日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 250
地上に来た時、神はこの世のものではなく、この世を楽しむために肉となったのではない。働きが神の性質を明らかにし、最も意義のあるものとなるのは、神が生まれた場所である。それが聖なる地であれ穢れた地であれ、神がどこで働こうと神は聖い。この世界のあらゆるものは神に創られた。ただ全てがサタ…
秦の国が地上で実現するとき――つまり、神の国が実現するとき――地上で戦争が起きることはもはやない。飢饉や疫病や地震は二度と起こらず、人々は武器の生産をやめ、すべての人が平和と安定の中で生き、人同士は普通に関わり合い、国同士も普通に関わり合う。だが、現在の状態はこれとは比べものにならない。天の下ではすべてが混乱しており、各国でクーデターが徐々に起こり始めている。神の発する言葉に続き、人々は徐々に変わっていき、各国の内部がゆっくりとばらばらになりつつある。バビロンの揺るぎない基礎は砂上の城のように揺らぎ始め、神の旨が変わるにつれて、気づかないうちに激しい変化が世界に生じる。そしてありとあらゆる兆候が常に現われ、世界の終わりの日が来たことを人々に示す。これが神の計画であり、神が働きを行なう一連の段階であって、各国は間違いなくばらばらにされる。古いソドムは再度滅ぼされ、そのため神は次のように言う。「世界は崩壊しつつある。バビロンは麻痺している」。神自身以外の誰も完全にこれを理解することはできない。結局、人々の認識には限界がある。たとえば、国内問題を司る大臣たちは、現在の状況が不安定で混乱していることを知っていても、それに取り組むことができない。彼らはただ流れに乗って、堂々と顔を上げられる日が来ることを望み、太陽が再び東から昇り、国中を照らし、この惨めな事態を好転させる日が来るのを切望することしかできない。しかし彼らは、二度目に太陽が昇るとき、その日の出はかつての秩序の回復を意味するのではなく、復活、すなわち完全な変化を指すのだということを知らない。それが全宇宙に関する神の計画である。神は新しい世界をもたらすが、何よりまず人間を新しくする。
『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第二十二章と第二十三章」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
地上に来た時、神はこの世のものではなく、この世を楽しむために肉となったのではない。働きが神の性質を明らかにし、最も意義のあるものとなるのは、神が生まれた場所である。それが聖なる地であれ穢れた地であれ、神がどこで働こうと神は聖い。この世界のあらゆるものは神に創られた。ただ全てがサタ…
人が贖われる前、サタンの害毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。そしてサタンによって何千年も堕落させられてきた人間には、神に抵抗する本性がすでに定着していた。だからこそ、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られるという贖い以上のものではなく、人の中の害毒に満ちた…
恵みの時代はイエスの名と共に始まった。イエスが自身の職分を始めたとき、聖霊はイエスの名に対する証しを始め、ヤーウェの名はもはや語られなかった。その代わり、聖霊はおもにイエスの名のもとに新しい働きに着手した。神を信じる人たちの証しはイエス・キリストのためになされ、彼らが行なった働き…
神の権威とは、神の力であると説明できる。まず、権威と力は、両方とも肯定・善であると断言できる。権威と力は、否定・悪と無関係であり、創造物やそれ以外の物と関連性が無い。神の力は、生命や活力のある、あらゆる形の物を造ることが可能であり、それは神の命により決定される。神は生命であり…