2. 肉となった神の重要性

関連する神の言葉

この肉体が人類にとって極めて重要なのは、それが人間で、またそれ以上に神であり、通常の人間にはできない働きを行うことができ、地上で共に暮らす堕落した人間を救うことができるからである。神は人間と同じ外見を持つが、受肉した神はいかなる重要人物よりも人間にとって重要である。それは、神の霊には不可能な働きを行い、神自身について神の霊よりも優れた証しができ、神の霊よりも完全に人類を得ることができるからだ。その結果、この肉体は普通で平凡であっても、その人類への貢献と、人類の存在に対する意義により、極めて尊いものとなる。そしてこの肉体の真の価値と意味は、誰にとっても計り知れないものである。この肉体は直接サタンを滅ぼせないが、神は自身の働きによって、人類を征服してサタンを打ち負かし、完全に支配下に置くことができる。神がサタンを打ち負かして人類を救えるのは、受肉したからである。神は直接サタンを滅ぼしはしないが、その代わりに肉となり、サタンによって堕落させられた人類を征服する働きを行う。このようにして、神は自身の被造物のあいだで自分を証しでき、堕落した人間をよりよく救える。受肉した神がサタンを打ち負かすことは、神の霊が直接サタンを滅ぼすよりも偉大な証しであり、より説得力がある。受肉した神は、人間が創造主を知る手助けをよりよく行うことができ、自身の被造物のあいだでよりよく自分自身を証しできる。

『神の出現と働き』「堕落した人類は、受肉した神による救いをさらに必要としている」(『言葉』第1巻)

肉における神の働きで最もよい点は、神に付き従う人々に正確な言葉と勧告、そして人類に対する具体的な旨を残せることであり、ゆえにその後、神の信者はこの道を受け入れる人に対し、肉における神のすべての働きと全人類への旨をより正確に、より具体的に伝えることができる。受肉した神による人間のあいだでの働きだけが、神が人間と共に存在し、共に生活する事実を真に確立できる。この働きだけが、神の顔を見たい、神の働きを目撃したい、神自身の言葉を聞きたいという人間の願望を満たす。受肉した神は、ヤーウェの後ろ姿だけが人類に示された時代を終わらせ、また、人類による漠然とした神への信仰の時代を終わらせる。とりわけ、最後に受肉した神の働きは、すべての人間により現実的で実践的な美しい時代をもたらす。神は律法と教義の時代を終わらせるだけでなく、さらに重要なこととして、現実的かつ正常な神、義にして聖い神、経営計画の働きを明らかにする神、奥義と人類の終着点を示す神、人類を創り、経営の働きを終わらせる神、そして数千年にわたって隠されていた神を人類に明らかにする。神は漠然の時代を完全に終わらせ、人類全体が神の顔を求めても見つけられなかった時代を終わらせる。神は、人類全体がサタンに仕えた時代を終わらせ、全人類をまったく新たな時代へと完全に導く。これはみな、受肉した神が神の霊の代わって行った働きの結果である。神が肉において働くとき、神に付き従う者たちは、存在するように見えると同時に存在しないように見えるものを、それ以上求めて手探りせず、漠然とした神の旨を推測することをやめる。神が肉における働きを広めるとき、神に付き従う人々は、神が肉において行った働きをすべての宗教、すべての教派に伝え、神のすべての言葉を全人類の耳に伝える。神の福音を受ける者が聞くことはみな、神の働きの事実であり、人間が自分で見たり聞いたりしたこと、そして事実であって、噂ではない。これらの事実は、神が働きを広める証拠であり、働きを広めるために用いる道具でもある。事実がなければ、神の福音はすべての国、あらゆる場所に伝わらない。事実がなく人間の想像だけであれば、神は決して宇宙全体を征服する働きを行えない。霊は、人間には触れることも見ることもできないものであり、また霊の働きは、神の働きのさらなる証拠や事実を人間に残せない。人間は決して神の本当の顔を見ないだろうし、存在しない漠然とした神をいつまでも信じるだろう。人間は決して神の顔を見ないし、神自身が語る言葉を聞くこともない。結局、人間の想像など虚しく、神の真の顔に取って代われない。神の本来の性質、そして神自身の働きを、人間が真似ることはできない。目に見えない天の神とその働きは、受肉した神が人間のあいだで自ら働いて初めて地上にもたらされる。これが、神が人間に姿を現す最も理想的な方法であり、この方法によって人間は神を見て、神の真の顔を知るようになる。そして、これは受肉していない神には不可能なことだ。

『神の出現と働き』「堕落した人類は、受肉した神による救いをさらに必要としている」(『言葉』第1巻)

今回、神は霊体ではなく、まったく普通の体で働きを行うために来る。さらに、それは神の二度目の受肉の体というだけではなく、神はその体を通して肉へと戻る。それはごく普通の肉体である。他の人々との違いを生み出すものは何も見受けられないが、今までに聞いたこともない真理をこの人から受け取ることができる。この取るに足らない肉体は、神から来る真理の言葉のすべてを具現化し、終わりの日の神の働きを引き受け、人が理解する神の性質全体を表すものである。あなたは天の神を見ることを大いに望んでいるではないか。あなたは天の神を理解することを切に願っているではないか。あなたは人類の終着点を見ることを大いに欲しているではないか。この人はこれらの秘密、つまり、今まで誰一人としてあなたに語ることのできなかった秘密のすべてをあなたに語るだろう。また、あなたが理解していない真理についても語るだろう。この人は、あなたにとっての神の国への門であり、新しい時代への導き手である。このような普通の肉が、数多くの測り知れない奥義を握っているのである。この人の行いはあなたには不可解かもしれないが、この人が行う働きの目標全体は、人々の思うように、この人が単なる肉ではないことを理解するのに十分である。なぜならこの人は、終わりの日における神の旨と、神が人類に示す配慮を表しているからである。あなたは天地を揺るがすかのような彼の言葉を聞くことができず、燃え上がる炎のようなその目を見ることもできず、また、鉄の杖のような神の懲らしめを受けることもできないが、その言葉から神が怒りに満ち溢れていることを聞き、神が人類に憐れみを示しているのを知ることができる。あなたは神の義なる性質と神の知恵を見ることができ、またそれ以上に、全人類に対する神の憂慮に気づくことができる。人は終わりの日の神の働きにより、地上で人々のあいだで生きている天の神を見られるようになり、また神を知り、神に従い、神を畏れ、神を愛することができるようになる。これが、神が二度目に肉へと戻った理由である。今日人が見るものは、人と同じ姿の神、一つの鼻と二つの目を持つ神、目立たない神であるが、最終的に神は、あなたがたに次のことを示すだろう。すなわち、この人が存在していなければ、天と地は巨大な変化を経験し、この人が存在していなければ、天は薄暗くなり、地上は混沌に陥り、全人類は飢饉と疫病の中で暮らすことになる、ということである。終わりの日にあなたがたを救うべく、受肉した神が来ていなければ、神はずっと前に全人類を地獄で滅ぼし尽くしていたはずだということを、神はあなたがたに示すだろう。またこの肉が存在していなければ、あなたがたは永遠に大罪人で、死体のままであるということを、神はあなたがたに示すだろう。この肉が存在しなければ、全人類は避けることのできない災難に直面し、終わりの日に神が人類へと繰り出す、さらに厳しい懲罰から逃れるのは不可能であるということを、あなたがたは知るべきである。この普通の肉が生まれていなければ、生きようと懇願しても生きられず、死を願っても死ねない状態に陥るだろう。この肉が存在しなければ、今日、あなたがたは真理を得て神の玉座の前に来ることができず、それどころか、あなたがたの深い罪ゆえに、神によって罰せられるだろう。神が肉へと戻ることがなければ、誰にも救いの機会はなかったはずだということを、あなたがたは知っていたのか。また、この肉が来なければ、神はずっと以前に古い時代を終わらせていたはずだということを、あなたがたは知っていたのか。そうであれば、あなたがたは神の二度目の受肉をなおも拒むことができるのか。あなたがたは、この普通の人から多くの利点を引き出すことができるのに、なぜ喜んでこの人を受け入れようとしないのか。

神の働きは、あなたには理解できないことである。自分の決定が正しいかどうかを完全に把握することも、神の働きが成功し得るかどうかを知ることもできないのなら、この普通の人が自分にとって大いに助けとなるかどうか、また、神が本当に偉大な働きを行なったかどうかを、運に任せて見てみようとしないのか。しかし、わたしはあなたに告げなければならない。ノアの時代、人々は神が見るに堪えないほど飲み食いしたり、勝手気ままに結婚したり結婚させたりしていたので、神は大洪水を引き起こして人類を滅ぼし、ノアの家族八人とあらゆる種類の鳥と獣だけを残した。とは言え、終わりの日に神が残すのは、最後まで神に忠誠を尽くしたすべての人々である。どちらも神が見るに耐えないほどの、ひどい堕落の時代であり、またどちらの時代の人類も、自分たちの主である神を否定するほどひどく堕落し、拒絶されていたが、神が滅ぼしたのはノアの時代の人々だけだった。どちらの時代の人類も神にひどくつらい思いをさせたが、終わりの日の人々に対し、神は今日に至るまで忍耐深い。それはなぜか。あなたがたはその理由を考えたことがないのか。本当に知らないなら、わたしがあなたがたに話そう。終わりの日に神が人々に恵みを授けられるのは、彼らがノアの時代の人々ほど堕落していないからでも、神に悔い改めを示したからでもない。まして、終わりの日の技術が進歩するあまり、神が人々を滅ぼす気になれないからでもない。むしろ、神には終わりの日に一群の人々に対して行う働きがあり、神はその働きを、肉において自ら行うからである。そのうえ、神はこの集団の一部を選んで救いの対象、神の経営計画の果実とし、それらの人々を次の時代へと導く。したがって、何があろうと、神によって支払われたこの代価は、ひとえに終わりの日における神の受肉の働きに備えるものだったのだ。あなたがたが今日に至ったという事実は、この肉のおかげである。あなたがたに生存の機会があるのは、神が肉の中で生きているためである。この幸運はすべて、この普通の人のゆえに得られたものである。それだけではない。最後にすべての国はこの普通の人を崇め、この取るに足りない人に感謝し、従うだろう。全人類を救い、人と神の対立を和らげ、両者の距離を縮め、神と人の考えをつなげたのは、この人がもたらした真理、いのち、道だからである。いっそう偉大な栄光を神にもたらしたのもこの人である。このような普通の人は、あなたの信頼や敬愛を受けるに値しないだろうか。このような普通の肉はキリストと呼ばれるに相応しくないだろうか。このような普通の人が、人々のあいだで神の表れになることはできないのか。人類を災難から免れさせたこのような人は、あなたがたの愛に、抱きしめたいというあなたがたの願望にふさわしくないのか。彼の口から発せられる真理を拒み、自分たちのあいだに彼が存在するのを忌み嫌うならば、あなたがたの運命は最後にどうなるだろうか。

終わりの日における神の働きのすべては、この普通の人を通して行われる。この人はすべてのものをあなたに授け、またそれ以上に、あなたに関係するすべてのことを決定できる。このような人が、あなたがたが思っているように、言及する価値もないほど取るに足らないということがあり得るだろうか。この人の真理はあなたがたを完全に納得させるのに十分ではないのか。この人の業の証しは、あなたがたを完全に納得させるのに十分ではないのか。あるいは、この人がもたらす道は、あなたがたが歩む価値などないということなのか。結局あなたがたがこの人を忌み嫌い、見捨て、距離を置く理由は何なのか。真理を表すのはこの人であり、真理を施すのはこの人であり、あなたがたに従うべき道をもたらすのもこの人である。あなたがたが依然として、これらの真理の内に神の働きの痕跡を見つけられないということがあり得ようか。イエスの働きがなければ、人類が十字架から降りることはできなかったはずだが、今日の受肉がなければ、十字架から降りる者たちが神に認められることは決してないし、新しい時代に入ることもできない。この普通の人の到来がなければ、あなたがたに神の本当の顔を見る機会はなく、またその資格もない。と言うのも、あなたがたはみな、はるか昔に滅ぼされているべき対象だからである。二度目に受肉した神の到来のゆえに、神はあなたがたを赦し、あなたがたに憐れみを示してきた。いずれにしても、最後にわたしがあなたがたに言い残さなければならない言葉はやはりこうである。受肉した神であるこの普通の人は、あなたがたにとって極めて重要である。これこそが、神が人々のあいだで成し遂げた偉大なことなのだ。

『神の出現と働き』「あなたは知っていたか。神が人々のあいだで偉大な業を成し遂げたことを」(『言葉』第1巻)

キリストが語る真理に頼ることなくいのちを得たいと望む者は、地上で最も愚かな者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は、幻想の世界で迷子になった者である。ゆえにわたしは、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に忌み嫌われると言う。キリストは、人が終わりの日に神の国へと入る門であり、それを迂回できる者は誰一人いない。キリストを通してでなければ、誰も神によって完全にされることはない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神の道に従わなければならない。真理を受け取ることも、いのちの施しを受け入れることもできないのに、祝福を得ることだけを考えることはできない。キリストは、自身を真に信じる者にいのちを施せるよう、終わりの日に来る。その働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道である。キリストを認められず、非難したり、冒涜したり、さらには迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそが聖霊の顕現であり、神の顕現であり、神が地上での働きを託した者だからである。したがって、終わりの日のキリストによってなされる一切のことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言う。聖霊を冒涜する者が受ける報いは、誰の目にも自明である。これもあなたに言っておくが、あなたが終わりの日のキリストに抵抗し、終わりの日のキリストを足蹴にするなら、その結末をあなたに代わって引き受ける人は誰もいない。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえ自らの罪を贖おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが抵抗したのは人ではなく、あなたが足蹴にしたのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからである。あなたはその結末がどのようなものか知っているのか。あなたが犯すのは小さな過ちではなく、重罪である。だから、わたしはすべての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりしてはいけない。あなたにいのちをもたらせるのは真理以外になく、あなたが生まれ変わり、再び神の顔を仰げるようにするものは、真理以外にはないからである。

『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」(『言葉』第1巻)

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質問 2:私は神を見たことがないし、神のどのように働いたり世界を支配しているのかも見たことがない。私には神を認識して受け入れるのは難しい。私の長年の宗教研究からは宗教的信仰は精神的な栄養に過ぎないと思います。人類の精神的空洞を埋めるものです神を信じる人たちも最終的には皆死にますね。そして死んだ人のうちだれが天国に行って誰が地獄に落ちたのかなんて誰も知らないのです。全ての宗教的信仰は非常に曖昧で非現実的です。科学が発達し人類が進歩するにつれ、宗教的信仰なんてものは捨てられ消えていくでしょう。我々はまだ科学は信じなければなりません。科学こそが真理であり現実です。これはだれも否定できません。科学はまだ神を否定していませんが、神の存在を証明もしていません。もし科学が神の存在を証明し、神がすべてを支配していることも証明出来たら神を信じることはできます。我々共産主義者は科学を信じるのです。科学を信じ発展させることによってのみ人間社会は進歩するのです。科学は人間社会の問題を沢山解決することが出来ます。神を信じることによって人は何を得られますか? 一時的な精神的な安心以外に何の役に立つのですか。実際的な問題には何の役にも立ちませんよね。従って科学を信じたほうが神を信じるよりずっと現実的です。私たちは科学を信じなくてはなりません。

回答:無神論は何よりも科学を重んじます。科学を真理や信仰のように扱うほどです。科学がもし真理ならば何故多くの科学的理論が確立されても、すぐにまた反論され無効にされるのですか? これは科学が真理などではないことの裏付けではありませんか。科学は人間社会の最も現実的な問題を解決できます…

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