことが重要な問題なのですこのような人は他人の支配を巡って絶えず神と競い合いますこの種の人は神を少しも畏れず神を愛することや神に従うことについては言うまでもありません(神の交わりより)。神の御言葉を読んで、少し前の経験を思い出しました。当時、私は本当に傲慢で独善的でした。数年間教会でリーダーを務め仕事をして苦労もしましたが、本分において実際の問題も解決できた。そのことに私は調子にのって、他の人たちを気にしなかったの。そのあと私は取り扱われ、懲らしめられ、神の言葉の裁きと暴きを通して、ついに自分の傲慢な本性を知りました。後悔し、自己嫌悪になりましたがその後真理を実践することに集中すると変化があったのです。

2015年に教会のリーダーになったわ。一緒に働く李姉妹は、リーダーになって日が浅く、教会の執事とグループリーダーも信仰歴が短かったので、真理の交わりも少し浅かったの。だから思った。「私はこの人たちより信仰が長く、リーダーになってしばらく経つ。私の役割が大事になるだろう。経験の違いを見せてやろう」と。そしてどんな問題でも前に出たわ。兄弟姉妹に力がないときや、彼らが本分をうまく尽くせないとき、教会の仕事がうまくいかないとき、どんな厄介な問題も、パートナーと同労者が解決できなかったことも、自分が対応に名乗り出た。少しすると教会の仕事は持ち直しました。兄弟姉妹の状態も良くなり、皆、自分の本分を適切に尽くせた。何か問題があると交わりや意見を求められたわ。本当に満足していたし、自分が成し遂げた仕事をすべて数えて、こう思った。「自分が舵を取らなければ、教会の仕事はこんなにうまく進まなかったはず。私の交わりがなければ、彼らの状態もそれほど改善されなかっただろう。自分は本当に真理の現実を持ち、実際の仕事ができているようだ」と。李姉妹はその後、事情があって家に戻ったので、私一人で教会の仕事を引き受けることになったわ。最初は少しストレスを感じ、いつも神を心に留めておきました。集まりの後は常にどう進んだかを確認し、弱く消極的な人がいれば、手助けしました。しばらくして、私は皆が集まり、すべき本分を尽くしていること、教会の仕事がすべて順調に進んでいることを知り、安心してため息をつき自分に満足せずにはいられませんでした。長年リーダーとして奉仕し、力を証明したように感じた。多くのことを見て、多くの問題を処理し、様々な仕事の経験を積み、自分で物事を解決してきました。自分は本当に教会の柱だと思いました。特に、朝早くから夜遅くまで働いていた時も、疲労や困難に文句も言わなかった自分は称賛に値すると感じたわ。いつの間にか、自己満足の状態で生きていました。そして、人を裁き、暴く神の御言葉を読んでも、自分に当てはめませんでした。兄弟姉妹が不調の時は、彼らと真理について交わりをせず、代わりに彼らを退け、「あなたは長い間信仰しているのにまだ真理を追求していない。どうして少しも変われないのか」と叱ることもよくありました。交わりの後に兄弟姉妹が「何をすべきか分からない」と言うと理由を尋ねることなく、彼らをこう非難したわ。「あなたは分からないのではなく、実践したくないのです!」皆私に息苦しさを感じ、悩みを私に相談しなくなりました。

その後、劉姉妹がリーダーに選ばれ、一緒に働くことになりました。私は「彼女の信仰歴は浅いし、話し合っても理解できないこともいくつかあるだろう。だから、大なり小なり教会のことは私が最終的に指示しよう」と思いました。私が決定し、劉姉妹に実行させることもあったわ。ある日、リーダーから、ある本分に誰かの推薦を求める手紙を受け取りました。私は神の家の仕事に関連するものだと知っていたので、劉姉妹と同労者と話し合わなければと思った。でもこう思ったの。「自分は長い間教会で本分を尽くしてきた。兄弟姉妹のことはよく知っているから、私が決めてしまおう」。私は劉姉妹と話し合わずに決断しました。彼女には段取りだけしてもらいました。一緒にリーダーを務めたのに、彼女を目下に扱っていました。彼女がうまく対処できないと、私は腹を立てることもありました。彼女は消極的になり、自分は何もわからず、本分もうまく尽くせないと感じてたわ。そこまで彼女を抑圧していたのに、私はまだ反省しなかったのです。それどころか、自分は真理の現実があり、仕事の能力があると思っていました。だから自分が教会の仕事を管理しなければならないのだ、と。私はさらに横柄で傲慢になりました。同労者が話し合い中に異なる提案をすれば、提案を求めないばかりか、却下することもよくありました。こう思ってた。「あなたに何がわかるの? 長年リーダーをしている私のほうがわかっている」ついに私は教会の仕事のすべてに最終的な判断を下すようになりました。その後神は、私を取り扱う状況を起こしました。本分において壁にぶつかり続けるようになったの。私は人々との面会する約束を破り、原則に沿わない人を任命していました。リーダーは私の間違いを指摘し、私を取り扱い、刈り込みました。これらの事態に直面しても、私はまだ反省せず、これから気を付けなければと思っただけでした。同労者が私に警告しました。「なぜ問題が起こったかを反省すべきではありませんか?」私は軽蔑して言いました。「誰も完璧ではないし、誰もが間違いを犯す。すべてを反省する必要はありません」何人かの兄弟姉妹が私を案じました。大丈夫だと答えましたが、心の中ではこう思っていました。「間違っていることなどない。悪い状態であったとしても、自分で対処できる。心配される筋合いはない。長い間リーダーをしている私のほうが、あなたよりも真理を理解しているのでは?」彼らがどんなに私に注意しても、私は耳を傾けません。完全に堕落した性質の中で生きていたし、霊は暗くなるばかりでした。神の御言葉を読んでもうなずくだけで、祈りでも何も言うことはありませんでした。教会ではますます多くの問題が起こり始めました。私は完全に盲目でした。問題に対する洞察力を欠き、対処する方法が分からなかった。まもなくして、教会で民意調査がありました。兄弟姉妹は皆、私がとても傲慢で、真理を受け入れないと言いました。私は独裁的で人を叱り、抑圧すると。結局役職から外されたわ。その日、リーダーが皆の評価を共有してくれました。兄弟姉妹が私を暴き、取り扱うことで、神の強い怒りを感じたわ。皆に嫌われ、神にも拒絶されたドブネズミのような気分です。どうしてこんなに落ちてしまったものかわかりませんでした。苦しみながら、神の前に来ました。「ああ、神様、私はいつも責任をもって教会の仕事をし、真理の現実を持っていると思っていました。こんなに自分に問題があるとは思いませんでした。私は真理を受け入れない傲慢な人と思われています。神様、どうして自分がこうなったのかわかりません。私が自分を知り、あなたの心意を理解できるように啓き、導いてください」。

そして次のような神の御言葉を読みました。「あなたがたにとっては、自己を知るという真理にさらなる努力を捧げるのが最善であろう。なぜあなたがたは神に気に入られていないのか。なぜあなたがたの性質は神に嫌われるのか。なぜあなたがたの話す言葉は神にとっていまわしいのか。少々の忠実を示したとたんに、あなたがたは自分を称賛し、わずかな犠牲に対する褒美を要求する。ほんの少しの従順を示しただけで、他者を見下し、ささいな業を達成しただけで、神を軽蔑する。……本分を尽くす人と尽くさない人、指導者と追随者、神を迎えもてなす人としない人、寄付する人としない人、言葉を説く人と受ける人など、このような人々は皆、自分を称賛する。これを可笑しいとは思わないのか。自分は神を信じていると十分に知りつつ、あなたがたはそれでも神と相容れることができない。自分には全然とりえがないことを十分に知りつつ、それでも自慢することにこだわる。あなたがたはもはや自制心を持たないところまで自分の理知が劣化してしまったとは感じないのか(『神の出現と働き』「キリストと相容れない人は疑いなく神の敵である」〔『言葉』第1巻〕)「自分がすべてを理解していると考えてはいけない。言っておくが、あなたがこれまで目にし、経験してきたことはすべて、わたしの経営計画の千分の一を理解するのにさえ十分ではない。ならば、あなたはなぜそんなに傲慢なのか。あなたがもつほんのわずかな才能と最小限の認識では、イエスの働きの一秒に使用するのにさえ不十分である。あなたは実際どれほどの経験を有しているのか。あなたが生涯で見てきたもの、耳にしてきたすべてのもの、そして想像してきたことは、わたしが一瞬で行う働きより少ない。あら探しをしたり、欠点をみつけたりしないほうがよい。どんなに傲慢でも、あなたはアリ以下の被造物なのだ。あなたが腹の中に抱えているすべてのものは、アリの腹の中にあるものよりも少ない。自分がいくらか経験を積み、歳を重ねたからといって、乱暴に振る舞ったり、自慢げに話したりする資格を得たと考えてはならない。あなたの経験と年功は、わたしが発した言葉の産物ではないのか。自分の労働や苦労と引き換えにそれらを獲得したと信じているのか(『神の出現と働き』「二度の受肉が、受肉の意義を完成させる」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉が明らかにしたのはまさに私の状態でした。私はひどく落ち込み、自分を振り返りました。数年間リーダーとして本分を尽くした後、自分は長い間リーダーをしていたのだから、誰よりも真理を知り、有能で、教会の柱であり、教会に必要な人物なのだと思っていました。本分で少しでも成果があると、自分はすべてを理解し、真理の現実があり、誰よりも優れていると思ったわ。信仰も経験も長いのだから、横柄になって当然、他の人よりも高いところにいるのだと。兄弟姉妹の提案はまったく気にも留めず、それらを求めたり受け入れたりすることもなかった。彼らが気にかけてくれて、私の状態を案じたときさえ、自分のほうが背丈が高いのだから、誰の力も借りず、自分で解決できると思っていました。彼らの欠点と問題を見つけても、彼らを助けるための真理の交わりをせず、鼻であしらいました。彼らがちゃんとできていないように見えて、上から叱りました。その結果、兄弟姉妹は私に抑圧され、消極的に過ごしていました。そんな本分の尽くし方があるでしょうか。明らかに悪いことをしていました。私は傲慢でうぬぼれたサタン的な性質を明らかにしただけでした。神は、終わりの日に肉になると、真理を表し、人を救うために働きました。とても素晴らしい働きでしたが、決してひけらかしませんでした。そして、自分を神として見せなかった。謙虚に目立つことなく、静かに救いの働きをしました。神はとても謙虚で愛おしい方ですが、私はサタンによって深く堕落し、サタン的な性質に満ちていたため、しばらく信仰していたからといって、自分自身と自分の能力ばかり考えてたわ。自分のほうが教義を理解し、経験も豊富なはずだからと。高みに立ち、降りようとしなかった。私は自分のことをまったく知りませんでした。そして、私の理知を超えた傲慢さは、とにかくひどいものでした。神に暴露された後、私はついに自分の本当の背丈を知りました。私が本分で生じた問題を解決できたのは聖霊の働きがあってこそでした。聖霊の働きと導きがなければ、私は完全に盲目のまま、何も理解していなかったわ。自分の問題、ましてや他の人の問題に対処することもできませんでした。それでも、私は完全に高圧的になりました。本当にとても傲慢でした。その時になって、私は自分の行動を恥じました。

そして神の御言葉を読んだのです。「自分の中に真理が本当にあれば、自然と正しい道を歩むようになります。真理がなければたやすく悪事を犯し、そうせずにはいられなくなります。たとえば、自分に傲慢さや自惚れがあれば、神に反抗しないようにするのは不可能であり、どうしても神に反抗せずにはいられません。意図的にそうするのではなく、自分の傲慢で自惚れた本性に支配されてそうするのです。自分の傲慢さや自惚れのせいで神を見下し、神を無価値なものと見なすようになります。そして自分を賞揚し、常に自分を誇示し、最後は自分を神の立場に置いて自分の証しをするようになります。最終的に、自分の発想や思考や観念を、崇拝すべき真理に変えてしまうのです。傲慢で自惚れた本性に支配された人がいかに多くの悪事を働くかをご覧なさい! 自分の邪悪な行ないを解消するには、まず本性の問題を解決しなければなりません。性質の変化なくして、この問題の根本的解決は不可能でしょう(「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」『キリストの言葉の記録』)。御言葉を読んだ後、自分の傲慢な本性が、悪を行い、神に抵抗する根源だと気づきました。傲慢な本性に突き動かされ、本分で成果があったときは、聖霊の働きの結果を自分の手柄にして、教会の中核として自分を誇示したわ。恥知らずにも、自分が神の救いの受け手であると思ってた。でも自分のことも知りませんでした。本分においては、常に年功を誇示していました。自分を誰よりも優れた高い存在と考え、常に威張っていました。兄弟姉妹を戒めるために神の御言葉さえ使ったわ。仕事を手配するときも、一緒に働く姉妹と話し合わなかった。横暴に振る舞い、最終的な決定権を持ちました。神の家の仕事に関わる重要な事柄さえ一方的に決めていました。姉妹を名目だけのリーダーにして、教会の実権は私が握っていました。傲慢な本性のために、私は皆を無視し、心の中に神を留めてなかった。問題があっても真理の原則を求めませんでした。それどころか自分の考えを真理とし、皆を従わせました。神が大天使に、天国の他の天使を管理する力を与えたとき、大天使はその傲慢さに理知を失い、自分が特別な存在だと思い、神と対等になりたがりました。その結果、神の性質を侵し、神に呪われ、天国から追放されました。神は今、私が神をたたえ証しできるよう、リーダーの本分にまで高めてくださった。私が真理を交わることで実際の問題を解決し、人々の真理の理解と神への服従を助けるためです。でも、私は真理を模索することも、神の要求どおり本分を尽くすこともなかったわ。その代わりに、私は権力を握り、自己中心的に周りを従わせたのです。大天使と何が違うというのでしょう。神は私の道を閉ざす状況を用意し、兄弟姉妹を通して警告してくれましたが、私はそれを受け入れず、まったく自省もしていませんでした。とても頑固で反抗的でした! 私は傲慢な性質で本分を尽くし、兄弟姉妹を抑圧していました。その結果、彼らは消極的になり、問題を解決できなくなりました。教会の仕事も進みませんでした。すべて傲慢な自分が引き起こした悪事でした。私の本性はこのように頑固で傲慢です。神が兄弟姉妹を通して私を厳しく暴露し、取り扱い、本分から外さなければ、私は決して反省しなかったでしょう。それが続いていれば、もっと悪いことをしていたはず。神の性質を侵し、大天使のように神によって呪われ、懲罰されたでしょう。その時、神の親切な意図を理解しました。神は、私の邪悪な歩みを止めるため、私に悔い改める機会を与えるために、この出来事を用意されたのです。神は私を守り、救ってくれたのです。心から神に感謝を捧げました。

私がリーダーを解任された後、劉姉妹は普通に本分を尽くせるようになり、他の人の話では、新しいリーダーと執事は、信仰歴は短くても、仕事の話になると、誰も自分の考えに固執せず、神を祈って頼り、共に真理の原則を求めたそうです。皆が一緒に働き、教会の仕事は徐々に再び持ち直したそうです。それを聞いて本当に自分を恥じたわ。教会の仕事は私なしでは回らないと思っていたのに、事実に直面して、神の家の働きは聖霊によって行われ、支えられていることを知りました。そして、それは誰かにできるものではないわ。人々はただ協力し、本分を尽くすだけです。どんなに長い間神を信じても、神を頼って、本分において真理を求め、実践する限り、私たちは神の導きと祝福を受けるでしょう。真実を求めずに本分を尽くし、天狗になってわがままに動き、横柄に振る舞うことを、神は嫌悪するはずです。神の導きがなければ、私は聖霊の働きを失い、価値がなくなり、何もできなかったでしょう。私はむやみに傲慢に振る舞い、横暴でした。周りの人に命令し、兄弟姉妹を抑圧して傷つけ、教会の仕事を混乱させました。ひどい罪悪感を抱いて自分を責め神に祈りました。「神様、私はとても盲目で自分がわかっていませんでした。長い間リーダーだったので、人よりも理解している。だから誰よりも優れていると思っていました。本分でも傲慢さに突き動かされ、あなたの家の仕事を混乱させました。ああ、私はもうあなたに抵抗したくない、本当に悔い改めたいのです」。

そして神の御言葉を読みました。「あなたはわたしがどのような人間を求めているかを知らなければならない。不純な人間は神の国に入ることを許されないし、また不純な人間が聖地を汚すことも許されない。あなたがたとえどれほど長くまたどれほど多くの働きを行ってきたとしても、最後のときになって未だ甚だしく汚れていれば、わたしの国に入ることは天の律法が許さないのである。世の初めから今日まで、人がいかに取り入ろうとも、人がわたしの国に入るのにわたしが便宜を図ったことはない。これは天の掟であり、誰にも破ることは許されない。あなたはいのちを追い求めるべきである。今日、神に完全にされるであろう人間はペテロのような人であり、自分の性質の変化を追い求める人であり、そして喜んで神を証しし、被造物の本分を尽くそうとする人である。そのような人だけが神によって完全にされるのである(『神の出現と働き』「成功するかどうかはその人が歩む道にかかっている」〔『言葉』第1巻〕)。「わたしは、一人一人の終着点を、年齢や年功、苦しみの量、とりわけ憐れみを誘う度合いではなく、真理を自分のものにしているかどうかに基づいて決める。これ以外の選択肢はない。神の旨に従わない人はみな懲罰されることをあなたがたは悟らなければならない。これは不変の事実である(『神の出現と働き』「終着点のために十分な善行を積みなさい」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は実に明確でした。神は人の結末を決めますが、それは信仰の長さや、どれだけ説教できるか、どれだけ働いたかではなく、真理を追求するかどうか、堕落した性質を変えたかどうか、被造物としての本分を尽くせるかどうかで決まります。これらは本当に重要なことです。以前の私は、神の義なる性質を知りませんでした。信仰も、リーダーとしての経験も長く、本分にも成功していましたが、このすべてを自分に有利に利用していたわ。そうやって追求し続ければ、神に救われるだろうと。だから神に裁かれ、罰せられ、取り扱われ、刈り込まれることに注意を払ってなかった。特に、本分において真理を追求し、自分の堕落した性質を解決しようとしませんでした。その結果、長年の信仰していてもいのちの性質はほとんど変わらず、サタンの傲慢な本性に生き、悪を行い、神に抵抗していたの。信仰で真理を追求しなければ、自分自身を知ることも、真に悔い改めることもできないとわかりました。どれだけ仕事をしても、どれだけ説教をしても、いのちの性質が変わらなければ、神にとがめられ、排除されます。これは神の義なる性質と聖なる本質が決めることです。神の心意を理解した後、信仰の長さや仕事の量を利用するのはやめ、神の御言葉に注意を向けること、自分自身を振り返って知ること、自分のサタン的性質を変えることに集中しました。

するとその後、教会で別の本分を与えられたのです。兄弟姉妹と一緒に働くときもより謙虚になりました。彼らと意見が異なると自分のほうが正しい、自分の話を聞いてほしいと思うこともありますが、すぐに傲慢な性質が出てきたことに気づき、自分のことをいったん忘れ、神に祈ります。兄弟姉妹と共に真理を求め、話し合いで物事を解決できるようにと。兄弟姉妹は、私が以前ほど傲慢でなくなり、成熟したと言ってくれました。その彼らの評価にとても感動しました。これは神の言葉の裁きと刑罰によって達成されたのです。傲慢な性質が完全になくなってはおらず、まだ神が要求する基準からかけ離れていますが、神の愛と救いを知りました。私は神の働きと御言葉が本当に人を変え、清めることがわかりました。

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