日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 416

2020年9月20日

あなたがたは日常生活において祈りに心を留めることが全くない。人々はいつも祈りを見過ごしてきた。従来彼らが祈る時は、いい加減にひととおりの身振りをするだけで、誰ひとり自分の心を完全に神の前に捧げて真の祈りをする者はなかった。人々が神に祈るのは、自分に何かあった時だけである。あなたは、今までに本当の意味で神に祈ったことがあるだろうか。神の前で痛恨の涙を流したことがあるだろうか。神の前で自分自身を知ったことがあるだろうか。神と心を通わせて祈ったことがあるだろうか。祈りというものは漸進的に実践される。あなたが普段自宅で祈らないのであれば、教会で祈ることは全くないであろう。また普段小規模な集会で祈らないのであれば、大規模な集会で祈ることは不可能であろう。あなたが普段から神に近付き、神の言葉を熟考しないのであれば、祈る時になって、あなたには言うことが何もないであろう。そして、あなたがたとえ祈ったとしても、唇が動くだけで、本当の祈りにはなっていないだろう。

真に祈るとは何を意味するであろうか。それはあなたの心の中にある言葉を神に話すことであり、神の意志を把握し、神の言葉に基づいて神と交わることを意味する。またそれは殊更に神を身近に感じ、神が自分の目の前にいて、あなたには何か神に言いたいことがあると感じることである。またそれは、自分の心の中に光が射すのを著しく感じ、神が殊更に愛しいと感じることである。あなたは著しく霊の動きを感じるだろう。するとあなたの兄弟姉妹は、あなたの話を聞いて喜びに満たされるだろう。彼らは、あなたが話す言葉が、彼らの心の内の言葉であり、彼らが言いたいと願っていた言葉だと感じるだろう。あなたが言うことが、彼らが言いたいことを代表していると感じるだろう。真に祈るとは、このことを意味する。真に祈った後、あなたは心の中に安らぎを感じ、喜びに満たされるであろう。神を愛する強さが向上し、あなたは全生涯で、神を愛する事以上に価値があり大切なことは無いと感じるであろう。そして、これら全ては、あなたの祈りが効果的であったことを証明するであろう。あなたは、このように祈ったことがあるだろうか。

また、祈りの内容についてはどうであろうか。あなたは、自分の実際の状態と聖霊によって為されるべき働きに従って段階的に祈る必要があり、また神の意志と人間に対する要求に則して神と交わるべきである。あなたが祈りの実践を開始する時は、まず最初に自分の心を神に捧げなさい。神の意志を把握しようとしてはならない。ただあなたの心の内にある言葉を神に話そうとしなさい。神の前に来て、こう言いなさい。「おお神よ、私は今日になって初めて、あなたに服従していなかったことを知りました。私は本当に堕落した、忌み嫌われるべき存在です。以前、私は時間を無駄にしていました。私は今日からあなたのために生き、意義のある人生を行動で示し、あなたの意志を満足させます。私があなたの前で響きわたるような力強い証をし、あなたの栄光とあなたの証しと、私たちの内にあるあなたの勝利の証拠をサタンに示すことが出来るよう、私は、あなたの霊がいつも私の内で働き、常に私に光と悟りを与えることを望みます。」あなたがこのように祈る時、あなたの心は完全に解放されるであろう。このように祈ったことで、あなたの心は神にいっそう近付くであろう。そして頻繁にこのように祈ることで、聖霊は必然的にあなたの中で働くであろう。あなたが常にこうして神を呼び求め、神の前で決意を固めるならば、あなたの決意が神の前で受け容れられ、あなたの心と存在全てが神のものとされる日がやがて来るだろう。そして、最終的にあなたは神によって完全にされるであろう。祈りとは、あなたがたにとって極めて重要なものである。あなたが祈る時、あなたは聖霊の働きを受け、あなたの心は、それを通して神に触れられるのだ。そして、神を愛するための力があなたの内に溢れてくるのだ。あなたが自分の心で祈らず、自分の心を開いて神と交わらないならば、神はあなたの中で全く働きようが無いであろう。もし、すでに祈り、自分の胸中の言葉を全部話してしまっても、神の霊が動かず、自分の中で心が動かされたと感じ無いのであれば、それはあなたの心が真剣でなく、あなたの言葉が真実でなく、不純であることを示している。もし祈ってから心が喜びで満たされたならば、それは、あなたの祈りが神に受け容れられ、神の霊があなたの中で働いたのである。あなたは、神の前に仕える者として、祈らずにいてはならない。あなたが神との交わりを有意義で、貴いものであると本当に思うのなら、祈りを止めたりなど出来るだろうか。神と交わらずにいることが出来る者など一人もいない。祈りが無ければ、あなたは肉の中で生き、サタンの呪縛の中で生きる。真の祈りが無ければ、あなたは闇の影響の下で生きる。わたしは、兄弟姉妹が日々真に祈ることが出来ることを願っている。これは教理に固執することではなく、ひとつの達成すべき効果である。夜明けに朝の祈りを捧げ神の言葉を楽しむために、少しばかりの睡眠と快楽を犠牲にする意欲があなたにはあるか。あなたがこのように純粋な心で祈り、神の言葉を食べ飲みするならば、その時あなたは神に一層受け容れられるであろう。あなたが毎日そうして、自らの心を神に捧げて神と交わることを実践するならば、神に関するあなたの認識は必ず増し加わり、神の意志をもっとよく把握出来るようになるであろう。あなたは、次のように言うべきである。「神よ、私は自分の本分を尽くすことを望みます。私達の中であなたが栄光を受け、私達という人間の集団の中の証しを得ることが出来るようにするために私ができることは、私の全存在をあなたに奉げ尽くすことだけです。願わくは、私があなたを真に愛し、満足させ、あなたを私が追求する目的とすることが出来るよう、私達の中で御業を行ってください。」あなたがこの重荷を負う時、神は必ずあなたを完全にするであろう。あなたは、自分のためだけでなく、神の意志を実行し、神を愛するために祈るべきである。これが最も真なる祈りである。あなたは神の意志を実行するために祈るであろうか。

以前あなたがたはどのように祈れば良いか分からず、祈りを軽視していた。今日、あなたがたは祈るために自分を訓練をするよう最善を尽くす必要がある。あなたが自分の内にある力を振り絞って神を愛することが出来なければ、どうしてあなたは祈ることが出来ようか。あなたはこう言うべきである。「神よ、私の心はあなたを真に愛することが出来ません。私はあなたを愛することを望んでいますが、私にはその力がありません。私はどうすれば良いでしょうか。私があなたの前に一切の消極的な態度を捨て去り、いかなる人や物事にも拘束されることがないように、あなたが私の霊の眼を開き、あなたの霊が私の心に触れますように。私は自分の心の全てをあなたの前に曝け出します。そうして私の全存在があなたの前に捧げられますように。また、あなたが私を思いのままに試すことができますように。今私は自分の将来性を考えることも、死に縛られることもありません。私は、あなたを愛する心で、いのちの道を求めることを望みます。あらゆる物事があなたの掌中にあり、また私の運命もあなたの手の中にあります。それどころか、私の一生はあなたの御手によって支配されています。今、私はあなたを愛することを追い求め、私があなたを愛することを、あなたがお許しになるかどうかを問わず、また、サタンがいかにして邪魔しようと、私は意を決してあなたを愛します。」あなたがそのようなことにぶつかった時は、このように祈るべきである。あなたが毎日そのようにして祈るならば、神を愛する強さは次第に向上するであろう。

『神の出現と働き』「祈りの実践について」(『言葉』第1巻)より

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