全能神教会App

神の声を聞き主イエスの再臨を喜んで迎えなさい!

真理を探求されている方々からのご連絡をお待ちしています

言葉は肉において現れる

ソリッドカラー

テーマ

字体设置

字体调整

ラインスペース

ページ幅

0 件見つかりました

一致する内容が見つかりませんでした!

神は人のいのちの源である

速度

神は人のいのちの源である

あなたが産声を上げてこの世界に生まれて来たその瞬間から、あなたは自分の責任を果たし始める。あなたは、神の計画と神の定めにおいてあなたの役割を担う。あなたは人生の旅路を始めるのである。あなたのこれまでの背景がどうであろうと、あなたのこれからの旅路がどのようなものであろうと、天が備えた指揮と采配を逃れることができる者はひとりもおらず、自分の運命を支配できるものは一人もいない。それは、万物を支配する神のみが、そのような働きを行うことができるからである。人が存在するようになった日から、神は着実に自分の働きを行い、この宇宙を経営し、万物の変化と動きを指揮してきた。万物と同様に、人は神から甘い養分と雨と露を、そっと、知らないうちに、受け取っている。万物と同様に、人は知ることもなく神の手による采配の下で生きているのである。人の心と霊は神の手の中にあり、人の生活全ては神に見られているのである。あなたがこのことを信じようと信じまいと、生けるものも死せるものも、ありとあらゆるものが、神の思いによって、移ろい、変化し、新しくされ、消え去るのである。これが、神が万物を支配する方法である。

夜が忍び寄っても、人は気づかない。なぜなら、人の心は、どのようにして暗闇が近づくのか、それがどこから来るのか知覚できないからである。夜が静かに過ぎ去るとき、人は日の光を歓迎する。しかし人の心は、光がどこからやって来たのか、どのようにしてそれが夜の闇を追い払ったのか、なおさら、はっきり知ることはなく、気づくこともない。そのような昼と夜の周期的な交替は、時代(時間?)を進みながら、人をひとつの時期から別の時期へと連れていく一方、神の働きと神の計画が、それぞれの時期とあらゆる時代を通じて、遂行されることを確かなものとする。人は神とともに時代を歩んできたのに、神がすべての物と生けるものの運命を支配することも、神がどのようにして万物を指揮し導くのかも、人は知らない。これは有史以前から今日まで、人には分からないことである。その理由は、神の業があまりにつかみどころがない、あるいは神の計画がまだ実現されていないからではなく、人の心と霊が神から離れすぎているからである。したがって、神に付き従っているときでも、人は知らないうちにサタンに仕え続ける。誰も神の足跡や出現を自発的に探し求めないし、誰も神の配慮と守りのもとで存在することを望まない。むしろ、人は、この世と、邪悪な人類が従う生存の法則に適応するために、進んでサタンと悪しき者の腐敗に頼ろうとする。この時点で、人の心と霊はサタンの犠牲となり、その餌食となる。さらに、人の心と霊は、サタンが住むことのできる場所となり、サタンの恰好の遊び場となる。このようにして、人は人間であることの原則についての理解と、人間存在の価値と目的についての理解を気づかないうちに失うのである。神からの律法と、神と人の間の契約は、人の心のなかで徐々に消えていき、人はもはや神を求めることも、心に留めることもしなくなる。時が過ぎるにつれて、人は、なぜ神が人間を創造したのか解からなくなり、もはや神の口から来る言葉を理解しなくなり、神からくるすべてものに気付かなくなるのである。人は神からの律法と掟に反逆し始め、人の心と霊は無感覚になっていく。……神は神の本来の創造物である人間を失い、人は自分の始まりであるところの根源を失うのである。これが今の人類の悲しみである。実のところ、まさに最初から現在にいたるまで、神は、人類のために悲劇を上演してきた。そしてその舞台では、人間が主人公と犠牲者の両方を演じる。この悲劇の監督が誰であるのかについては、誰も答えられない。

広大な世界において、数え切れないほどの変化が何度も何度も起こってきた。宇宙のすべてのものを支配する神を除いては、誰もこの人類を導き、案内できる者はいない。この人類のために労し、準備する力ある者は一人もおらず、ましてやこの人類を光り輝く終着点へと導き、この世の不正から解放できる人はいない。神は人類の未来を嘆き、人類の堕落を深く悲しむ。神は、ゆっくりと衰退に向かう人類の行進と、戻ることのできない路について、悲しんでいる。人類は神の心を打ち砕き、神を否認・否定して悪しき者を求めた。このような人類がどこへ向かっているのか、誰ひとり考えたこともない。まさにこの理由により、誰も神の怒りを知覚しないのである。神を喜ばせるための道を探す者、あるいは神により近づこうと努める者はひとりもいない。さらに、神の悲しみと痛みを理解しようとする者は誰もいない。たとえ神の声を聴いた後であっても、人は神の恵みと配慮を避け、神の真理を遠ざけて、神から離れた道を進み続け、むしろ、神の敵であるサタンに自分の身を売り渡す。そして、神を棄て去った悔い改めない人に対して、神がどのように振るまうか、いくらかでも考えてみた者はいるだろうか。神が繰り返し注意し忠告・勧告するのは、人の肉と霊魂にとって耐えがたい、前例のない災いを神が用意して、その手にもっているからであるということを知る者は、誰もいない。この災いは、単に肉の懲罰だけではなく、霊魂の懲罰でもある。あなたは次のことを知らなければならない。神の計画が無効にされ、神の注意と勧告が何の応答も生まないときに、神はいかなる怒りを注ぐだろうか。これは、いかなる被造物も今まで経験したことも聞いたこともないようなものであろう。そして、この災いは前例がなく、決して繰り返されない、とわたしは言おう。これは、神の計画の中にはただひとつの創造とただひとつの救いしかないからである。これは初めであり、終わりでもある。したがって、人類の救いのための、神の親切な意図と熱い期待を、誰も理解できないのである。

神はこの世を創造し、神がいのちを授けた生ける存在である人を、この世にもたらした。次いで、人は両親や親族を持つようになり、もはやひとりぼっちではなくなった。最初にこの物質世界を目にして以来、人は神の定めの範囲内で存在するように運命づけられた。生けるものひとりひとりを成人になるまでの成長を通じて支えるのは、神からのいのちの息である。この過程において、神の配慮の下で人が生き、成長しているとは誰も信じない。むしろ、人は自分が両親の愛情と配慮の下で成長し、自分の成長はいのちの本能によって司られていると考える。何故なら人は、誰がいのちを授けてくれたのか、それはどこから来たのかについて知らず、ましてやどのようにいのちの本能が奇跡を造り・生みのかについては、なおさら知らないからである。人にはただ、食物がいのちの継続の基であり、忍耐がいのちの存続の源であり、人の心にある信念が、人の生存の富であるということだけが分かっている。人は神からの恵みと備えを感じない。そして人は、神によって授かったいのちを浪費するのである。……神が日夜目を留めている者のなかには、率先して神を礼拝しようとする者はひとりもいない。神は、神が何の期待もしていない人に対して、計画した通りの働きを続ける。神は、いつの日か、人が夢から覚め、突然いのちの価値と意義について悟り、神が人に全てを与えたその代価がどれほどかを理解し、人が自身のもとへ戻ってくることを神がどれだけ熱心に待ち望んでいるかを知ることを願いながら、その働きを続ける。かつて、人のいのちの起源と継続の奥義を深く考えた者は誰もいない。それでもなお、このことをすべて理解している神だけが、神からすべてを受け取ったにも関わらず感謝の気持ちを持たない人間からの苦痛と打撃に、静かに耐えるのである。人は、いのちがもたらすものすべてを当たり前のこととして考える。そして、「当然のこととして」神は人から裏切られ、忘れ去られ、ゆすり取られている。神の計画は本当にそれほど大切なのだろうか。神の手によって生まれた、生ける存在である人間は、本当にそれほど大切なのだろうか。神の計画は絶対的な重要性をもっている。しかし、神の手によって創造された生けるものは、神の計画のために存在するのである。したがって、神は、この人類に対する憎しみから、自分の計画を無駄にすることはできないのである。神がすべての苦しみに耐えるのは、自分の計画と吐いた息のためであり、人の肉のためではなく、人のいのちのためである。神は、人の肉ではなく、神が吐き出したいのちを取り戻したいと望む。これが神の計画である。

この世に(生まれ)はみな、生と死を経験しなければならず、多くの者が死と再生の循環・輪廻を経験した。生ける者は間もなく死に、死せる者は間もなく返ってくるだろう。これはすべて、それぞれの生けるもののために神によって定められた人生の行路なのである。しかしながら、この行路とサイクルとは、神が人に見てほしいと願っている事実、また神によって人に授けられたいのちは無限であり、肉体、時間、空間の拘束を受けないという事実なのである。これは神によって人に授けられたいのちの奥義であり、いのちが神から来たことの証しなのである。多くの者は、いのちが神から来たと信じないかもしれないが、神の存在を信じるか、否定するかにかかわらず、人間は必然的に神から来るものすべてを享受する。もし神がある日突然心変わりし、世に存在するものすべてを取り戻し、神が与えたいのちを取り戻したいと望むなら、すべてのものは存在しなくなるだろう。神は自分のいのちを用いて生けるものといのちのないものの両方にすべてのものを供給し、神の力と権威によって、すべてに良き秩序をもたらすのである。これは、誰にも想像できず、たやすく理解できない真理であり、これらの理解不可能な真理こそが、神の生命力の現れと証しなのである。今わたしはあなたにひとつの奥義を教えよう:神のいのちの偉大さとその力は、いかなる被造物にも推し測ることができない。これは今もそうであり、昔もそうであったし、これからもそうであろう。わたしが伝える第二の奥義はこれである:すべての被造物のいのちの源は、形や構造にいかなる違いがあっても、神から来るのである。あなたがどのような生命体であっても、神が定めたいのちの道と逆方向に動くことはできないのである。いずれにしても、わたしが人に理解してほしい唯一のことは、人がどんなに努力し奮闘しても、神の配慮、守り、備えなしには、人は受け取るはずであったものを何も受け取ることができないということである。神からのいのちの満たしなしには、人は生きる価値観を失い、いのちの目的意識を失う。神は、神のいのちの価値を大事にしない人が、それほど無頓着でいることをどうして許すことができるだろうか。もう一度言うが、神があなたのいのちの源であることを忘れてはならない。もし人が、神が授けたものを大切にできなければ、神は与えたものすべてを取り戻すだけではなく、人は神が費やしたものすべてを償うために、二倍を返さなくてはならないのである。

 

2003年5月26日

前へ:あなたがたは自分の行いを考慮すべきである

次へ:全能者のため息

他のお気に入り