日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 126
受肉しての神の働きの各段階は、その時代全体の働きを代表するもので、人間の働きのように特定の期間を代表するものではない。だから、神の最後の受肉の働きの終わりは、神の働きが完了したということではない。受肉しての神の働きは、時代全体を代表するもので、神が人間として働いた期間だけを代…
イサクがアブラハムのもとに生まれたように、ヨハネは約束によって生まれた。ヨハネはイエスのために道を整え、多くの働きを行なったが、神ではなかった。むしろ、ヨハネは預言者の一人だった。イエスのために道を整えたからである。ヨハネの働きも偉大であり、ヨハネが道を整えて初めて、イエスは正式に自分の働きを始めた。実質的に、ヨハネは単にイエスのために骨を折っただけであり、ヨハネが行なった働きはイエスの働きに奉仕するものだった。ヨハネが道を整え終わった後、イエスは自分の働きを始めた。それはより新しく、より具体的で、より詳細にわたる働きだった。ヨハネが行なったのはその働きの最初の一部だけであり、新たな働きのより大部分は、イエスによって行なわれたのである。ヨハネも新たな働きを行なったが、新たな時代を始める人ではなかった。ヨハネは約束によって生まれ、その名前は天使から与えられた。当時、彼の父ザカリヤの名をつけたかった人たちもいたが、ヨハネの母が口を開いてこう言った。「この子をその名前で呼ぶことはできません。ヨハネという名にしなければなりません」。これはすべて聖霊によって命じられたことである。イエスもまた聖霊の命令で名付けられ、聖霊から生まれ、聖霊からの約束を受けた。イエスは神であり、キリストであり、人の子だった。しかし、ヨハネの働きも偉大だったのに、なぜ彼は神と呼ばれなかったのか。イエスによってなされた働きと、ヨハネによってなされた働きの違いはいったい何だったのか。ヨハネはイエスのために道を整える人だったというのが唯一の理由なのか。あるいは、神によってあらかじめ定められたからなのか。ヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と言って、天国の福音も宣べ伝えたが、彼の働きがさらに展開されることはなく、始まりを構成したに過ぎなかった。それとは対照的に、イエスは新しい時代を始めて古い時代を終わらせたが、旧約聖書の律法を成就させることもした。イエスが行なった働きはヨハネの働きより偉大であり、さらにイエスは全人類を贖うために来たのであって、その段階の働きを達成したのである。ヨハネのほうはただ道を整えたに過ぎない。彼の働きは偉大で、数多くの言葉を語り、彼に従う弟子たちも数多かったが、ヨハネの働きは人に新たな始まりをもたらしたに過ぎないのである。人は彼からいのちも、道も、より深い真理も受け取っておらず、彼を通して神の旨を理解することもなかった。ヨハネはイエスの働きのために新たな土台を切り開き、選ばれた人を準備した偉大な預言者(エリヤ)だった。つまり、恵みの時代の先駆者だったのである。そのような事柄は、彼らがもつ普通の人間の外見だけでは見分けられない。特にヨハネは、極めて多くの働きを行ない、その上聖霊に約束され、聖霊によって支えられた働きをしていたので、それがますます当てはまる。そうであれば、人のそれぞれの身分は、その人が行なう働きを通じてのみ区別することができる。と言うのも、人の外見からその人の本質を知る術はなく、聖霊の証しとは何かを人が確認することはできないからである。ヨハネによってなされた働きとイエスの働きは異なっており、違う性質を有している。そのことから、ヨハネが神かどうかを決めることができる。イエスの働きとは、始めること、続けること、終わらせること、そして結実させることだった。これらの各段階をイエスは実行したが、一方ヨハネの働きは、始まりをもたらす以上のものではなかった。イエスは最初に福音を広め、悔い改めの道を説き、それから人々にバプテスマを授け、病を癒し、悪霊を追い出した。最後に人類を罪から贖い、その時代全体の働きを完成させた。イエスはあらゆる場所に赴いて人々に説教し、天国の福音を宣べ伝えた。この点においてイエスとヨハネは似通っていたが、イエスは新しい時代を始め、人間に恵みの時代をもたらしたという違いがあった。人が恵みの時代に実践すべきこと、および従うべき道に関する言葉がイエスの口から発せられた。そして最後に、イエスは贖いの働きを終えた。ヨハネがその働きを実行できたはずはない。ゆえに、神自身の働きを行なったのはイエスであり、イエスが神自身であり、神を直接表わすのもイエスなのである。人の観念では、約束によって生まれた者、霊から生まれた者、聖霊によって支えられている者、新たな道を開く者はみな神である。このような論法によれば、ヨハネも神であり、モーセもアブラハムもダビデも全員神である、ということになる……。これはよくできた冗談ではないか。
『神の出現と働き』「受肉の奥義(1)」(『言葉』第1巻)より
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