32. 突破口を見いだす

中国 芳芳

私たち一家は全員主イエスを信じており、私が教会の普通の信者である一方、父はその教会の同労者でした。2004年2月、私は終わりの日の全能神の働きを受け入れ、その直後、天国の福音を一番下の妹に宣べ伝えました。もともとは神の御言葉と真理をいくらか身につけてから、父に終わりの日の神の働きを証しするつもりでした。ところが驚いたことに、私が終わりの日の全能神の働きを受け入れたことを聞いた父は逆上し、私の信仰を邪魔して妨げようとしたのです。

ある日の夜、父が息巻きながら我が家に来て、怒りも露わにこう言いました。「お前が私と教会の指導者の忠告を無視して東方閃電を信じ始めるなんて、思いもしなかったぞ。急いで指導者のところに行って悔い改め、自分の罪を赦してくださるよう主にお願いしたほうがいいぞ」。私はこう答えました。「パパ、私は全能神の御言葉をたくさん読んで、それが神のお声だと本当に信じているの。全能神は再臨された主イエスであって、私は自分の信仰に自信をもってるわ。恵みの時代はすでに終わり、いまは神の国の時代。神はもうおいでになって新しい働きをなさり、私たちを小羊の婚宴に連れて行ってくださるのよ。聖書にも「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く(ヨハネの黙示録 14:4)とあるじゃない。私は全能神を信じる中で、小羊の足跡に従っているのよ……」。しかし、私がなんと言おうと父は耳を貸そうとせず、教会の指導者のところに連れて行くと言い張るばかりでした。夫も加勢して私に圧力をかけました。父の顔に浮かぶ表情から、何としても私を前の教会に連れ戻そうとしていることがわかりました。二人とも感情が高ぶって私にとてつもない圧力をかけているのがわかり、いささか不安にならずにいられません。そこで神に無言の祈りを唱え、加護と導きを求めました。案の定、父は私にそれ以上何も言わせず、私たち3人を前の教会の集会場に車で連れて行くよう夫に言いました。部屋に入ると6、70名の人たちがそこで待っていました。義母に連れて来られた一番下の妹もいます。この集会が前もって準備されたものであり、私たち2人を寄ってたかって締め上げるつもりだということがわかりました。室内の誰もが妹と私を不思議そうに見ており、私たちを指さしてささやき合っている人もいます。すると上級指導者が私たちに迫ってきて、全能神を信じるのをやめなさいとすぐさま求めました。それから何一つ遠慮することなく、終わりの日の神の働きを断罪して冒涜し始めたのです。「東方閃電に加わった者は決して離れることができず、逃げ出せば鼻を切り落とされ目をくり抜かれる……」などといった嘘八百を並べさえしました。指導者がそのような偽りを話して一同を刺激したことで、父と妹の義母はますます怒って興奮し、私たちに目を閉じさせると、この者たちのためにお祈りくださいとその指導者に頼みました。彼らがしていることに私は嫌悪を覚え、指導者が私たちのために祈っている間も何一つ言わず、指導者がついた嘘はもはや私の心に深い印象を残していました。

家に帰っても、あの恐ろしい嘘がいまだに耳の中でこだまし、心の平穏を乱しました。神の御言葉に集中することさえできません。私はしばらく前から全能神教会の張姉妹と連絡し合っていて、言動がいつもまともで誠実なことを思い出しました。また張姉妹は私たちと交わる際にも多くの愛を示し、教会指導者が言うような人物とは似ても似つかぬ人でした。しかし一番大事なのは、全能神の御言葉が真理で、権威と力に満ち溢れていることです。人間は誰一人そのような言葉を表わすことができず、それらはきっと神のご発言に違いないと私は考えていました。それなのに、全能神教会にまつわる恐ろしい噂がこんなに多く流れているのはなぜでしょう。そのため、思考が肯定と否定の間を何度も何度も行き来して、私は一晩中ベッドで寝返りを打って眠ることができませんでした。翌日も眠気を感じて頭がぼんやりし、表現しがたい形で思い悩んで何もする気になれません。すると一番下の妹がやって来たのですが、指導者と義母の締め上げに耐えられなかったことがすぐにわかりました。もはや全能神を信じる気になれず、私も全能神への信仰を捨てるように言ってきたのです。私は恐る恐るこう尋ねました。

「ねえ、あなたが不安なのはわかるし、私もあなたと同じく、とても混乱して動揺してる。でもこの問題について何度もじっくり考え、主にお導きを求めて祈ったわ。だから指導者や他人が何と言おうと、私たちが確信できることが1つあって、それは全能神の御言葉を人間が語ることは絶対に不可能だということよ。それらの御言葉は神の御言葉だと、私は固く信じてる。『小羊が開いた巻物』を何度も読んだけれど、この本は神の6000年にわたる経営計画の奥義を明らかにしているわ。この本を読むことで、人類をお救いになる神の働きが3段階に分かれること、御言葉を用いた終わりの日の裁きの働きが、人間を永遠に救う働きだということがわかったのよ。裁きの働きによらなければ、私たちが天国に引き上げていただけるよう、自分たちの罪深い本性の足かせを真に振り払って救いを得ることはできないの。この本の内容は聖書にある主の預言と完全に一致しているし、聖書に載っていない真理も記されているわ。これらの真理と奥義は神様しかご存じでない。だから、全能神の御言葉は神のお声であり、全能神こそ私たちが強く待ち望んできた主イエスの再臨だと、私はこれほど確信してるのよ。ねえ、私たちの信仰は間違っていない。何をしようと、真の道をそんな簡単に捨てちゃだめよ」。妹が帰ったあと、私はとても悲しくなってこう思いました。「全能神は明らかに再臨された主イエスよ。それは絶対に真実だし、間違っていない。それなら、教会の指導者も私の家族も私たちに全能神を信じさせないのはなぜかしら」。そのように考えていたところ、夫の携帯電話が鳴りました。それは父からで、すぐ家に来なさいと言うのです。父が再び私に嫌がらせしようとしているのは間違いないので、行きたくないわと答えましたが、夫が私を掴んで車に引っ張っていきました。父の家に着くと、妹と彼女の義母がすでに来ていました。私を見て父は顔をこわばらせ、こう言いました。「昨夜、お前たちの罪をお赦しくださいと、教会の指導者が主イエスの御前で祈ってくださった。ところが、お前たちはいまだに自分の罪を告白して悔い改めていない。私が今日お前たち2人をここに呼んだのは、主の御前で完全なる悔い改めの祈りを唱え、二度と全能神を信じないようにするためだ……」。私はそれを聞いてすっかりうんざりし、心の中でこう考えました。「終わりの日の全能神の働きを受け入れることで、私は小羊の足跡に従って主の再臨をお迎えしているのよ。それのどこが罪なの。そうと知りながら嘘をつくつもりはないし、くだらない話をするつもりもないわ」。私が悔い改めの祈りを唱えようとしないのを見て、両親と妹の義母は私を締め上げにかかりました。私に告白して悔い改めさせようと、全能神を誹謗、冒涜し、あの恐ろしい嘘を再び並べ始めたのです。頭の中でそれらの嘘が駆け巡り、家族がひっきりなしに私を締め上げる中、私は呼吸が苦しくなり、目まいと弱さを感じ始めました。そして心の中でこう考えました。「毎日こんな圧力をかけられたら、兄弟姉妹と連絡を取り合うことも、神の御言葉を正しく読むこともできなくなるわ。神への信仰の中で、この特別な道を歩み続けることはできないだろう……」。その瞬間、両親と妹の義母が私を掴むと、目を閉じて悔い改めるよう妹と私に無理強いしました。彼らの攻撃的な振る舞いを見て、私は極度に動揺して目に涙が溢れるのを抑えられませんでした。そして泣きながら主に祈りました。「ああ主イエスよ、あなたが全能神としてお戻りになったことは知っていますが、いまあなたを信じる勇気がありません。どうか私の罪をお赦しください」。ここまで祈ったところで、涙のあまり続けることができず、それで祈りは終わりました。その後、突如とても弱気になり、勇気もすっかりなくなってしまい、神の存在をまったく感じられませんでした。私は極度の不安に襲われ、妹にこう言いました。「悔い改めの祈りを捧げるまでは、自分に力がいくらか残っているように感じたけど、唱え終えたらすっかりなくなったわ。まるで聖霊が私のもとから離れたみたい。実際、全能神を信じることは主に従うことだけど、私たちはあの悔い改めの祈りを唱えることで主を裏切ってしまったのよ」。

帰宅したあとも心の葛藤は続きました。私は神の御言葉を数多く読み、それらが神のご発言だと認識してきました。全能神は再臨された主イエスでいらっしゃり、全能神を受け入れないことは神を裏切ることであって、そうなれば私は救いを得られないだけでなく、神に断罪されるとわかっていました。しかしあくまで全能神を信じると言い張れば、教会の指導者と父は間違いなく私への嫌がらせを続け、平和な日は二度と訪れないでしょう。信仰の中で頑張り通す勇気が、自分にはまったくないように感じられました。心が乱れてどちらを向いても困難ばかりで、どうすべきか見当もつきません、頭の中ががんがん鳴り響き、いまにも神経衰弱になりそうです。私は張姉妹に来てもらいたいと思いました。神様の本を彼女に返し、そうすることで苦痛に満ちたこの生活から逃れられると思ったからです。

数日後、張姉妹が私を支えようと店に来てくれました。私は極度に緊張していました。夫が彼女を見て父に連絡するのではないかと不安だったのです。そこで私は息もつがず、ここ数日間の出来事を残らず話しました。それから商品の箱の下に隠してあった神の御言葉の本を急いで取り出し、彼女に渡しながらこう言いました。「張姉妹、私は両親と夫から嫌がらせを受け、前の教会の指導者や兄弟姉妹にも邪魔されているせいで、不安のあまりすっかり疲れました。もう耐えられないので、どうかこの本は持っていってください」。すると張姉妹は私を見つめ、真剣そのものの口調で言いました。「姉妹、私たちは終わりの日の神の新たな働きを受け入れました。なので、宗教指導者や家族によるこうした妨害や圧力は、実は霊の領域で繰り広げられている戦いなんです。主イエスはこうおっしゃいました。『地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである(マタイによる福音書 10:34)。『そして家の者が、その人の敵となるであろう(マタイによる福音書 10:36)。神の御言葉から、神が地においでになって救いの働きをなさると、霊の領域で戦いが生じるのは避けられないことがわかります。真に神を信じて真理を愛する人は、神のご発言を聞いて神に従うからです。それにより、真理に飽き飽きした人、真理を憎む人、神に抵抗する人全員の敵意がかき立てられるのは避けられません。結果として2つの立場、すなわち神に属する肯定的な立場と、サタンに属する否定的な立場が明らかにされ、1人ひとりその種類に応じて選り分けられます。これが神の全能とお知恵なのです。主イエスが最初に働きを始められたときのことを振り返ると、主イエスのご発言を聞いてその偉大な力を目の当たりにしたユダヤの一般人の多くが、主イエスこそが預言されてきたメシアでいらっしゃると信じるようになり、かくして主に従いました。しかし一般の民衆が自分たちを捨てて主イエスに従うのを目の当たりにしたユダヤの祭司長、律法学者、パリサイ人は、一般の人たちを惑わすべくこぞって数多くの噂をでっち上げ、それを広めました。主イエスは悪魔の王ベルゼブルに頼って悪霊を追い払っているとか、大食らいで葡萄酒を飲むのが大好きだなどと言ったのです。そして主イエスが復活なさったとき、彼らはローマの兵士に賄賂として銀貨を贈り、主イエスの遺体が弟子によって盗まれたという噂をでっち上げて広めました。これらは、人々が主イエスの救いを受け入れるのを止めようとする彼らの方法の一部です。そして、宗教指導者の言うことを信じて主イエスに従おうとしなかったユダヤ人はみな最後にどうなりましたか。主の救いを失っただけでなく、神の懲罰を受けて呪われたのです。イスラエルはほぼ2000年にわたって征服され、ユダヤ人は世界各地に追放されてその多くが迫害を受けて殺されました。これが、主を十字架にかけて神の性質にひどく背いたことの恐るべき結果です。今日、神は再び肉となられて働きをなさり、歴史はまさに繰り返されています。現代の宗教指導者は昔のパリサイ人と同じです。神がおいでになって働きをなさり、真理を表わし人をお救いになっている現実をはっきり見ながら、真理を愛していないせいで、終わりの日の神の働きを拒んで断罪しています。自分たちの地位を守って生計を維持すべく、噂を捏造して神に抵抗、断罪し、その噂を使って人を惑わし操っています。また、そうとは知らない人を利用しそそのかすことで、真の道を受け入れた信者に圧力をかけることさえし、人々が全能神に立ち返るのを狂ったように邪魔して妨げ、人々が救いを得る最後の機会を台無しにしようとしています。姉妹、私たちはこれが霊の戦いであることをはっきり知って、サタンの狡猾な企みを見抜けなければなりません」。張姉妹の交わりを聞いたあと、すべてが突然はっきりしました。古代以来、真の道は常に迫害されてきたのであり、私はまさに、いま繰り広げられている霊の戦いの中にいるのです。前の教会の指導者は噂をでっち上げて終わりの日の神の働きを断罪し、私が全能神を信じるのをやめるよう、何度も繰り返し私を迫害して嫌がらせを加えています。それはひとえに彼らが真理を憎み、神の敵でいるからです。姉妹の交わりのおかげでこうしたことが自分の身に起きていることを認識できましたが、私はそれでも弱気のままで、神の御言葉の本を手元に置くことが不安でした。そうすれば父や他人が自宅に来て騒ぎを起こし、家庭生活が困難になるとわかっていたからです。なので、私はその本を手元に置くことをためらいました。私がのっぴきならない立場に追い込まれたのを見て、張姉妹はある電話番号を私に教えてこう言いました。「姉妹、こうしたらどうです。つまり、私が神の御言葉の本を持ち帰って、あなたのためにとっておくんです。読みたくなったらいつでも電話しなさい。すぐに持ってきてあげますから」。私はうなずいて張姉妹と一緒に玄関へ向かいました。まさにそのとき、夫が駆け込んできて、張姉妹を指さしながらこう怒鳴りました。「その本を持ってすぐに出て行け。そして二度とここに来るな。さもないとまた怒鳴りつけてやるぞ!」帰ってゆく張姉妹の後ろ姿を見ながら、私は言葉にできない動揺と悲しみを感じました。

最初は、神の御言葉の本を張姉妹に返しさえすれば、父は私への嫌がらせをやめて以前の穏やかな生活が戻ってくると思っていました。しかし事態はそれと正反対になりました。心の静かさを感じられなかっただけでなく、それどころか言葉にならない空虚さを感じたのです。何をするにも元気がなく、夜も昼も全能神の御言葉と神の御言葉の賛美歌が絶えず頭に浮かびます。全能神が再臨された主イエスでいらっしゃること、全能神の表わされた御言葉が真理であることはわかっていましたが、教会の指導者が私に言ったこととや、父をはじめとする人たちが私に嫌がらせと攻撃を加える光景も絶えず脳裏に蘇るのです。私はひどく苦しみ、這い上がることのできない深い淵に落ちたような気がしました。ちゃんと食事することも眠ることもできず、頭が破裂しそうなほどのストレスに苛まれました。この苦痛のさなか、私はひざまずいて神に懇願しました。「ああ神よ、天地とすべての生き物をお作りになった唯一の真なる神よ。私はいままさに大きな苦痛の中にあり、強い喪失感を覚えています。全能神が再臨された主イエスでいらっしゃることはわかっていますが、私の霊的背丈はあまりに低く、父が加える嫌がらせや攻撃のことを考えるたび、怖くなってあなたに従うことができません。神よ、私は岐路に立たされ、決断することができないでいます。どうすべきかわかりません。どうか私に道を指し示し、お導きください……」。祈りの間、私は自分でも気づかぬうちに次の全能神の御言葉を突然考え始めました。「あれやこれやと恐れてはならない。あなたはどれだけ多くの困難や危険に直面しようと、どんな障害にも遮られることなく、わたしの前に固く立ち続けることができる。それによってわたしの旨は妨げなく遂行されるのだ。……恐れることはない。わたしの支えがあれば、誰にその道を塞ぐことができようか。このことを覚えていなさい、忘れてはならない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私の臆病な心を強くするのに十分なほど、勢いのある力を私に与えてくれました。私はこう考えました。「そうだわ。神が後ろ盾としていらっしゃれば、いったい何を恐れることがあるの。これが真の道だと私はもう決断したんだから、どんな人や出来事や物事にも縛られてはいけないわ。闇の勢力を打破して揺るがぬ決意で神に従わなければならない。神の信者として、サタンの敵対勢力に直面したときに自分の信仰を認めることもできないなら、私はどんな信者なの。サタンに降伏して神を裏切っているだけではないの」。そして張姉妹が交ってくれた際、家族や教会指導者による嫌がらせはすべて霊の戦いの一部であり、彼らの側に立つことを選べば、まさにサタンの狡猾な罠に陥ることになると話してくれたことを思い出しました。そのことは、救われて天国に入る機会を完全に失うことを意味します。次いで、張姉妹が神の御言葉の本を持ち帰ってから経験した霊の苦しみを振り返りました。人生の中に神がいらっしゃらず、神のもとを離れるのは、家族や前の教会に捨てられるよりずっとつらいことだと感じたのです。そこで私は受話器をとり、張姉妹に電話をかけました。そして神の御言葉の本を返してもらうべく、会う場所を決めたのです。

その後は夫が不在のたび、機会を見つけて熱心に神の御言葉を読み、賛美歌を歌いました。御言葉を読めば読むほどそれを楽しみ、賛美歌を歌えば歌うほど落ち着きとくつろぎを感じました。本来の信仰が蘇り、苦痛と苦悩がすべて影も形もなくなりました。神の御言葉は自分のいのちに糧を施すことができ、神さえいらっしゃれば自分は大丈夫だと強く実感したのです。そして3ヵ月後、張姉妹が私を全能神教会の集会に連れて行ってくれました。

思いがけないことに、私が全能神教会の集会に参加したことを夫は突き止め、父に連絡しました。ある日の夜、私が2階にいたところ、中庭から騒々しい声が突然耳に飛び込みました。カーテンを開けると冷や汗が吹き出ました。父と教会の5、6人の同労者が、いまにも騒動を起こしそうな勢いで駆け込んできたのです。心臓が激しく鼓動し始め、私はすぐにひざまずいて神を呼び求めました。「ああ全能神よ、父は教会の人たちを連れてきて再び私に嫌がらせをしようとしています。本当に怖いです。神よ、私の霊的背丈が低いことをあなたはご存じです。どうか信仰と勇気をお与えください……」。すると次の神の御言葉が突如私の脳裏に浮かびました。「あなたは自らの内にわたしの勇気を持たねばならず、未信者である親戚に直面するときは、原則を持たなければならない。しかしわたしのために、どんな暗闇の勢力にも屈してはならない。わたしの知恵に頼って完全な道を歩みなさい。サタンの陰謀に支配されてはならない。わたしの前に心を据えることに全力を尽くしなさい、そうすればわたしはあなたを慰め、平安と幸福を与える(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十章」〔『言葉』第1巻〕)。私は神の御言葉から信仰と力を与えられ、怯えも恐怖も感じなくなりました。そしてこう考えました。「あの人たちがどれほど私に嫌がらせをしても、再びサタンの罠にはまって彼らに惑わされるつもりはない。私は神に作っていただいた。神への信仰をもって神に従うことは天地の変わらぬ法則であって、たとえ私に一番近い人たちであっても、それを邪魔する権利なんて誰にもないのよ」。そのおかげで、私は静かに1階に降り、父と同労者を迎えることができました。彼らは私を見るやいなや一斉に話し始めました。その中の女性の同労者は、顔に「愛ある気遣い」を浮かべながらこう語りかけました。「芳芳、あなたはこんなに頭がいいのに、どうして私たちの気持ちを理解できないの。私たちはみんな、心からあなたのことを思っているのよ。そんな頑なにならないで。主の御前に出て悔い改めましょう。いいわね?」私はごく穏やかに答えました。「姉妹、あなたがたの誰も、東方閃電の説教を聞いたこともなければ、全能神の御言葉を読んだこともありません。それを正しく調べて、全能神を無闇に断罪して抵抗しないよう、あなたがた全員にお勧めします。全能神の御言葉を読みさえすれば、全能神が再臨された主イエスでいらっしゃるかどうかがわかります」。相手はこう返しました。「私たちはあの本を読もうとは思いません。その内容には人を引きつける力があまりにあるからです。簡単に吸い込まれてしまいます」。私は言いました。「それはまさに、全能神の表わされることがすべて真理であり、その御言葉は人を征服する力をもつ神のお声だからです。このような権威と力は神の御言葉にしかありません。人々が神の御言葉を読んでそれに引きつけられるのは、それを読むことで真理を理解し、いのちの糧を得られるからです。いのちの生きた水の源を見つけたのに、そこから離れる人なんているでしょうか」。一同はそれに答えず、全能神を冒涜する言葉を山ほど吐き、悔い改めなければ地獄で裁かれると言って私を脅すばかりでした。私は厳しい口調で言いました。「あなたたちは『東方閃電に加わる者は離れることができない。逃げ出せば鼻を切り落とされて目をくり抜かれる』と言うことで、全能神教会を中傷しました。そのような主張に根拠はまったくありません。どれも噂であり、悪意に満ちた中傷です。1人でいいから、鼻を切り落とされ目をくり抜かれた人を連れてきてください。事実に基づいた証拠を示せないなら、あなたたちは人を惑わすだけの嘘つきの群れです。全能神の国の福音はすでに中国各地に広く宣べ伝えられ、いまや誰もがそれについて耳にしています。現在、全能神教会には少なくとも数百万人のクリスチャンがいます。もちろん、福音が宣べ伝えられるとき、真理を憎んでそれを受け入れない人は常にいるものです。しかしあなたがたは、鼻を切り落とされ目をくり抜かれた人を見たことがありますか。そのようにされた人が1人でもいれば、すぐにマスコミが報道して国中が騒ぎになったでしょう。妹と私が信仰を捨てるまで、あなたたちは意図的に嫌がらせをしてきました。しかし2人とも大丈夫に見えます。違いますか。あなたたちは人を惑わすために嘘をついています。私は全能神を信じることで、神の足跡に従い真の道を選んでいるんです。何も間違ったことはしていないので、悔い改めることは何もありません。全能神に対する私の信仰は決して揺るがないので、それがいいと信じたくなくても、せめて信仰をやめさせようとはしないでください。私の結末がどうなるかについて、人に決定権はありません。どの人間の運命も神の御手の中にあるからです。神の働きと歩調を合わせ、終わりの日の神の働きを受け入れることでのみ、人はよき最後の終着点を得られるのです。だからもう二度と私に嫌がらせをしに来ないでください」。その言葉が私の口から出るやいなや、父は出し抜けにすっと立ち上がり、攻撃的な口調でこう脅しました。「全能神を信じ続けるなら、もうお前は俺の娘じゃない!」

絶縁するという父の脅しを聞いた私は、激しく動揺してこう考えました。「全能神が表わされた真理は、まさに聖霊が諸教会におっしゃることよ。なのに、どうしてそれに耳を傾けず、教会の指導者が広める噂や嘘に耳を傾けるの。全能神を信じているからといって私を憎み、そのうえ絶縁するだなんて、どうしてあの人たちのようになってしまったの」。それについて考えれば考えるほど悲しくなりましたが、そのとき神の御言葉の一節を突然思い出しました。「神はこの世界を創造し、神が命を授けた生きものである人間を世にもたらした。次に、人間は両親と親族を持つようになり、もはや孤独ではなくなった。人間は、最初にこの物質的世界に目を向けて以来、神の予定の中で存在するように定められてきた。神から出る命の息は、成人へと成長する間ずっとあらゆる生きものを維持する。この過程で、人は神の配慮のもとに成長していると感じる者はいない。むしろ、人は両親の愛情のこもった世話のもとで成長し、人の成長を促すのは自身の生命本能だと思う。それは、人間は誰が自分に命を授けてくれたのか、どこからそれが来たのかを知らず、ましてや、生命本能がどのようにして奇跡を生み出すのかなど知るよしもないからである(『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉のおかげで、たとえ自分の肉体が両親から生み出されたものだとしても、いのちの源は神であることがわかりました。そしてこう考えました。「いのちという神の贈り物がなければ、私の身体は腐った肉のかけらに過ぎず、私が今日生きているという事実も、ひとえに神のお気遣いとご加護のおかげ。さもなければ、はるか以前にサタンに呑み込まれていたはずだわ。私のいのちの源は神であって両親じゃない。だから神との縁を除いて、私はどんな縁でも断ち切れる。私の両親は主の再臨を探し求めたり調べたりすることに興味がないだけじゃなく、完全に教会の指導者のあとについて神の働きを誹謗、冒涜し、私に神を裏切らせようとしている。このことは神に抵抗して敵意を抱く彼らの本質を証明しているけれど、私は彼らに汚されて神に抵抗するつもりはない。神の側に立って、たとえ両親から捨てられても最後まで神に従い、しっかり立って神の証しをしていくわ」。そこで私は父に言いました。「パパ、神への信仰となれば、私は人でなく神に従うわ。感情に揺さぶられることもない。パパの言うことが真理と神の御心にかなっているなら、それに耳を傾ける。だけど神を裏切れと言うのであれば、パパの言うとおりになんて絶対しないわ」。私の態度が頑ななのを見た一同は首を振りながら立ち上がり、意気消沈した様子でその場を去りました。その瞬間、私は勝利を収めたように感じ、心の中で神を讃えて感謝せずにはいられませんでした。「ああ全能神よ、あなたはかくも全能です。あなたの御言葉が私に信仰と勇気を与え、そのおかげでこれを乗り切ってサタンに屈辱的な敗北をもたらすことができたのです」。

宗教界の人たちが私を悩ませに来ることは二度とありませんでしたが、教会の指導者はなおも両親をたきつけて私への嫌がらせを続けました。数日ごとに私の家にやって来て、改心するよう迫るとともに、指導者のところに行って悔い改めるよう必ず求めたのです。ある日、両親が我が家を訪れたとき、父は聖書の一節を自分勝手に引用して私を惑わそうとし、母は部屋の片隅に立ちながら、指導者のところに行って悔い改めなさいと涙ながらに言いました。母がこれほど動揺しているのを見て、私は心の底から悲しくなりました。そして、母がわずか3歳のときに自分の母親を失い、継母にいじめられたことを思いました。人生で大いに苦しんだうえ、いまや歳をとりつつあるのに、私はちっともいい娘でなく、特にいまは母に心配をかけています。そのとき父の年老いた顔と白髪が目に入り、私はますます悲しくなってすぐに泣いてしまいました。弱気になりかけていたまさにそのとき、神の御言葉の一節が頭に浮かびました。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉のおかげで、表面的には両親が私に嫌がらせしているように見えても、霊の領域ではサタンが神を相手に賭けをしていることがわかりました。それはまさに、ヨブが神の試練を受けていた際、彼の妻がサタンの下僕の1人を演じ、ヨブに「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」(ヨブ記 2:9)と言ったのと同じです。しかしヨブは神を畏れて悪を避けたため、妻を叱って無知で頑固な女と呼びました。言葉で罪を犯すことをしなかったのです。ヨブはサタンの前で神の証しを立て、ヤーウェの目に完全な人と映りました。私はいま、指導者たちの言う馬鹿げた嘘をすべて信じた両親から嫌がらせを受けていますが、それもサタンの誘惑の1つなのです。私が両親を大いに気遣っていることをサタンは知っており、この機会に乗じて私に迫ろうとしています。両親への同情を利用して私に神を拒んで裏切らせようと、サタンは無駄な望みを抱いていますが、そのことはサタンがいかに邪悪で狡猾かを示しています。しかし、おのれの企みがうまくいったのを見て、サタンが満足するのを許すつもりはありません。神を失望させて悲しませるつもりはなく、私は神の側に立とうと決意しました。それからは、両親がなんと言おうと、どう私を説得しようと、私の心はほんのわずかも揺るぎませんでした。私がまったく心を動かさないのを見て、両親はひどくがっかりした様子で帰っていきました。

その後、教会の指導者が父を教会の信者全員の前に立たせ、私が教会から追放されたことを宣言しました。またその指導者は、私に近づかないよう両親に命じました。教会の指導者と両親による嫌がらせの結果、夫は狂ったように私を迫害し始めました。私が教会の本分を尽くして帰宅するたび、私を殴ったり大声で罵ったりしたうえ、ときには自宅に鍵をかけて私が入れないようにしたのです。私の電動スクーターや自転車も壊してしまい、私を警察署に連れて行くことすらありました。肉体的に疲れ果ててすっかりやつれるまで、私は夫に苦しめられ、村の近所の人たちも私をからかったり中傷したりし始めました。この状況に直面して私の霊は弱り、神への信仰はあまりにつらいと感じるようになりました。この先どうしたらよいかわからず、しばしば神の御前にひざまずき、泣きながら祈って、信仰と強さをお与えくださいと神にお願いしました。そしてあるとき、私は次の神の御言葉を読みました。「神が『勝利者』と呼ぶ者は、サタンの支配下に置かれ、サタンに包囲されたときでさえ、つまり闇の軍勢のただ中にいるときでさえ、神の証しに立ち、神への確信と忠誠を維持できる者である。何があろうと依然として神の前で純真な心を保ち、神に対する真の愛を維持できるのであれば、あなたは神の前で証しに立っており、それが神の言うところの『勝利者』になることである。神から祝福されているときの追求が優れていても、神の祝福がなければ逃げ出すのであれば、それは純粋さだろうか。あなたは、その道が正しいと確信しているのだから、最後までその道に従い、神への忠誠を保たなければならない。あなたは、神自身があなたを完全にすべく地上に来たのを見てきたのだから、自分の心をすべて神に捧げるべきである。神が何を行なおうと、たとえ最後にあなたにとって好ましくない結末に決めたとしても、それでもあなたが神に従えるのであれば、それが神の前で純粋さを保つということである(『神の出現と働き』「あなたは神への忠誠を保たなければならない」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉から、神は終わりの日のさなか、人々の集団を勝利者にされることがわかりました。また神はサタンが人々を試すのをお許しになり、それが中国共産党による圧迫だろうと、宗教界からの嫌がらせだろうと、親族に捨てられることだろうと、一般大衆から受けるからかいや侮辱だろうと、私たち信者は実践を通じてこれらの試練に耐えなければなりません。どんな状況でも神に従い、神への忠誠を保ち、神の証しをする信者だけが、神がお作りになった勝利者になるからです。神はこうした困難な状況を用意されることで、私を完全になさるとともに、私が本当に神への信仰をもっているか、本当に心から神を信じ、神に従い、神に忠実である人間かどうかを確かめておられたのです。神の御心を理解したあと、私は神の御前に出て次の誓いを立てました。「どんな困難や圧迫に直面しようと、私はいつも決意をもって神に従います。神に満足していただくべく、常に神の被造物の1人として本分を尽くします。そしてサタンの前で神の勝利の証しをいたします」。その後、夫は狂ったように私への嫌がらせと邪魔を続けましたが、私はそれでも頻繁に神に祈り、神を仰ぎ、神の御言葉を毎日身につけ、もはや心の中で苦しみを感じることはありませんでした。また、神は私のために道を開いてくださいました。私を激しく迫害したことで、夫は何度も神から懲罰を受け、その後は二度と私を殴ったり自転車を壊したりしないようになったのです。これらの経験を通じ、私は神の全能と支配、神の素晴らしい御業を目の当たりにしました。神の権威と力を越えられる闇の勢力が存在しないこともわかり、心から神にすがり、神の御言葉に頼ってあらゆることに向き合う限り、神は私たちのために道をお開きになり、サタンの闇の勢力に打ち勝てるよう導いてくださることを自ら経験したのです。これらの迫害と苦痛を経験したことで、私の肉体は少しばかり苦しみましたが、それでも自分は多くのものを得たと感じました。神への信仰もいっそう力を増しましたが、それはすべて神の私に対する祝福でした。全能神、あなたに感謝いたします。

1年後、私は張姉妹と一緒に妹の職場に出向き、終わりの日の神の働きを再び証ししました。妹はそれを受け入れました。そして彼女が神の御言葉の本を持っていく姿を見て、人が神に救っていただくのがいかに難しいことか、私は深く実感するようになりました。人をお救いになる神の望みはまさに真実なのです。私は感謝の涙が顔を伝い落ちるのを止めることができず、心が神への感謝と賞賛で舞い上がりました。2006年、妹と私はもう1人の妹にも神の福音を宣べ伝え、それから親族の何人かも全能神の御前に連れて行くことができました。そのおかげで、宗教指導者がどれほど必死に嘘をでっち上げ、真の信者の邪魔をして彼らを悩ませようと、神の国の福音は広まってゆき、誰もそれを止められないことがわかりました。神の小羊はきっと神のお声を聞いて玉座の前に戻ります。全能神もこうおっしゃっています。「神の国は人間たちの間で拡大している。神の国は人間たちのただ中で形作られている。神の国は人間たちのただ中で建て上げられている。わたしの国を滅ぼすことのできる勢力はない(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第十九章」〔『言葉』第1巻〕)

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