14. 主が東に出現された

丘珍(チューチェン)(中国)

ある日、妹が私に電話し、北から帰って来て私に大事な話があるので、すぐに家に来てほしいと言いました。私は何かよからぬことが起こったのかと感じたため、すぐに妹の家に行きました。家に着いて、妹が本を読んでいるのを見てホッとしました。妹は私が入って来るのを見るなり、飛び上がって元気よく言いました。「姉さん、今回北でいい知らせを聞いたの。主イエスがお戻りになったのよ!」

そう聞くと、私はあっけに取られて考えました。「この数年間、東方閃電が主イエスが戻られたと証ししてきたけど、まさかこの子、東方閃電を受け入れたの?」私が話す間もなく、妹は真摯に言いました。「姉さん!主は再び受肉され、私たちの国、中国に来られたのよ」。私はすぐに言いました。「聞いたことを全部信じちゃだめよ。神様が中国に来られるなんてありえるの?聖書では、『その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り』(ゼカリヤ書 14:4)神様が来られるのはイスラエルなのよ。中国に来られるはずはない。主のために働いてるのにそんなことも知らないのね!」

妹は誠意をこめて話しました。「私も前は姉さんと同じ考えだったけど、全能神の御言葉と兄弟姉妹の交わりを通して、主が中国で本当に受肉されたことがわかった。姉さんの言う聖書の言葉は預言だけど、預言は私たちの好きに解釈してはいけない。預言は神様の働きの事実によって成就され、人の目に見えるようになるのよ。主イエスが働きを行いに来られたとき、ペテロもサマリア人女性もエチオピアの宦官も、聖書の預言の文字通りの意味にこだわらなかったし、むしろ主イエスが語られたこととなさった働きの事実から、彼らはメシアが主イエスとして来たと断定し、そうして皆神様の足跡をたどり、主の救いを受けた。そして、聖書の預言の文字通りの意味にこだわったパリサイ人たちは皆、すでに到来したメシアである主イエスを普通の人として扱い、否定し、抵抗し、非難した。その挙句、主イエスを十字架につけ、神様に罰せられたのよ。姉さん、私たちは主の再臨を慎重に扱って、神様を恐れる心を持たないといけない。早まった判断をしてはいけないわ!」

私は妹の方をちらっと見て、聖書を持ち上げて言いました。「ヤーウェ神はイスラエルで律法を発布されたし、主イエスもイスラエルで十字架につけられた。中国は無神論者が支配する国よ。神様がそんな国に来られるかしら?私たちは長年主を信じてきたし、聞いたことを全部鵜呑みにするのはもっての外よ!」

妹は心配そうに言いました。「姉さん、主イエスが当時働きをなさっていたとき、パリサイ人は主に抵抗して、『よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう』(ヨハネによる福音書 7:52)、『キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう』(ヨハネによる福音書 7:41)と言った。でも実際、主イエスはガリラヤのナザレでお育ちになった。聖書には、『ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか』(ローマ人への手紙 11:33-34)とある。どうして私たちに神様の知恵が計り知れるのかしら?私たちは自分の頭で神様の働きを分析することはできないけど、毎日主の再臨を心待ちにしている。主が本当に戻られた今、もし私たちが自分たちの考えにしがみついて、求めも調べもしないなら、主をお迎えする機会を逃して、後悔しか残らなくなるわ!」

妹のとても真剣なまなざしを見て、私は思いました。「この子は主を心から信じていて、よく考えるし、はっきりした考えのある子よ。自分の行動には普段から気をつけるし、主の来臨のような一大事となれば、なおさら人の話を盲信するはずがない。この子が今、東方閃電を受け入れたということは、まさか主が本当に戻って来られて中国で働きをなさっているのかしら?」しかしそれからこうも思いました。「主が中国で働きをなさるなんてどうしてありえるの?あまりにも想像しがたい!」そのため、私はきっぱりと言いました。「聖書は何千層もあるケーキのようなもので、解釈の仕方は人それぞれ違う。聖書には実際、神が終わりの日にイスラエルに降りられると預言されている。しかも、ほとんどの中国人は仏陀を拝し、国の政府はいつも宗教信仰を迫害してきた。神様が中国に働きに来られるはずはないわ!」

妹は熱意をもって言いました。「姉さん、主は働きを行うべく中国に出現されたのよ。これには深い意味がある。私は終わりの日の全能神の働きを受け入れたばかりだから、まだ真理のこの側面を本当にはっきり説明することはできないけど、全能神教会の兄弟姉妹はすごくわかりやすく証ししてくれる。姉さんも彼らに交わってもらおう!」私は手を振り、「結構よ。帰るわ」と言いました。帰宅すると、ソファに座り、妹が言ったことを思い返しました。心が千々に乱れ、落ち着きませんでした。(主イエスがオリーブ山に足を踏み入れられるのをいつも待っていたのに、どうしてこの子は主が中国に来られたなんて急に言い出せたのかしら?どうしてそんなことが?)と思い、聖書をひたすら読みましたが、主が中国で働きに来られると預言した章や聖句は一つも見当たりませんでした。「主イエスが当時働きをなさっていたとき、パリサイ人は主に抵抗して、『よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう』(ヨハネによる福音書 7:52)、『キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう』(ヨハネによる福音書 7:41)と言った。でも実際、主イエスはガリラヤのナザレでお育ちになった……」という妹の言葉が断続的に私の頭の中に浮かび、妹の言ったことは正しいと思いました。聖書を調べることと、妹の話について考えることを交互に繰り返しましたが、心が動揺し、どうすれば一番いい結果になるか分からなかったため、心の中で主に呼びかけました。「主よ、私はどうすべきでしょうか?主よ、あなたは一体どこに降りて来られるのですか?」

数日後、妹が再び私のもとに来ました。家に入るとすぐに微笑み、こう言いました。「姉さん、全能神教会の姉妹と姉妹が家に手伝いに来てくれたの。二人とも長い間全能神を信じていて、私よりもずっとよくわかっている。主の再臨のことでわからないことがあるなら、この人たちと交わりに行きましょう」。私は思いました。「私は長年主を信じて、いつも主の到来を望んできた。主は本当に来られたの?恐らくこれを機に彼女たちと交わりをすべきだわ」。そのため私たちは一緒に妹の家に行きました。部屋に入るや否や、二人の姉妹がとても温かく迎え、「何か質問があれば言ってください。それから皆で交わりましょう」ととても親切な言葉をかけてくれました。私は「あなたたちは主イエスがすでに戻られ、中国で働きをなさっていると言いますが、聖書にその根拠はあるのですか?」と尋ねました。姉妹は微笑んで言いました。「姉妹、主が終わりの日に中国に働きに来られることについては、実は聖書に預言があります」。私は驚愕して言いました。「どうしてそんなことが?私は何度も聖書を最後まで読みましたが、聖書にそれに関する記録は一つも見つかりません。聖書のどこにあなたの話の根拠があるのですか?」姉妹は辛抱強く言いました。「姉妹、聖書のこの二節を読めばわかります。マラキ書1章11節には、『日の出る所から没する所まで、国々のうちにわが名はあがめられている…と万軍のヤーウェは言われる』。マタイ福音書24章27節には、『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう』とあります。この二つの聖句から、神様が再び降りて来られる場所は世界の東にあり、『国々』、つまり異邦人の地にあることがはっきりと分かります。周知の通り、中国は世界の東にあります。神の働きの最初の二段階は両方ともイスラエルでなされました。イスラエルの国から見て、中国は異邦人の国です。したがって、神が終わりの日に働きをするために中国に来られ、出現されることはこれらの預言を成就します」。姉妹たちの交わりに耳を傾け、この二つの聖句の意味を熟考した後、私は彼女たちの交わりが大変勉強になると思いました。この二節は以前読んだことがありますが、主の再臨が東、すなわち中国でなされるという意味を読み取ったことはありません。彼女たちの説明を聞くにつれて、その源が聖霊の啓きにあると感じました。

姉妹は続けて言いました。「全能神が何と仰せられるか見てみましょう。『わたしは宇宙の隅々まで自らの働きを行なっており、東方では雷のような轟音が終わりなく発生し、すべての国々と教派を震わせている。すべての人々を現在へと導いてきたのはわたしの声である。わたしはすべての人がわたしの声によって征服され、この流れの中に入り、わたしの前に帰服するようにするつもりだ。わたしははるか昔に全地からわたしの栄光を取り戻し、それを東方で新たに発したからだ。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光のもとへ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを目にとめない者がいるだろうか。贖い主の再来を待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は地上の隅々まで行き渡るだろう。わたしは選ばれた者たちと向き合って、もっと彼らに話しかけたいと願っている。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を語りかける。こうしてわたしの口から出る言葉は人の宝となっており、すべての人々はわたしの言葉を大切にしている。稲妻は東から西へとひらめき渡る。わたしの言葉は、人が手放したがらないと同時に人には理解し難いものだが、それ以上に彼らに大きな喜びをもたらすものである。すべての人々は生まれたての赤児のように喜びに満ち、わたしの到来を祝っている。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れてくる。その時からわたしは正式に人類の中へ入り、彼らはわたしを崇拝するようになる。わたしが放つ栄光とわたしの口から出る言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、そしてわたしが東方の「オリーブ山」にも降臨したことを知るようになる。彼らはわたしがすでにずっと前から地上にいたことを知り、すでにユダヤ人の息子ではなく、東方の稲妻であることを知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の間から去って、その後再び栄光とともに人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた赤児である。そしてそれ以上に、今この時代の栄光に満ちた全能神なのだ。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見せ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を目撃させなさい。これがわたしの旨のすべてであり、わたしの計画の結末かつ頂点であると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい』(「七つの雷が轟く――神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」『言葉は肉において現れる』)。周知の通り、神様は最初に受肉されたとき、天国の福音をもたらされ、この福音は西から東に広まりました。しかし、まさか神様が世界の東、中国において肉となって戻られ、永遠の福音をもたらされ、人々を裁き、清め、救う働きをなさるなど、私たちは夢にも思いませんでした。今回、神様の働きは東から西へと広まるのです」。

そう聞いたとき、私は姉妹の話を遮り、困惑したながら尋ねました。「姉妹、聖書にはヤーウェ神がイスラエルで働かれ、主イエスの働きがユダヤでなされたと記されています。神様の二つの段階の働きは両方ともイスラエルでなされたのですから、主の再臨もイスラエルでなされるべきです。どうして中国でなされると言えるのですか?」姉妹は微笑んで言いました。「神様の最初の二段階の働きが両方ともイスラエルでなされたから、主が戻られた時も必ずイスラエルで働きをなさると私たちは考えます。しかしそうした考えは事実と合致していますか?神様はイスラエル人だけの神なのでしょうか?イスラエル人だけを管理され、救われるのでしょうか? 全能神が何と仰せられるかを見てみましょう」。

姉妹が御言葉の本を開いて読みました。「終わりの日に救い主が到来する時、まだイエスと呼ばれていたら、そしてもう一度ユダヤで生まれ、そこで働きを行なったら、これはわたしがイスラエルの人々だけを造り、イスラエルの人々だけを贖い、異邦人とは関係がないことの証明になるだろう。これは『わたしは天と地、すべてのものを造った主である』というわたしの言葉と矛盾しないだろうか。わたしはユダヤを離れ、異邦人のもとで働きを行なう。なぜならわたしはイスラエルの人々の神というだけでなく、すべての創造物の神だからである。わたしは終わりの日には異邦人のもとに現れる。なぜならわたしはヤーウェ、つまりイスラエルの人々の神であるだけでなく、さらに、異邦人の中でわたしが選んだ者すべての創造主だからである。わたしはイスラエル、エジプト、レバノンを造っただけでなく、イスラエルの域を超えてすべての異邦人の国々も造った。そしてこのために、わたしはすべての創造物の主なのである。わたしは働きのための出発点としてイスラエルを使い、ユダヤとガリラヤを贖いの働きの拠点として用い、異邦人の国々を時代全体を終らせる起点として使うだけである」(「救い主はすでに『白い雲』に乗って戻って来た」『言葉は肉において現れる』)。「わたしはイスラエル人の神であるだけでなく、わたしが呪った民族をも含むあらゆる異邦人の民族の神であることを、わたしはすべての人々に知らしめる。わたしがすべての被造物の神であることを、わたしはあらゆる人々に知らしめる。これがわたしの最も大きな働き、終わりの日に向けた働きの計画の目的、そして終わりの日に成就される唯一の働きである」(「福音を広める働きはまた人間を救う働きでもある」『言葉は肉において現れる』)。「神はイスラエルの民を導きユダヤに生まれたが、また、異邦人の国にも生まれた。神の働きはみな、神が創造した人類全体のためではないのか。神はイスラエルの民を百倍愛し、異邦人を千倍憎んでいるのか。それはあなたがたの観念ではないのか。神があなたがたの神ではなかったということはなく、どちらかというと、あなたがたが神を認めないのである。神があなたがたの神でありたくないということはなく、どちらかというと、神を拒んでいるのはあなたがたである。被造物のうち誰が全能者の手の中にいないのか。今日あなたがたを征服することにおける目的は、神はあなたがたの神にほかならないとあなたがたに認めさせることではないのか。もしあなたがたが神はイスラエル人だけの神であるといまだに言い張り、イスラエルのダビデ家が神の誕生の起源であり、イスラエル以外の民族にはどれも神を『生む』資格がないどころか、異邦人の種族はヤーウェの働きを直接受けることはできないと主張するのなら、もしまだこのように考えているのなら、頑固に抵抗していることにならないであろうか……神を信じるようになって長くはないのに、あなたには神についての観念が多くあり、そのせいでイスラエル人の神がもったいなくも自分たちに現れてくださるなどとはほんの一瞬も考えようとしないほどである。まして自分たちが耐え難いほど汚れていることを思い、どうして神自身の出現を自分たちが見ることができるのかを考えようとしない。あなたがたはまた、神がどうして異邦人の国に直接出現しえるということを考えてみたこともない。神はシナイ山かオリーブ山に下り、イスラエル人に現れるはずである。異邦人(つまり、イスラエル以外の人)はみな、神の嫌悪の対象ではないのか。どうして神が自らそのような人たちのもとで働くことなどあるのか。こうしたことはみな、あなたがたが長年にわたって築き上げた根深い観念である。今日あなたがたを征服する目的は、あなたがたのそうした観念を打ち砕くことである。だから、シナイ山やオリーブ山ではなく、あなたがた、過去に神が導いたことのない民族のもとに神が自ら現れるのをあなたがたは見ているのである」(「征服の働きの内幕(3)」『言葉は肉において現れる』)。「もし神の現在の働きがイスラエル人の間で行われたならば、神の六千年の経営計画が終わる時にはすべての人が、神はイスラエル人だけの神であり、イスラエル人だけが神の選民であり、イスラエル人だけが神の祝福と約束を受け継ぐに値するのだと信じることになるだろう。神は赤い大きな竜の国の異邦人の中で終わりの日に受肉することで、すべての被造物の神としての働きを成し遂げる。神は経営(救い)の働き全体を完成させ、赤い大きな竜の国で、神の働きの中心となる部分を完了する。三つの段階の働きの中心は人間の救いであり、すなわちすべての被造物に創造主を崇めさせることである。そのため、働きのどの段階にも大きな意味がある。神は意味や価値のないことは行わない」(「神はすべての被造物の主である」『言葉は肉において現れる』)。

それから、姉妹が交わってくれました。「以前、私たちは神様の最初の二段階の働きが両方ともイスラエルで行われたから、神様はイスラエルの神であると断定していました。イスラエルは神様の働きの発祥地であり、神様の働きの拠点でもあったため、私たちは神様の働きがイスラエルでのみ可能であり、福音がイスラエルからしか出て来ないもので、イスラエル人だけが真に神様の選民であると思ったのです。そのため、もし神様がイスラエルでこの最後の段階の働きを行なわれたなら、私たちは神様はイスラエルでしか働きができず、イスラエル人しか祝福できず、異邦人とは何の関わりもないとなおさら強く信じるでしょう。終わりの日、神様は異邦人の国で人を裁いて清める働きを行うことを選ばれました。その国とは赤い大きな竜が渦巻く地、中国でした。神様がそうなさることで万人の観念をひっくり返されたのは、実際に神がイスラエル人の神だけでなく、すべての異邦人の神であり、すべての被造物の神であることが人々にわかるようになるためです。神様はイスラエル人だけでなく、異邦人も祝福されます。こうして『神はすべての被造物の主である』という働きがを成し遂げられます。神様が中国で終わりの日の働きをすることを選ばれた意義は明らかに深いのです。神は真に全能であり、賢明です」。

姉妹の交わりを聞いて、私は考え込みました。「そうよ」と思いました。「神様はすべての創造の主である。全人類が神様に造られたのではなかったの?神様はイスラエル人だけでなく、中国人もお救いになる。神様が今日中国で働きに来られるのは、神様の異邦人への愛を表しているのではないかしら?どうも私は御心を本当にわかっていないようね!」そう思うと何だか情けなく感じ、口調を和らげて言いました。「さん、あなたの言うことはわかります。もし神様がまたイスラエルで働きをなされば、私たちは神様を限定し、イスラエル人だけの神だと思うでしょう。神様は今日、このように働かれるのは、人々の観念を壊し、神様がすべての被造物の主であり、イスラエルでも中国でも働きをなしうることを人々に理解させ、こうして私たちが神様の働きを限定しないようにするためです。私は自分の観念と想像に基づいて神様の働きを限定することで、本当に愚かで無知になっていたようです!しかしまだわからないことが一つあります。世界には欧米の多くの国など、プロテスタントやカトリックが国教で、神様が常に崇拝されてきた国が実に多くあります。神様が人を裁いて清める働きをしに来られるのは、そうした国々でなさった方が簡単ではないでしょうか?中国は偶像崇拝者だらけの無神論の国です。国の政府が神様を信じる人々の迫害に躍起になっているのに、なぜ神様は中国で働きをなさるのですか?」

姉妹は微笑んで言いました。「姉妹、あなたの質問はとても重要です!神様はなぜ中国で裁きと清めの働きを行うことを選ばれたのでしょうか?神様がイスラエルと中国で働きをなさる目的と意義を理解することによってのみ、真理のこの側面が理解できます。御言葉にどう述べられているか見てみましょう。全能神は仰せられます。『旧約聖書はイスラエルの人々に対するヤーウェの言葉と、イスラエルにおけるヤーウェの働きを記録している。新約聖書はユダヤの地におけるイエスの働きを記録している。では、なぜ聖書には中国人の名前が記されていないのか。それは、神の働きにおける最初の二つの部分がイスラエルで行なわれたからであり、イスラエルの人々は選民だったからである。つまり、彼らはヤーウェの働きを最初に受け入れた民族だったのである。彼らは全人類の中で最も堕落しておらず、はじめのころ、神を見上げて崇敬する心構えをもっていた。彼らはヤーウェの言葉に従い、常に神殿で奉仕をし、祭司の衣や冠をつけた。彼らは神を礼拝した最初の民族で、神の働きの最初の対象だった。人類すべての見本であり模範だった。聖と義の見本であり模範だった。ヨブ、アブラハム、ロト、ペテロ、テモテのような人たちはみなイスラエル人で、最も聖なる見本であり、模範だった。イスラエルは人類の中で神を礼拝した最初の国であって、他のどこよりも義なる人々が出た。神は将来地の至るところで人類をより良く経営できるよう、イスラエル人の中で働いた。彼らが成就したことと、ヤーウェへの崇拝の義は記録され、その結果、彼らは恵みの時代にイスラエルを越えて人々の見本、模範となることができた。そして彼らの行動は今日に至るまで、数千年の働きを支えたのである』(「神の働きのビジョン(2)」『言葉は肉において現れる』)。『ヤーウェの働きは世界の創造であり、始まりだった。この段階の働きは働きの終わりであり、終結である。最初に、神の働きはイスラエルの選民のあいだで実行され、最も聖なる地における新しい時代の夜明けだった。最後の段階の働きは、世界を裁き、時代を終わらせるために最も汚れた国で実行される。最初の段階において、神の働きは最も明るい地で行なわれたが、最後の段階は最も暗い地で実行され、この暗闇は一掃され、光がもたらされ、すべての人が征服される。この最も汚れた、最も暗い場所にいる人々が征服され、すべての人が神の存在と誰が真の神であるかを認め、あらゆる人がすっかり確信したとき、この事実は征服の働きを全宇宙で行なうのに用いられるだろう。この段階の働きは象徴的である。ひとたびこの時代の働きが終わると、六千年にわたる経営の働きは完全に終わりを迎える。ひとたび最も暗いこの場所にいる人々が征服されると、他のあらゆる場所でもそうなることは言うまでもない。そのように、中国における征服の働きだけが、象徴としての意味をもつ。中国は闇のすべての勢力を具現化しており、中国の人々は肉なる者、サタンの者、そして血肉による者を表わしている。赤い大きな竜によって最も堕落させられ、神に最も反抗し、人間性が最も卑しく汚れているのは中国人である。だから彼らは堕落した全人類の典型なのである。これは、他の国々にはまったく問題がないということではない。人間の観念はどれも同じである。他国の人々は優れた素質をもっているかもしれないが、神を知らなければ、彼らは神に逆らっているはずである。なぜユダヤ人も神に逆らい、神を拒んだのか。なぜパリサイ人も神に逆らったのか。なぜユダはイエスを裏切ったのか。当時、弟子の多くはイエスのことを知らなかった。なぜ人々は、イエスが十字架にかけられ、そして復活した後でさえもイエスを信じなかったのか。人間の不服従はどれも同じではないのか。中国の人々は単にひとつの例にされたというだけである。征服されたとき、彼らは模範、見本となり、他の人々の参考として役立つだろう。あなたがたはわたしの経営計画の付属物であると、わたしが常に言ってきたのはなぜか。堕落、汚れ、不義、敵対、そして反抗が最も完全に現われ、あらゆる形で示されているのは、中国の人々においてである。中国人は素質に乏しい一方、中国人の生活と考え方は遅れており、習慣、社会環境、そして生まれ育った家族など、すべてが劣っており、最も遅れている。地位もまた低い。この場所での働きは象徴的で、この試験的な働きがすべて実行された後、神の次の働きはもっと順調に進むだろう。もしこの段階の働きが完了し得るなら、次の働きもそうなるのは言うまでもない。この段階の働きが達成されたなら、大いなる成功がおさめられ、全宇宙におよぶ征服の働きは完全に終わりを迎えるだろう。実際、あなたがたのあいだで働きが成功したなら、これは全宇宙で成功したのと同じことである。これが、わたしがあなたがたを模範、および見本として行動させる意義である。反抗、敵対、汚れ、不義など、そのすべてがこの人たちに見られ、彼らの中には人類の反抗心がすべて表わされている。まったく大した人たちである。このように、彼らは征服の縮図として掲げられ、ひとたび征服されると、自然と他の人たちの見本および模範になるだろう』(「神の働きのビジョン(2)」『言葉は肉において現れる』)。」

御言葉を読んだ後、姉妹は交わりを続けました。「全能神の御言葉には、神様の働きのどの段階も、場所の種類と対象がすべて神様の働きに必要な事柄に基づいて選ばれ、すべてとても有意義であるとはっきり教えられています。たとえば、神様の働きの最初の二段階がイスラエルで行われたのが、イスラエル人が神様の選民だったからです。彼らは全人類の中で最も堕落しておらず、神様を恐れる心を持っていました。神様にとって、神様を崇拝する雛形と手本の一群を作るのは、彼らの中で働きをすることによって最も容易にできました。こうして神様の働きはより速く、より簡単に広まり、全人類が神様の存在と働きを知るようになり、より多くの人が神様の御前に出て神様の救いを得ることができたのです。そのため、神様がイスラエルにおいて働きの最初の二段階をなさったのは最も有意義なことでした。終わりの日に、神様は人々を征服して清める働きをなさります。また、神様の征服と清めを最初に受け入れる代表者も必要とされます。全人類の中で、中国人は最も堕落しており、中国は神様を最も信じておらず、神様への抵抗が最も頑なな国です。したがって、終わりの日に神様が中国で最初に裁きと征服の働きをなさり、最も深く堕落した人々に対して刑罰と裁きの働きをなさり、世界で最も堕落した中国人を征服し清められることによって、神様の全能、聖さと義が最もよく示され、サタンが最も辱められます。最も堕落している人々が神に征服されるとき、残りの人類も征服され、サタンも完全に打ち負かされることは言うまでもありません。神様の働きのすべての段階において神様に選ばれた働きの場所と対象から、そして達成された最終的な結果から、神様の働きがとても賢明で不可思議であることがさらによくわかります」。

全能神の御言葉と姉妹たちの交わりを聞いた後、私は納得しました。神が以前、イスラエルで働きを行なわれたのは、人類で最も堕落していない人々の中から雛形と手本の一群を作り、その人々による神の福音の証しと宣教と福音を通して、さらに多くの人が救いを受け入れられるようになさりたかったからです。神が終わりの日に行なわれる働きは、人を征服して清める働きであり、世界で最も堕落し、最も汚れている中国人を働きの対象として選ばれ、征服されて救われる雛形と手本の一群になさりました。これは神の知恵と全能をさらに明らかにしています。私は神の御心を理解したためしがなく、聖書で主がイスラエルのオリーブ山に降りて戻られると読んだとき、その文字通りの意味を受け入れ、神は間違いなくイスラエルで働きをなさるだろうと思いました。まさか神が遥か以前に中国に来られたとは思いませんでした。神の働きは人々が想像するほど単純ではなかったようです。

この時、姉妹は続けてこう言いました。「神様がどの国で働きをなさろうと、それはすべてご自身の働きのためであり、人類をより良く救うためであり、非常に有意義なのです。私たちが今、神様の出現を求めたいのであれば、まず想像と観念を捨てなければなりません。神様がこの国に来るはずだと考えて、神様の足跡を特定の範囲内に限定してはならないのです。神様は全人類の神です。働きに必要な事柄に応じて、働きの場所を自由に選ぶことができます。全能神は仰せられます。『神は全人類の神である。神は自らを一つの国や民族の所有物とみなさない。神が自ら計画したとおりに働きを行い、形式や国、民族といった制限を受けることはない。これまであなたはこのような形式を想像したこともなかったかもしれないし、そのような形式を否定するかもしれない。神が現れる国や民族はたまたま誰からも差別されている地上で一番遅れている国や民族かもしれない。しかし、神には神の知恵がある。神はその偉大な力とその真理と性質により、神と心を一つとする人々の一群を本当に得ている。それは神が完成させたいと願う人々の一群で、神に征服され、あらゆる試練と困難、あらゆる迫害に耐え、最後の最後まで神に従うことのできる一群である』(「神の現れによる新時代の到来」『言葉は肉において現れる』)。」

全能神の御言葉を聞いた後、私は胸を躍らせて泣き、姉妹たちに言いました。「この御言葉は神様の力と権威を帯びていて、神様から来ています。神はイスラエル人の神だけでなく、中国人の神でもあり、さらに言えば、全人類の神です。神は本当に戻ってこられました!この数日間、私は道を誤るのが怖くてろくに食事も睡眠も取れませんでした!今日あなたたちとの交わりのおかげで、気の重さがなくなりました。神様に私を見捨てられなかったことを本当に感謝します!」その後、二人の姉妹が私に「言葉は肉において現れる」,を一冊渡してくれ、私は本を両手で抱えて家に帰りました。全能神の御言葉を読むことで、私は全能神が主イエスの再臨であると確信しました。私たちの主イエスは本当に戻って来られたのです。

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8. 全能神が清めを得る道に私を導いた

絶えず神の御言葉を読み、教会生活を送ることで、自分が終わりの日における神の裁きの働きを受け入れられたのは本当に素晴らしいことなのだと、ますます強く感じるようになりました。自分では決して堕落した性質を解消できないことを、私は真に経験したのです。神の御言葉による裁きと刑罰を経て初めて、私は徐々に変わり、清められていきました。

40. 異なる形の救い

私たちが終わりの日にあって、主の再臨に関する聖書の預言が基本的に成就していたことがわかっていたからです。主はもうすぐお戻りになられる、だから主と対面する機会を逃してしまわないように、私はより熱心に礼拝に参加して、主のお戻りを今や遅しと楽しみにしていました。

18. 神の御言葉に導かれ罠から抜け出す

神の御言葉が記されたページをめくって「神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを知っているか」の一節を見るたびに、私は2年前、噂の呪縛から解放されて、神のもとに戻ることができた経験を思い出さずにはいられなくなります。

42. 帰宅

この神の御言葉を歌詞にした讃美歌を歌いはじめると、私は必ず湧き上がる感情を抑えられなくなります。それはかつて神を忌避し、神に反抗したことがあるからです。私はまるで迷える子羊のように、家に帰る道がわからなくなっていました。神の家に私を導き帰してくださったのは、神の揺るぎない愛です。

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