神に何を捧げたのか

アブラハムはイサクを捧げた。あなたがたは、何を捧げたのであろうか。ヨブは全てを捧げた。あなたがたは、何を捧げたであろうか。幾人もの人々が、真理の道を追求するためにいのちを捧げ、首を差し出し、血を流してきた。あなたがたは、そのような代価を払ったであろうか。それに比べ、あなたがたには、そうした大きな恵みを享受する資格が無い。あなたは自分を高く評価し過ぎてはならない。あなたが自慢できることは何もない。このような大きな救いと豊かな恵みが、無償であなたがたに与えられたのだ。あなたがたは何も犠牲にせず、恵みをただで享受するばかりである。あなたがたは恥ずかしくないのか。

この真理の道は、あなたがたが自分で求めて見つけたものであろうか。あなたがたに対して、それを受け入れることを強いたのは聖霊ではなかろうか。あなたがたには追求精神、とりわけ真理を追求する精神も、真理を渇望する心も無い。あなたがたはただ座ってくつろぎながらそれを楽しんでいるだけで、自分では何の努力もせずにその真理を得た。あなたがたには何か不平を言う権利があるだろうか。あなたは、自分が最も価値ある者だとでも思っているのか。命を犠牲にした者や、血を流した者たちに比べて、あなたがたは何か不満を言うべきことがあるのだろうか。服従することと従うことは別として、あなたがたに選択の余地は無い。あなたがたは全く何にも値しない。

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの意義」より編集

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