第九十一章
わたしの霊は語り、わたしの声を絶えず発する。あなたがたのうちわたしを知ることができる者は何人いるか。どうしてわたしは肉となってあなたがたの間に来なければならないのか。これは大いなる奥義である。あなたがたは一日中わたしのことを思い、わたしを待ち望み、またわたしを讃美し、わたしを享受し、日々わたしを飲み食いしているが、今日まだわたしを知らない。あなたは何と無知で盲目なのか。何とわたしを知らないことか。あなたがたのうち、わたしの旨を配慮できる者が何人いるのか。つまり、あなたがたのうちの何人が、わたしを知ることができるのか。あなたがたはみな悪魔のような類いだが、それでもわたしの旨を満たしたいのか。いい加減にしなさい。あなたに言っておく。サタンの行為がどんなに立派でも、その目的はわたしの建て上げるものを破壊し、わたしの経営を妨げることなのだ。サタンの行為がどんなに立派でも、その本質は変わらない──サタンはわたしを否定するのである。そのため、多くの人たちが知らないうちにわたしの手によって打ち倒され、知らないうちにわたしの家族から追い出されている。今日、人によって指揮されることは(大小を問わず)何一つない。すべてはわたしの手の中にあるのだ。すべてのものは人間の支配下にあると誰かが言うなら、あなたはわたしに抵抗しているとわたしは言い、必ずやあなたを厳しく罰し、あなたの拠って立つ場所が永遠にないようにする。あらゆる出来事や物事の中で、わたしの手の中にないものは何か。わたしによって定められないもの、あるいはわたしによって決定されないものは何か。それでもまだ、あなたはわたしを知っていると言い続ける。それは悪魔のたわごとである。あなたは他人を欺いたので、わたしをも騙すことができると思っているのか。自分がしたことを他の誰も知らなければ何も起こらないと思っているのか。そう簡単に逃れられると思ってはならない。わたしはあなたをわたしの前にひざまずかせ、それを白状させねばならない。白状しないことは許されないことである。これはわたしの行政命令である。
わたしの霊が誰であり、わたしという肉の存在が誰なのかを、あなたがたは本当に理解しているか。わたしの受肉の意義は何か。あなたがたのうち誰がこの大事を慎重に熟考し、わたしから何らかの啓示を受けたことがあるのか。あなたがたはみな自分自身を騙しているのだ。なぜわたしは、あなたが赤い大きな竜の子孫だと言うのか。今日、わたしはあなたがたに対し、わたしの受肉の奥義、すなわち世界の創造以来、人間が解明できずにいる奥義、わたしの憎しみの対象となった多くの者たちに滅びをもたらした奥義を明らかにする。そして、今日もまたそうである。わたしの肉のゆえに、わたしが愛する多くの者たちが完全にされた。わたしが肉とならなければならないのは、いったいなぜなのか。そして、わたしが現在の姿(わたしの身長、外見、霊的背丈などを含む、すべてのことにおいて)であるのはなぜなのか。それについて何か言える者が誰かいるか。わたしの受肉にはそれほど多くの意義があるので、それについてすべてを言い尽くすことはできない。わたしは今、あなたがたにその一部だけを告げる(わたしの働きの段階がここまで達したので、わたしはこれを為し、これを言わなければならない)。わたしの受肉は主にわたしの長子たちを対象としている。それは、わたしが彼らを牧養できるようにするため、彼らがわたしと顔を合わせて会話し、話すことができるようにするためである。さらにそのことは、わたしとわたしの長子たちが互いに親密であることを示す(つまり、わたしたちは一緒に食事し、一緒に住み、一緒に生活し、一緒に行動する)。それは、彼らがわたしによって実際に養われるようにするためである──これは空しい言葉ではなく、現実である。以前、人々はわたしを信じていたが、現実を把握できなかった。それはわたしがまだ受肉していなかったからだ。今日、わたしの受肉によって、あなたがたはみな、現実を把握することができ、誠実にわたしを愛する者たちは、わたしの話とわたしのふるまい、およびわたしが物事を扱う方法の背後にある原則を通して、わたし――知恵ある神自身――を知ることができる。またそのことによって、誠実にわたしを求めていない者たちは、わたしのわずかな行動の中に、わたしの人間性というわたしの側面を見るようになり、そこでわたしに抵抗し、その後わたしに打ちのめされて、「まったく何の理由もなく」死ぬことになる。サタンを辱める中で、受肉はわたしのために最も鳴り響くような証しをする。わたしは肉から出て来ることができるだけでなく、肉の中に生きることもできる。わたしは空間的または地理的な制限を一切受けない。わたしには何の障壁もなく、すべてがなめらかに流れる。サタンが最も辱められるのはこの点においてであり、わたしが肉から出て来るとき、わたしはなおも肉において自身の働きを行い、何の影響も受けない。わたしはなおも山々、川、湖、そして宇宙と万物の隅々を渡り歩く。わたしは、わたしから生まれたが、わたしに抵抗すべく立ち上がったすべての者を露わにするために受肉したのである。もしわたしが肉になっていなければ、彼ら(わたしの面前での行動と、わたしの背後での行動が違う者たちを指す)を露わにする術はないだろう。もしわたしが霊のままであれば、人々はわたしを彼らの観念の中で崇拝し、わたしが形のない、手の届かないところにいる神だと思うだろう。今日におけるわたしの受肉は、人々の観念(わたしの身長と外見のことを言っている)とは正反対であり、ごく普通に見え、背もあまり高くない。サタンを最も辱め、人々の観念(サタンの冒涜)に対する最も強力な反撃であるのはこの点なのだ。もしわたしの外見が他の誰とも違っていたら、それは厄介なことになるだろう──誰もがわたしを崇拝し、自分の観念を通してわたしを理解するようになり、わたしのために美しい証しをすることはできないだろう。そのため、わたしは今日の姿をとったのであり、それを理解するのはまったく難しくない。誰もが人間の観念から抜け出すべきであり、サタンの狡猾な計略によって騙されてはならない。わたしは、自分の働きの必要に応じて、将来もっと多くのことを、あなたがたに一つずつ語る。
今日、わたしの大いなる働きは成功を収め、わたしの計画は達成された。わたしは、わたしと心を一つにして協力する人々の集団を得た。これはわたしによって最も栄光ある時である。わたしの愛する子ら(わたしを愛するすべての者たち)は、わたしが為すべきすべてのことを、わたしと一緒に完成させる中で、わたしと心と思いを一つにすることができる──これは驚くべきことである。今日から後、わたしが好ましくないと見なす者たちには、聖霊の働きがないだろう。つまり、過去にわたしが言ったことに従わない者たちを、わたしは捨て去るということである。人々はわたしが言うことに完全に従わなければならない。これを憶えておきなさい。完全に従わなければならないのだ。誤解してはならない。すべてはわたし次第なのだ。人間よ――わたしに条件を言ってはならない。あなたには資格があるとわたしが言うなら、それは石に書かれているように変わらない。また、あなたに資格がないとわたしが言うなら、悲しそうな顔をして天と地を責めてはならない。それはすべてわたしの采配なのだ。自分を見下せと、誰があなたに言ったのか。あのような恥知らずの愚行をせよと、誰があなたに言ったのか。たとえあなたが何も言わなくても、わたしから真実を隠すことはできない。わたしは人間の心の奥底を調べる神自身であるとわたしが言うとき、わたしの言葉は誰に向けられているのか。正直でない者たちに対して、わたしはそう言っているのだ。何と恥知らずなのか――わたしの背後でそのようなことをするとは。あなたはわたしの目をくらまそうとしているのか。それは容易ではない。直ちにここから出て行け。反逆の子よ。あなたは自分自身を愛しておらず、自分自身を尊重していない。あなたは自分のことを気遣わないのに、わたしがあなたを愛することをまだ望んでいるのか。いい加減にしなさい。わたしはこのような人でなしなど一人たりとも欲しくない。わたしのもとから去りなさい。あなたがた全員だ。これはわたしの名に最も深刻な恥をもたらす。あなたがたがこれをはっきり見ないなら、どうにもならない。あなたがたは、この邪悪でふしだらな古い時代の中で、どんな汚れたものにも汚染されることがないように自分を守らなければならない。あなたは完全に聖く、傷ひとつないものでなければならない。今日、わたしと一緒に王として支配する資格のある者たちとは、汚れに一切汚染されていない者たちである。なぜなら、わたしは聖なる神自身であり、誰であれ、わたしの名に恥をもたらす者を、一人として望んでいないからである。このような者たちは、わたしを試すためにサタンによって送り込まれたのであり、まさに撃退されねばならない(底なしの穴に投げ込まれなければならない)サタンのしもべたちである。
わたしの家族は聖なるものであり、傷ひとつなく、わたしの神殿は荘厳で威厳がある(つまり、わたしが持つものとわたしそのものを所有する者たちを意味する)。自分の好きなようにそこへ入り込み、騒動を引き起こそうとする者は誰か。わたしは決して彼らを赦さない。彼らは完全に滅ぼされ、大いに辱められる。わたしは知恵によって行動する。剣も、銃も使わず、指一本上げることもなく、わたしを否定し、わたしの名に恥をもたらす者たちを完全に打ち負かす。わたしは寛容であり、たとえサタンが騒動をここまで引き起こす時でも、着実にわたしの働きを続ける。わたしはサタンをまったく気にせず、わたしの経営計画の完成によってサタンを敗北させる。これがわたしの力とわたしの知恵であり、またそれ以上に、わたしの終わることのない栄光のほんの一部である。わたしの目には、わたしを否定する者たちは泥の中を這い回る虫のようなものであり、わたしの意志にしたがっていつでも踏み潰し、死に至らしめることができる。しかし、わたしは知恵によって物事を行う。わたしは、わたしの長子たちに対処させるだろう。わたしは決して急がない。わたしは念入りに、秩序立てて、ほんの少しの誤りもなく行動する。わたしから生まれたこれらの長子たちは、わたしの存在そのものを持つべきであり、わたしの業の中に、わたしの終わりのない知恵を見るべきである。