日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 346

2020年8月23日

数多くの業や言葉が、あなたに対して全く効果が無いのであれば、神の業を広める時が来ると、あなたは自分の本分を尽くせずに辱められ、屈辱を感じるであろう。この時、あなたは神に対して多大な負債があり、神に関する自分の認識が極めて表層的であると感じるであろう。現在、神が業を行っている間に、あなたが神に関する認識を求めないのであれば、今後では手遅れとなるであろう。最終的に、あなたは話をすることが出来る認識が一切無い。あなたには何も無く、空虚なままとなるであろう。それならば、あなたは神に対して何を用いて申し開きをするであろうか。あなたは、厚かましくも神を見上げるであろうか。あなたは、最終的に自分がペテロのように、神の刑罰と裁きが如何に有益であるかを知り、神の刑罰と裁きが無ければ、人間は救われ得ず、不浄の地の泥沼に一層深く沈むしか無いことを知るために、現在における自分の追求に努力する必要がある。人間はサタンにより腐敗させられ、互いに陰謀を企て合い、互いに身勝手に振る舞い合い、神に対する畏れを失っており、人間の不従順は過大であり、人間の観念は過多であり、人間は皆サタンのものである。神の刑罰と裁きなくしては、人間の腐敗した性質を清めることは出来ず、人間は救われ得ないであろう。肉にある神の業により表された物事は、まさに霊により表された物事であり、神が行う業は霊により行われた業に従って行われる。現在、この業に関する認識が、あなたに無いのであれば、あなたは極めて愚かであり、極めて多くを失った。あなたが神の救いを得ていないのであれば、あなたの信仰は宗教的信仰であり、あなたは宗教的なキリスト教徒である。あなたは死んだ教義に固執しているので、聖霊の新たな業を失った。神の愛を追求する他の者は、真理といのちを得ることが出来るが、あなたの信仰は、神の承認を得ることが出来ない。その代わりに、あなたは邪悪を行う者となり、破滅をもたらし憎しみに満ちた行動を取る者となり、サタンの悪戯の標的となり、サタンの虜となった。神は、人間が信じるべき存在ではなく、人間が愛し、求め、崇拝すべき存在である。今日、あなたが求めないならば、いつか、あなたが「自分が神に適切に従い、神を満足させてさえいれば良かったのに。自分のいのちの性質の変化を追求してさえいれば良かったのに。あの時、神に服従することが出来なかった事、神の御言葉に関する認識を追求しなかった事を、どれほど後悔していることか。あの時、神は多くの事を言われた。私はなぜ、追求できなかったのだろうか。私は極めて愚かだった。」と言う日が来るであろう。あなたは、ある程度自己嫌悪に陥るであろう。現在、あなたはわたしの言葉を信じず、わたしの言葉を全く気にかけない。この業が広まる日が来て、あなたがその全てを認識する時、あなたは後悔し、唖然とするであろう。祝福があるが、あなたはそれを享受する方法を知らない。また真理はあるが、あなたはそれを求めない。あなたは、自分自身を侮辱しているのではなかろうか。現在、神の業の次の段階はまだ始まって居ないが、あなたに対する要求や、あなたが行動で示すよう求められている事には、何も例外的な事は無い。極めて多くの業と真理がある。そうした業と真理は、あなたに知られる価値があるのではなかろうか。神の刑罰と裁きは、あなたの霊を目覚めさせることが出来ないであろうか。神の刑罰と裁きは、あなたに自分を忌み嫌わせることが出来ないであろうか。あなたは、サタンの領域で、ちょっとした肉の享楽と共に平和に喜んで暮らすことに満足しているであろうか。あなたは全ての人間のうち、最も卑しい者ではなかろうか。救いを見たことがあるが、それを追求しない者よりも愚かな者は居ない。そうした者は、自らを肉で満たし、サタンを堪能する者である。あなたは、神に対する自分の信仰が、問題や苦難、些細な問題の原因とならないことを望む。あなたは、常に無価値な物事を追求し、いのちの価値を全く認めず、自分の途方もない考えを真理よりも優先している。あなたは極めて無価値である。あなたは豚のように生きている。あなたと、豚と犬には、何か相違があるだろうか。真理を追求せずに肉を愛する者は、皆獣ではなかろうか。霊の無い死んだ者は、皆生ける屍ではなかろうか。あなたがたに対して語られた言葉は、いくつあるであろうか。あなたがたに対して行われた業は、ほんの少しであろうか。わたしは、あなたがたに対して、どの程度与えたであろうか。それでは、あなたがそれを得ていないのは何故だろうか。あなたが不平を言うべき物事は、何があるだろうか。あなたが肉を愛しすぎているので、何も得られなかったということではなかろうか。また、その原因は、あなたの考えが突飛すぎることではなかろうか。また、その原因はあなたが愚か過ぎることではなかろうか。あなたは、自分がこれらの祝福を得られない場合、自分が救われなかったことについて、神を責められるであろうか。あなたが求めていることは、神を信じた後に平和を得ることが出来るようになることである。つまり、自分の子が病気にかからないこと、自分の夫が好ましい職に就くこと、自分の息子が良い妻と出会うこと、自分の娘が人並みの夫を見つけること、自分の牛や馬が十分に土地を耕すこと、一年間、作物に適した気候となることなどである。あなたは、そうした物事を求める。あなたの追求は、単に快適に暮らすためであり、自分の家族に事故が起こらないこと、風が自分に当たらないこと、顔に砂がかからないこと、家族の作物が洪水に遭わないこと、災害を受けないこと、神に抱かれて生きること、快適な住処で生活することを求めている。常に肉の欲を求める、あなたのような臆病者には、心や霊があるだろうか。あなたは獣ではなかろうか。わたしは、何も見返りを求めずに、真の道を与えるが、あなたは求めない。あなたは、神を信じる者のひとりであろうか。わたしは、真の人生をあなたに与えるが、あなたは求めない。あなたは豚や犬とは違わないのではないか。豚は、人生や、清められることを追求せず、人生とは何かを理解しない。毎日、食べたいだけ食べた後、ただ寝るだけである。わたしは、あなたに真の道を与えたが、あなたは未だにそれを得ていない。あなたは、手ぶらである。あなたは、人生において、そうした豚の生活を続けることを望んでいるのであろうか。そうした人々が生きていることの意味は、何であろうか。あなたの生活は、恥辱的であり、下劣であり、あなたは不浄と放蕩の中で暮らし、何も目指す目標が無い。あなたの人生は、最も下劣ではなかろうか。あなたは、厚かましくも神を見上げるであろうか。あなたは、このような経験を続けるならば、得る物は無いのではなかろうか。真の道はあなたに与えられているが、最終的にあなたがそれを得られるかどうかは、あなた自身の追求により決まる。

『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」(『言葉』第1巻)より

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