日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 235
わたしは唯一無二の神自身であり、さらに唯一の神の本体である。またそれ以上に、わたしという肉全体が、神の完全な顕現なのだ。わたしを畏れない者、その目に反抗を表す者、反逆する言葉を話す者は、誰でも必ずやわたしの呪いと怒りによって死ぬだろう(わたしの怒りによって呪いが引き起こされるのだ…
神はサタンを倒すために人々の管理を使う。人々を堕落させることにより、サタンは人々の運命を終わらせ、神の働きを阻害する。一方、神の働きは人間への救いである。神自身の働きの中で人間を救うためでないものは、どの段階にも存在しない。人々を清め、彼らに正しいことを行わせ、愛されうるイメージを生む形で生きさせることを目的としないものは、どの段階にも存在しない。けれどもサタンの場合は、そうではない。サタンは人間を堕落させる。サタンは全世界において人間を堕落させる働きを継続的に実行する。もちろん、神も自らの働きを行う。神はサタンを顧みない。サタンがどれだけ権威を持っていようと、その権威は依然として神によって与えられたものだった。実際には神はサタンに自らの権威のすべてを与えはしなかった。だからどんなことをサタンが行っても、サタンは神を超えられず、常に神の手の中にある。神は天にいる間、自らの行為を少しも現わさなかった。神はサタンに小さい部分の権威を与えて、天使への支配を行使できるようにしただけだった。だからサタンは、どんなことをしても、神の権威を超えることはできない。神が元々サタンに与えた権威は限られているからである。神は働きを行い、サタンは阻害を行う。終末の日にサタンの妨害は終わるだろう。同様に神の働きは終えられるだろう。そして神が全き者としたい人間は全き者となるだろう。神は人々を肯定的側面から導く。神のいのちは生ける水であり、測ることができず、終わることがない。サタンはある程度まで人を堕落させた。最後に、そのいのちの生ける水は人を完全にし、サタンが邪魔したり、その働きを実行したりすることは不可能となるだろう。そのようにして、神はそれらの人々を完全に自らのものとすることだろう。サタンはそれを受け入れることを今、依然として拒んでいる。サタンは神に対して継続的に反抗しているが、神はサタンを気に留めない。神は述べた、「わたしはサタンの暗い力のすべてと暗い影響のすべてに勝利するだろう。」と。それは肉で今なされなければいけない働きであり、受肉の意味するものでもある。それは終末の日においてサタンを倒すという働きの段階を完成させ、サタンの側にいるすべてのものを滅ぼすことである。サタンに対する神の勝利は、避けられない流れなのである。サタンは実際に昔、敗北した。福音が大きな赤い竜の土地を通して広がり始めたとき、つまり、受肉した神が働きを始め、その働きが引き起こされたとき、サタンは完全に倒されることとなった。その受肉はサタンを倒すためのものだったからである。サタンは、神がもう一度肉となり、また神の働きを遂行し始めたのを見た。そして、どんな力もその働きを止められないことを理解した。そのため、その働きを見たときにサタンは愕然とし、サタンの働きをあえてそれ以上続けなかった。最初にサタンは、自らが多くの英知も持つものと思っていて、神の働きを中断させてその阻害を行った。けれどもサタンが予想していなかったのは、神がもう一度肉となり、神自らの働きにおいて、サタンの反抗性を用いて、人間のための啓示と裁きを行い、それにより人間を征服してサタンを打ち負かすということだった。神はサタンより賢明で、神の働きはサタンをはるかに凌ぐ。だから、わたしは以下を前に述べた。「わたしが行う働きはサタンの策略に対応して実行される。最後にわたしは、自らの全能性とサタンの無力さを示す。」神が自らの働きを行うとき、サタンは自分が最後に結局粉砕されるまで神の後ろについてゆく。サタンは自分を討ったものを知ることさえないだろう。サタンはすでに打ち破られ、砕かれて初めて、真実に気づく。そのときサタンは、すでに火の湖で焼かれてしまっている。サタンはそのとき完全に確信する。自分が、もうどうすることもできない。
『神の出現と働き』「あなたは全人類がこれまでどのように発展してきたかを知らねばならない」(『言葉』第1巻)より
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わたしは唯一無二の神自身であり、さらに唯一の神の本体である。またそれ以上に、わたしという肉全体が、神の完全な顕現なのだ。わたしを畏れない者、その目に反抗を表す者、反逆する言葉を話す者は、誰でも必ずやわたしの呪いと怒りによって死ぬだろう(わたしの怒りによって呪いが引き起こされるのだ…
一部の人々は真理を喜ばず、裁きとなればもっと喜ばない。むしろ、人々は権力と富に喜びを見出すのであり、そのような人々は俗物と見なされる。彼らはもっぱら、影響力を持つ世界中の宗派や、神学校から来た牧師や教師を探し求める。真理の道を受け入れたにもかかわらず、彼らはどこまでも懐疑的で、…
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ヤーウェ神の人間への命令 創世記 2:15-17 ヤーウェ神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。ヤーウェ神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを…