日々の神の御言葉: 神の三段階の働き | 抜粋 26
終わりの日の働きは言葉を語ることである。言葉により、大きな変化が人の中で生じ得る。現在、それらの言葉を受け入れた人たちに生じる変化は、恵みの時代にしるしや不思議を受け入れた人たちに生じた変化よりもはるかに大きい。と言うのも、恵みの時代において、悪霊は按手と祈りによって人から追い出…
「あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。人の子は安息日の主である」(マタイによる福音書 12:6-8)という聖書の一節を検討しましょう。ここでいう「宮」、つまり神殿は何を指していますか。簡単に言えば、それは高くて壮麗な建物を指しており、律法の時代においては、司祭が神を礼拝する場所でした。主イエスが「宮よりも大いなる者がここにいる」と言った際、「大いなる者」とは誰を指していましたか。それは明らかに、肉体をもつ主イエスを指しています。なぜなら、神殿よりも偉大なものは主イエスだけだったからです。この言葉は人々に何を伝えましたか。神殿から出るよう、人々に伝えたのです。神はすでに神殿から出ており、もはやそこでは何も行なっていなかったので、人々は神殿の外で神の足跡を求め、新たな働きにおける神の歩みに従うべきなのです。主イエスがそう言ったとき、その言葉の背景には一つの前提がありました。つまり、人々は律法のもと、神殿を神自身よりも偉大なものとして見なすようになっていたことです。要するに、人々が神でなく神殿を礼拝したので、主イエスは人々に対して偶像を崇拝せず、至高の存在である神を崇拝するよう警告したのです。そうしたわけで、主は「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」と述べました。主イエスから見て、ほとんどの人は律法のもと、もはやヤーウェを礼拝しておらず、単に生贄を捧げる動作を繰り返していたのは明白であり、主イエスはその動作を偶像崇拝だと判断しました。これらの偶像崇拝者は、神殿を神よりも偉大で崇高なものと考えていました。彼らの心には神殿しかなく、神は存在しなかったので、神殿を失うとすみかを失うことになりました。神殿がなければ礼拝する場所がなく、生贄を捧げることができませんでした。ここでいう「すみか」とは、神殿に留まって自分の活動を行なうべく、ヤーウェ神を礼拝するふりをしていた場所のことです。また「生贄を捧げる」とは、神殿で奉仕を行なうという口実のもと、自分個人の恥ずべき取引を行なうということでした。当時の人々が、神殿は神より偉大だと見なしていたのはこれが理由でした。こうした人たちは神殿を隠れ蓑として、生贄を人々と神を欺く口実として利用していたので、主イエスは人々への警告としてこれらの言葉を語ったのです。現在に当てはめても、これらの言葉は依然として正当であり、適切なものです。現在の人々は律法の時代の人々と異なる神の働きを経験していますが、人の本性実質は同じです。現在の働きに関しても、人々は「神殿は神よりも偉大である」という言葉に代表されるような物事を依然として行なっています。たとえば、自分の本分を尽くすことを仕事と考えており、神を証しすること、赤い大きな竜と戦うことを、人権保護、民主主義、そして自由のための政治活動だと考えています。また人々は、自分の技能を活用する本分を職務としていますが、神を畏れて悪を避けることを、遵守すべき単なる宗教的教義として扱っています。このような振る舞いは、「神殿は神よりも偉大である」というものと本質的に同じではないですか。二千年前、人々は形ある神殿で自分の個人的な仕事を行なっていたのに対し、現在において、人々は無形の神殿で自分の個人的な仕事を行なっているというだけの違いです。規則を重視する人は、規則を神よりも偉大なものと見なし、地位を好む人は、地位を神よりも偉大なものと見なし、職務を好む人は、職務を神よりも偉大なものと見なしています。そうした人たちが表わしていることのために、わたしは次のように言うのです。「人々は、口では神を最も偉大だと褒め讃えるが、その人たちの目には、あらゆる物事が神よりも偉大なものとして映る」。その理由は、神に付き従う道において、自分自身の才能を示したり、あるいは自分自身の仕事や職務を行なったりする機会を見出すとすぐ、人は神から離れ、自分が愛する職務に没頭してしまうからです。神が彼らに託した物事や、神の旨は、はるか昔に捨て去られたのです。これらの人たちの状態と、二千年前に神殿の中で自分の仕事を行なっていた人たちの状態と、いったい何が違うでしょうか。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 3」(『言葉』第2巻)より
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