キリストの本質は天の父の旨に従う

キリストの本質は霊、すなわち神性である。ゆえに、その本質は神自身のものである。この本質は神自身の働きを妨げることはなく、キリストが神自身の働きを破壊するようなことは決してありえず、神の心に逆らう言葉を語ることも決してない。ゆえに、受肉した神は神自身の経営(救い)を妨げるような働きは絶対に行わない。神自身は不従順の要素を持たない。神の本質は良きものである。神はあらゆる美と善と、すべての愛の現れである。肉の姿であっても、神は父なる神に逆らうようなことは行わない。自身の命を犠牲にしてでも、神は心底から父なる神に従い、他の選択はしない。


神には独善や尊大さといった要素も、うぬぼれや横柄さといった要素もない。神は不正な要素を持たない。神に逆らうものはすべてサタンから発生する。サタンはすべての醜悪さと邪悪の根源である。人がサタンに似た性質を持っている理由は、サタンが人に影響を与え堕落させたからである。キリストはサタンによって堕落させられていないため、神の特性のみを持っており、サタンの性質は全く持たない。どんなに働きが困難で、肉が弱くても、キリストは肉のうちに生きながら、神自身の働きを阻止するようなことは決してせず、ましてや不従順な行いで父なる神の心を無視するようなことない。キリストは父なる神の心に逆らうくらいなら肉の痛みを受けることを選ぶだろう。人は選択をするが、キリストはそうしない。彼は神自身の身分を持っているが、肉ある神として、なお父なる神の心を求め、父なる神から委ねられた任務を果たす。これは人には不可能なことである。


神に委ねられた働きを直接引き受けられる者はひとりもおらず、神の経営を自分自身がなすべき本分と考えられる者もひとりもいない。父なる神の心に服従することはキリストの本質である。そして神への不従順はサタンの特性である。この二つの性質は相いれないものであり、サタンの特質を持つ者はキリストと呼ばれ得ない。人がキリストに代わって神の働きを行えないのは、神の本質がまったく備わっていないからである。人は自己の利益と将来の前途のために神に尽くすが、キリストは父なる神の心を行うために働く。


『言葉は肉において現れる』の「キリストの本質は父なる神の心への従順」より編集

前へ: 肉と聖霊の業は、同じ本質から成る

次へ: キリストの身分は神自身

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

神の権威はいたるところにある

神の権威はどんな状況にもある 神は全ての者の運命と全てのことを 思いと望みのままに定め、采配する それは人の変化によらず 人の意志とも関係ない また時間や空間や地理など いかなる変化によっても変わらない 神の権威はまさに神の実質だからだ 神の権威は神だけのもの 人にも場所にも何…

患難の中で証しに立つ者たちは勝利者だ

神の国の時代 人は完全にされる 神の国の時代に実に完全に 征服の業が終わる時 人は精錬と患難を通らされる 征服が終われば 患難の中、勝利する者、証しに立つ者 ああ、彼らこそが 最後に完全にされ、勝利者となるだろう 患難の間 人には精錬が望まれる それは神の業の最終段階だ 神…

サタンによって堕落させられた人間の実状

長年に渡り 人が生きるための思想は 人の心を堕落させてきた 人をずるく、卑怯で、卑しい存在にした 人は意志も決意もなく 貪欲で、傲慢で、わがままだ あまりに弱くて 自らを超え 暗闇の勢力の束縛を打ち砕く勇気がない 人の思いと生活は腐敗している 神への信仰についての人の見解は …

神は人をかけがえのない存在として見守る

神は人々を創った全ての人を創った 人が神に従っても 逆に人が堕落したとしても 神は人々を見守る 全ての人を見守る かけがえのない存在として かけがえのない我が子のように 人々は神にとって おもちゃではない 神は創造主であり 人は神の被造物である そう言うと神と人との階級が異なるよ…

設定

  • 文章
  • テーマ

単色

テーマ

フォント

文字サイズ

行間

行間

ページ幅

目次

検索する

  • 表示テキスト内検索
  • 全文検索