真理を探求されている方々からのご連絡をお待ちしています

終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

Recital-the-word-appears-in-the-flesh
終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

カテゴリ

Recital-latest-expression
言葉は肉において現れる(続編)朗読

稲光の中、すべての動物は真の姿を明らかにする。そして、わたしの光に照らされて、人間もまた、かつての聖さを取り戻した。ああ、過去の堕落した世界がついに汚い水の中へと崩れ去り、水面の下に沈み、溶けて泥となった。ああ、わたしの創った全人類が、ついに再び光の中でよみがえり、存在のための基礎を見出し、泥の中でもがくことをやめた。ああ、わたしの手の中のもろもろの被造物よ。それらがどうしてわたしの言葉によって新たにならないことがあろうか。どうして、光の中でその機能を果たさないことがあろうか。地はもはや、動きがなく沈黙してはいない。天はもはや荒涼として悲しいところではない。天と地とは、もはや虚無で隔てられてはおらず、ひとつになって、決して再び裂かれることがない。この喜ばしい時、この歓喜の瞬間、わたしの義と聖とが宇宙全域に広まり、すべての人間が終わりなくほめたたえる。天の町々は喜びに笑い、地上の王国は喜びに舞い踊る。この時に、誰が喜ばずにいようか。そして、この時、誰が泣かずにいるのか。地は、そのはじめは天のものであった。そして、天と地とは、ひとつであった。人間は天と地とを結ぶ絆であり、その聖さのおかげで、その再生のおかげで、天はもはや地から隠されてはいない。そして、地はもはや天に対して沈黙していない。人類の顔は安堵の笑顔に飾られ、心には限りない甘美さが満ちる。人間は互いに言い争うことがなく、また、殴り合うこともない。わたしの光の中で他の人々と平和的に生きない者がいるだろうか。わたしの日々にわたしの名を汚す者が誰かいるだろうか。人間はみな畏敬のまなざしをわたしに向け、その心が沈黙のうちにわたしに叫んでいる。わたしは人間のあらゆる行いを探った。清められた者の中に、わたしに逆らうものは誰もいない。わたしを裁く者もいない。人間はみな、わたしの性質に満たされている。誰もがわたしを知るようになり、わたしに近づき、わたしを愛する。わたしは人間の霊の中に確固として立ち、人間の目に最も高い頂きに上げられ、その血管を血として流れる。人間の心の喜びにあふれる高揚が地のいたるところを満たし、空気は爽やかに澄み、濃い霧が地面を包むことは、もはやない。そして、太陽がまばゆく輝く。

今、わたしの国を見なさい、わたしがすべての王として支配する領域を。創造の初めから今のこの時まで、わたしの子らがわたしの導きに従い、人生の多くの苦難、世にあるまことに多くの不正を経験し、世の浮き沈みを経てきたが、今はわたしの光の中で暮らしている。誰が昨日までの不正にすすり泣かずにいられるだろう。誰がここに至るまでの苦難に涙を流さずにいられよう。そしてまた、この機会をとらえて自らをわたしに捧げない者が、誰かいるだろうか。この機会をとらえて、胸にあふれる熱情を吐露しないものがいるだろうか。今この時に、自分たちの経験したことを語らない者がいるだろうか。今この時に、すべての人間は自身のもっとも良い部分をわたしに捧げている。どれほどの人々が、昨日までの無知な愚行を悔いる思いに苦しみ、どれほどの人々が昨日までの欲求に嫌悪せずにいられるだろう。人間はみな自身を知り、サタンの行いとわたしのすばらしさを見て、心の中にわたしのための場所を設けた。もはやわたしが人々の間で避けられ、放棄されることはない。わたしの偉大な働きがすでに成し遂げられ、もはや妨げられることがないからである。今日、わたしの国の子らの中に、自分自身について心配していない者が、誰かいるだろうか。わたしの働きが行われる方法について心配する種を持たない者が誰かいるだろうか。心からわたしのために身を捧げている者が、誰かいるだろうか。あなたがたの心の中の不純物は減っているだろうか。それとも、増えているだろうか。もし心の中の不純物が減りも増えもしないのなら、わたしはそのような人を必ず見捨てよう。わたしの求めるのは、わたしの心にかなう聖徒であって、わたしに逆らう汚れた霊ではない。わたしは人間に多くを求めないが、人間の心の内はまことに複雑なため、人間にはわたしの心にすみやかに従ったり、直ちにわたしの願うことを満たしたりはしない。人間の大多数は、最後に勝利の冠を手にしようと、密かに努力している。大多数の人間は、再びサタンの手に落ちることを恐れ、一瞬たりともたゆむことのないよう、全力で努力している。彼らはもはや、わたしに恨みを抱かず、わたしの前で常に忠誠を示そうとしている。わたしは、実に多くの人の心からの言葉が語られるのを、実に多くの人が、苦難の中で経験した痛みが語られるのを聞いてきた。人々が最も苦しい中でゆらぐことなくわたしに忠誠をささげるさまを、わたしは見てきた。また、実に多くの人が、険しい道を歩むとき、出口を求めて苦闘するさまを見てきた。そうした中で、その人たちは、けっして不平を言わなかった。光を見出すことができず、落胆することはあっても、けっして不満を言わなかった。しかし、わたしはまた、実に多くの人々が心の底から悪態をつき、天を恨み、地を呪うのを見た。また、実に多くの人々が苦しみのただ中で絶望に諦めきり、屑入れにゴミを放り込むように身を捨てて、塵芥に覆われるのをも見た。わたしは実に多くの人が互いに言い争うのを聞いた。地位の変化に「顔」の変化が伴い、仲間との関係が変わって、友人たちが友であることをやめ、敵対するようになり、互いを責めるようになった。大多数の人々は、わたしの言葉を機銃の弾丸のように使って相手を不意打ちし、世界のいたるところが、平穏を打ち破るやかましい騒ぎに満ちるようになった。幸い、こうして今日に至っている。そうでなければ、どれほどの人々が止むことのない機銃掃射の中で死んでしまったか、わからない。

わたしから出た言葉に従い、全人類の状態に合せて、わたしの国は着実に地上に降りてきた。もはや人は憂うることなく、他の人のことを「考慮に入れ」たり、人々のことを「心配する」ことがない。そこで、諍いごとはもうなく、わたしから出た言葉に従い、現代の様々な「武器」もまた、使われなくなる。人間は再び他の人間との間に平和を見出し、人間の心は再び調和の精神を放ち、もはや誰も、密かな攻撃に身構えることがない。すべての人類は正常な状態に戻り、新たな生活を始める。新たな境遇の中、多くの人は周囲を見回し、真新しい世界に入ったかのように感じる。そのため、すぐに新しい環境に馴染むことはできないし、正しい道に踏み出すこともできない。そこで、人間に関しては、「意欲はあっても、肉は弱い」ということになる。わたしは人間のように苦難の苦さを味わうことはなかったが、人間の弱点については、すべて心得ている。わたしは人間の必要を詳らかに知り、人間の弱さに関するわたしの理解は完璧である。そのため、わたしは人間の短所をからかったりはしない。ただ、不正な行いに対処し、適正な「指導」をして、誰もが正しい道を歩めるようにする。そうして、人間はさまよう孤児であることをやめ、家のある、愛される赤子となる。それでも、わたしの行いは原則に基づいている。もし人間がわたしの内の幸いを享受したがらなければ、わたしにできることは、彼らの欲求のままに底なしの淵に送り込むことだけである。その時点では、誰一人、もはや心に不平を抱えていてはいけない。わたしの采配の中に、誰もが、わたしの義を見ることができなければならないのだ。わたしは、わたしを愛するよう、人間に強いることはしない。また、わたしを愛したからといって、人間を打つこともしない。わたしの内には完全な自由、完全な解放がある。人間の運命はわたしの掌中にあるが、わたしは人間に自由意志を与えた。それはわたしに左右できるものではない。そのようにして、人間はわたしの行政のために「厄介な事態に陥る方法を考え出す」ことなく、かえって、わたしの寛容さを頼みにし、「解放を勝ち取る」のだ。そうして、多くの人は、わたしに束縛されるというよりは、解放されて、自分の道を求めていくことになる。

わたしは常に人類を寛大に扱い、けっして解決不能の問題を与えなかったし、誰をも困難な状況に追いやらなかった。そうではないか。まことに多くの人々はわたしを愛していない。しかし、そうした態度に悩むのではなく、わたしは人間に自由を与え、苦しみの海で泳ぎ回る余地をもたせてやった。人間は優れた器ではないのだ。人間はわたしの手の中にある祝福を見るが、それを楽しもうとはせず、サタンの手から災厄を掴み取りたがる。そうして、サタンに「滋養」としてのみ込まれるはめになる。もちろん、中には、その目でわたしの光を見て、現在の霧の中に生きてはいても、そのせいで光への信仰を失わず、障害だらけの道ではあるが、霧の中を手探りし、探し求める事を続ける人々もいる。人々がわたしに逆らうとき、わたしは激しい憤りを注ぐので、大勢が不服従のせいで死ぬだろう。人間がわたしに従うとき、わたしは彼らの目から隠されている。そのようにして心の深いところに愛、甘言によるのではない、わたしに喜びをもたらす愛が湧くようにする。いったい何度わたしは、人間がわたしを求めるとき、真の信仰が生まれ出るようにと、目を閉じ、沈黙を守ったことか。しかし、わたしが話さなければ、人間の信仰はすぐさま変化し、そこで、見えるのはまがい物の「商品」ばかりということになる。人間が心からわたしを愛したことは、けっしてなかったからだ。わたしが姿を現したとき初めて、人間はみな、おおげさな「信仰」表明をする。しかし、わたしが秘密の場所に隠れていると、彼らの心は弱く、臆病になる。まるで、わたしを不快にさせるのを恐れるかのように。あるいは、わたしの顔を見ることができないと、あれこれと試してみて、実際、わたしが存在していないという結論になったりする。どれほどの人がそうした状態にあり、どれほどの人がそういう心持ちでいることか。しかし、これはみな、人間がすべて、内にある恥ずべきものを隠すのに巧みだからである。そのため、人々は自身の弱点を見るのをいやがり、あからさまに自分の自尊心を隠そうとするときにだけ、わたしの言葉の真実であることを認める。

1992年3月17日

終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

神の現れによる新時代の到来 神は人のいのちの源である 神の裁きと刑罰に神の出現を見る 神の経営の中でだけ人は救われる 七つの雷が轟く -- 神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言 救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である キリストに味方しない者は確実に神の敵だ 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない キリストと融和する道を探せ あなたは本当に神を信じているのか キリストは、真理を以て裁きの働きを行う 神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを知っているか 終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる あなたは誰に忠実か 三つの忠告 神の性質を理解することの並ならぬ重要性 神は全人類の運命を支配する 全能者のため息 信者はどんな見解を持つべきか 堕落した人間は神を体現することができない 宗教奉仕を取り締まるべきである 神を信じているなら神に従うべきだ 完全にされた人々への約束 悪人は罰せられなければならない 現実をどのように知るか 神の心にかなう奉仕とは 千年神の国は訪れた 実践的な神は神自身であることを知るべきである 今日の神の働きを知るということ 神の働きは人間が想像するほど簡単か あなたは神を信じているので真理のために生きるべきである 肉となった神と神に使われる人々との間の本質的違い 神の信仰は宗教的儀式でなく現実に焦点を合わせるべきである 今日の神の働きを知る人々のみ神に仕えることができる 神の国の時代は言葉の時代(前半) 神の国の時代は言葉の時代(後半) すべてが神の言葉によって達成される(前半) すべてが神の言葉によって達成される(後半) 神を愛することだけが本当に神を信じることである  (前半) 神を愛することだけが本当に神を信じることである  (後半) 「千年神の国は訪れた」についての短い話 神を知る者だけが、神の証人となることができる ペテロはどのようにイエスを知るようになったか 神を愛する者たちは永遠に神の光の中に生きる あなたは生かされたか 性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである 二度の受肉が受肉の意義を完成させる 三位一体は存在するのか(前半) 三位一体は存在するのか(後半) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート1) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート2) ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識(パート3) 将来の使命にどのように取り組むべきか 神について何を理解しているのか 本物の人とは何を意味するか あなたは信仰について何を知っているか 肉なる者は誰も怒りの日を逃れることはできない 福音を広める働きは、人を救う働きでもある 律法の時代における働き 贖いの時代における働きについての真実 あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである (前半) あなたは人間全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである (後半) 呼び名と身分について(前半) 呼び名と身分について(後半) 自己の観念で神を規定している人がどうして神の啓示を受けることができるだろうか 神とその働きを知る者だけが神の心にかなう 受肉した神の職分と人間の本分の違い( 前半) 受肉した神の職分と人間の本分の違い ( 後半) 神はすべての被造物の主である 神の働きと人の働き(前半) 神の働きと人の働き (後半) 神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である(前半) 神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である(後半) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている (パート1) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている (パート2) 堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている(パート3) 神の宿る肉の本質 (前半) 神の宿る肉の本質 (後半) 神の業と人間の実践(前半) 神の業と人間の実践(後半) キリストの本質は父なる神の心に従うことである 人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く (前半) 人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く (後半) 神と人は共に安息に入る(パート1) 神と人は共に安息に入る(パート2) 神と人は共に安息に入る(パート3) 祈りの実践について 新時代の戒め 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋 (パート1) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート2) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート3) 「受肉の奥義」についての神の言葉四節からの抜粋(パート4) 「聖書について」に関する神の言葉四節からの抜粋( パート1) 「聖書について」に関する神の言葉四節からの抜粋 パート2 「征服の働きの内なる真実」についての神の言葉四節からの抜粋(パート1) 「征服の働きの内なる真実」についての神の言葉四節からの抜粋(パート2) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋( パート1) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋 (パート2) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート3) 「働きと入ること」についての神の言葉十節からの抜粋(パート4) 神の国の時代に神に選ばれし人々が従わなければならない行政命令10項目 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 パート1 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋 (パート2) 「神の働きのビジョン」についての神の言葉三節からの抜粋( パート3) 四番目の言葉 五番目の言葉 六番目の言葉 七番目の言葉 八番目の言葉 九番目の言葉 十番目の言葉 十一番目の言葉 十二番目の言葉 十三番目の言葉 十四番目の言葉 十五番目の言葉 十六番目の言葉 十七番目の言葉 十八番目の言葉 十九番目の言葉 二十番目の言葉 二十一番目の言葉 二十二番目の言葉 二十三番目の言葉 二十四番目の言葉 二十五番目の言葉 二十六番目の言葉 二十八番目の言葉 二十九番目の言葉 成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている (後半) 成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている(前半) 地上の神をどのように知るか 神の働きを経験する者のみが真に神を信じる 完全にされた者だけが意義ある人生を送ることができる

00:00
00:00

0件見つかりました