日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 248
わたしはすべてを焼き尽くす火であり、背きを許さない。人間はすべてわたしが造ったのだから、わたしが何を言い何を行なおうと、人間は従わなければならず、抵抗してはならない。人はわたしの働きに干渉する権利をもたず、ましてやわたしの働きや言葉の何が正しく何が間違っているかを分析する資格…
神はこの世を創造し、神がいのちを授けた生けるものである人を、この世にもたらした。次いで、人は両親や親族を持つようになり、もはやひとりぼっちではなくなった。人が最初にこの物質的な世界を見て以来ずっと、人は神の定めの範囲内で存在するように運命づけられた。生けるものひとりひとりを成人になるまでの成長を通じて支えるのは、神からのいのちの息である。この過程において、神の配慮の下で人が生き、成長しているとは誰も信じない。むしろ、人は彼が彼の両親の愛情と配慮の下で成長し、彼の成長はいのちの本能によって支配されていると考える。これは、誰がいのちを授けてくれたのか、それはどこから来たのかについて人が知らず、ましてやどのようにいのちの本能が奇跡を作り出すのかについては更に知らないからである。人にはただ、食物がいのちの継続の礎であり、忍耐がいのちの存続の源であり、人が頭で考える信念が、人の生存の資本であるということだけが分かっている。人は神からの恵みと備えを感じない。そして人は、神によって授かったいのちを浪費するのである……神が日夜顧みている者のなかで、進んで神を礼拝しようとする者はひとりもいない。神は、何の期待も持っていない人に対して計画した通りの働きを続ける。神は、いつの日か、人が夢から覚め、突然いのちの価値と意義について悟り、神が人に全てを与えたその代価がどれほどかを理解し、神がどれだけ熱烈に、人が自身のもとへ戻ってくるよう望んでいるかを知ることを望みながら、その働きを続ける。かつて、人のいのちの起源と継続の秘密を深く考えた者は誰もいない。それでもなお、このことをすべて理解している神ひとりが、神からすべてを受け取ったにも関わらず感謝の気持ちを持たない人からの苦痛と打撃に、静かに耐えるのである。人は、いのちがもたらすものすべてを当たり前のこととして考える、そして、「当然のこととして」神は人から裏切られ、忘れ去られ、ゆすり取られている。神の計画は本当にそれほど大切なのだろうか。神の手によって生まれた生けるものである人は、本当にそれほど大切なのだろうか。神の計画は絶対的な重要性をもっている。しかし、神の手によって創造される生けるものは、神の計画のために存在するのである。したがって、神は、この人類に対する憎しみから自分の計画を無駄にすることはできないのである。神がすべての苦しみを耐えるのは自分の計画と吐いた息のためであり、人の肉のためではなく、人のいのちのためである。神は、人の肉ではなく、神が吐き出したいのちを取り戻したいと望む。これが神の計画である。
『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」(『言葉』第1巻)より
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わたしはすべてを焼き尽くす火であり、背きを許さない。人間はすべてわたしが造ったのだから、わたしが何を言い何を行なおうと、人間は従わなければならず、抵抗してはならない。人はわたしの働きに干渉する権利をもたず、ましてやわたしの働きや言葉の何が正しく何が間違っているかを分析する資格…
神が所有するものと神そのものについてもっと理解したいと望むなら、旧約聖書や律法の時代で立ち止まることはできず、神がその働きのなかで辿った段階にしたがい先へと進む必要があります。ゆえに、神は律法の時代を終えて恵みの時代を始めたのですから、わたしたちもそのあとを追い、恵みと贖いに満ち…
人間の肉体の堕落を裁くのには、受肉した神以上にふさわしいものはいない。もし神の霊が直接裁いたならば、それはすべてを含むものではないであろう。そのうえ、そうした働きは人間には受け入れがたいものだったろう。なぜなら、霊は人間と直接会うことができず、そのため効果は即座に見られるものでも…
神はサタンを倒すために人々の管理を使う。人々を堕落させることにより、サタンは人々の運命を終わらせ、神の働きを阻害する。一方、神の働きは人間への救いである。神自身の働きの中で人間を救うためでないものは、どの段階にも存在しない。人々を清め、彼らに正しいことを行わせ、愛されうるイメ…