神に奉仕するとき、新たな巧妙な策略を見つけてはいけない

2019年11月5日

私は教会リーダーの職に選出されたばかりでした。しばらくの間一生懸命働いたのですが、教会の福音伝道の働きは精彩を欠いているだけでなく、福音伝道班の兄弟姉妹はみな消極的で霊的に弱っていました。それを目の当たりにした私は、自分の感情を抑えることができませんでした。いったいどうすれば活気を取り戻せるのか、あれこれ考えた私は、良い解決策を見つけました。「福音伝道班の月間賞の授賞式を開催し、優れた働き人や模範的な説教者、多くの魂を導いた人達に賞を与え、あまり魂を導くことができなかった人に忠告を与えることにしよう。これは班のみんなにやる気を起こさせるだけではなく、否定的で力のない兄弟姉妹を力づけるだろう。」そう考えると、自分が考えた「賢い戦略」にとてもワクワクしました。「今度はみんなが本当に驚くわ。」そう思いました。

福音伝道班の所へ行き、考えを説明しました。皆私の発案を喜び、是非協力したいと言いました。私は興奮し、成果が現れるのを待ちました。しかし数日後、誰も魂を神様の前に導くことができないでいた兄弟姉妹はさらに非否定的になり、私のやり方に意見するようになりました。彼らは、福音伝道班を去りたいとまで言いました。これらすべてに直面し、私は困惑しました。どうすれば良いか分かりませんでした。このことを聞きつけた私のリーダーは、すぐに私と話し合うためにやって来て、神様の交流と働きの采配について次の聖句を読んで私の状況に対処しました。「人の神への奉仕における最大の禁忌は何ですか。知っていますか。指導者として仕える人は、より大きな才能を有すること、人より勝っていること、また自分が本当にどれほど有能かを神にわかってもらえるように新しい巧妙なやり方を見つけ出すことを常に望んでいます。それなのに、真理を理解することや神の言葉の現実に入ることに集中しません。いつも自分を誇示したいと思っています。これはまさに傲慢な本性の表われではないですか。中には「私がこれをすることで、きっと神は大喜びだ。神は本当に気に入るだろう。今度は私が神に見せて、見事に驚かせよう」などと言う人さえいます。このように見せつけた結果、聖霊の働きを失い神によって淘汰されます。心に浮かんだことを何でも無闇に行なってはいけません。自分の行為の結果を考えなくても大丈夫ということがあり得ますか。…神に仕えるにあたり、正直でも、敬虔でも、思慮深くもなければ、遅かれ早かれ神の行政命令に背くことになるのです。(『キリストの言葉の記録』の「真理がなければ、神を侵すのは簡単である」より)「神に仕える人は、すべてのことにおいて、神の心を理解する必要があります。問題に遭遇した時は、真理を求め、神の言葉に基づいてすべての働きを行う必要があります。この方法によってのみ、人々が神の旨に一致する行動を確実に取ることができます。…これは、神に仕えるための1つの原則です」(教会の働きにおける交わりと采配Iの紀要から「神に仕えるために理解すべき原則の内容」)これらの言葉は、突如として私の目を覚まさせ、私は神様への畏れを深く感じ、震えました。私は、自分が知恵を絞って考え出した「授賞式」は、新たな巧妙な策略を見つけたに過ぎなかったことに気が付きました。これは、神様に最も酷い嫌悪感を催させ、神様に仕える中で最大のタブーです。神様に仕えることは子供の遊びではありません。神様を前にして、人は畏敬の念を持ち、働きの采配にしっかり従い、神様に仕える原則に従って行動しなければならないのです。問題に直面したときには、真理を求めなければなりません。この方法によってのみ、人々が神様の心と一致する行動を確実に取ることができます。今、神様は、リーダーとして私の本分を尽くすように私を引き上げられました。福音伝道の働きに成果がなく、兄弟姉妹が消極的で弱くなっている時、私は神様の前に来て、神様の心を求め、問題の根本原因を特定し、兄弟姉妹の状況に適した神様の言葉を見つけることにより、真理によって問題を解決すべきでした。私が行なうすべての働きは、神様の言葉に基づいていなければなりません。しかし、私が困難に直面した時、私は真理を全く求めませんでした。私の行動に対して、これらの原則を求めませんでした。実際、私は適切な働きを行うのではなく、表面的な方法に努力を費やしました。私自身のわずかばかりの賢さに頼り、世俗的な工場管理で使われる方法にヒントを得て、業績の高い個人を選び、授賞式を行なうようにしました。その結果、福音伝道の働きは実を結ばなかったばかりか、兄弟姉妹の状況は解決されず、私の取った方法により、彼らは福音伝道班から出たいと言うまでに一層消極的になってしまいました。それでどうして、私の本分を尽くせるというのでしょうか。私が行っていたことは、単に邪悪な行為で、教会の働きの適切な機能を弱体化させることでした。それでどうして、リーダーにふさわしいと言えるでしょうか。私がそのように兄弟姉妹を率いていたら、彼らは私により道を外れ、最終的には、私の熱心な奉仕により、神様の行政命令を侵害し、神様の懲罰を受けていたことでしょう。

私の傲慢で無謀なサタンのような本性にようやく気付くことができたのは、神様の啓示のお陰でした。私は神様の前で少しも畏敬の念をもっていませんでした。同時に、人の心は、悪臭を放つ水溜りであることに気が付きました。私の「巧妙」な方法は、それがどれほど良いものであろうと、サタンの願いであり、神様に嫌悪感を抱かせるだけです。それは、神様を怒らせ、神様の働きを阻害するだけです。今日から、私はこの教訓を胸に刻み、神様に仕えることの原則に従うことに一層努力し、最善を尽くして真理を追求し、自分自身の傲慢な本性を変えていきたいと思います。あらゆることに真理を求め、すべての行動の原則を求め、神様に畏敬の念を持つようにします。最大の正直さと従順さをもって、力の限り私の本分を尽くし、神様の心に安心していただけるようにします。

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